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ヤマト奇談集  作者: flat face
越前王朝
49/54

小手子

小手子はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/142270267)


   一


 ()(しま)(本州・四国・九州)に土着の()(じん)を代表する()(こく)は、大和(やまと)(せい)(けん)という連合政権に統治されていた。

 大和政権は大和(やまと)(おう)(けん)を盟主とし、八洲の国々によって構成された。

 構成国の首長や王は豪族となり、大和王権の君主たる(おお)(きみ)()(こく)(おう)として戴いた。


 大和政権は八洲の大部分を征服し、諸外国からも倭人の代表と認められると、国際的な地位を向上させるため、超大国の(しん)(たん)(中国)に倣って集権化しようとした。

 そうして大和政権が畿内(うちつくに)(せい)(けん)へと再編され、中央の豪族である諸大夫(まえつぎみ)が全国を支配した。

 しかし、誰が中央集権を主導するかで諸大夫の間に路線対立が生じた。


 (おお)(むらじ)(おお)(ともの)(かな)(むら)(かな)(むら)(ものの)(べの)(あら)鹿()()(あら)鹿()()は大王の専制にて、(おお)(おみ)()(がの)(いな)()(いな)()は豪族の合議制によって集権を実現させんとした。

 それぞれ大連は官界の、大臣は政界の長だった。

 大王と豪族は(うぢ)なる一族を形成し、豪族はその地位を示す(かばね)を大王から与えられ、(おお)(とも)(うぢ)(ものの)()(うぢ)は大王に直属する(むらじ)()()(うぢ)は大王の同盟者たる(おみ)だった。


 連にとっては大王の権力が強化されれば、自らの力も強まったが、臣にはそれが一族の弱体化に繋がりかねなかった。

 稲目は物部氏の分家である(ものの)()()輿(こし)()輿(こし)と組み、金村と麁鹿火を失脚させて大伴氏を没落させた。

 その見返りに尾輿は宗家の麁鹿火に代わって大連となったが、(ぶつ)(きよう)を国教にするか否かで稲目と対立した。


 倭国は(すめら)(みち)を国是とし、(しん)(とう)(じゆ)(きよう)など様々な宗教で理論的に補強してきた。

 仏教が国教となれば、そうした柔軟さが失われかねなかったのだが、先進諸国は仏教を国教にしていた。

 仏教の国教化に賛成する崇仏派と反対する排仏派の争いは稲目の息子たる()(がの)(うま)()(うま)()が尾輿の息子である(ものの)(べの)(もり)()(もり)()を討ち、物部氏を滅ぼしたことで崇仏派の勝利に終わった。


 馬子は豪族の合議により集権を推し進め、仏教を国教とするために(はつ)()(べの)()()を即位させた。

 泊瀬部王子は大王の一族たる()()(うぢ)だったが、馬子の甥に当たり、物部氏を滅ぼした戦いにも加わっていた。

 また、飄々とした遊び人と見られてもいたので、馬子は国政を牛耳るため、傀儡として泊瀬部王子を担ぎ上げた。


 だが、泊瀬部王子の態度は変に目立ち、粛清されるのを警戒していたからで、英邁かつ剛毅な資質を持ちながら、それを周囲に秘していた。

 泊瀬部王子は周りから即位する見込みは薄いと見なされ、妻は落ち目の大伴氏から(おお)(ともの)()()()()()()を迎えた。

 金村が失脚した後、大伴氏はかつてのように大連を輩出できなくなっていた。


 小手子はほっそりした綺麗な顔立ちの美女で、その明るい眼はどこか涼しげで、甘やかな感じがあった。

 豊満な肢体は匂うように優雅で、大きな胸をしていた。

 小手子は妻として夫の傍にいる内に泊瀬部王子の英明な資質に気付き、それを秘せざるを得ない彼の境遇に同情した。


 没落した豪族の令嬢である小手子も肩身の狭い思いをしてきた。

 そして、それに負けじと勝ち気で、お堅いところがあったが、それ故に真剣に泊瀬部王子の身を案じていた。

 そのような小手子に泊瀬部王子も心を許し、彼女を寝室に連れ込んだ。


 小手子の柔らかな体を抱擁すると、泊瀬部王子は痺れるような感覚を覚えた。

 泊瀬部王子の(おの)()が激しくいきり立ち、小手子がそれを嬉しげに愛撫した。

 荒れ狂う血が鋭敏な場所を駆け巡った。


 泊瀬部王子は小手子の豊かな尻を鷲掴みにし、立ったまま彼女に挿入した。

 熱くて柔らかい襞に男子を包まれ、この世のものとは思えぬ悦楽に泊瀬部王子は堪らず呻き、目眩く快感を炸裂させた。

 小手子もその白い腕を泊瀬部王子の首に回して獣のように吠えた。


 彼女は息子の(はちの)(この)()()と娘の(にしき)(ての)(ひめ)(みこ)を出産した。

 泊瀬部王子と小手子は二人の子を良く慈しみ、子供たちも両親に懐いていた。

 小手子はこの幸せがずっと続いてくれるよう願った。


   二


 泊瀬部王子は即位して三十二代目の大王である(はつ)()(べの)(おお)(きみ)となったが、馬子によって狭隘な谷間に建てられた宮殿に押し込められた。

 しかし、彼はそれを逆手に取り、地の利を活かして宮殿の守りを固め、そこを堅牢な城塞とした。

 その造営を担ったのは、小手子の父たる(おお)(ともの)(ぬか)()()(ぬか)()()だった。


 糠手子は金村の息子で、父の無念を晴らすべく一族を再興し、大王による専制を実現させようとしていた。

 そのおかげで彼は娘婿の泊瀬部大王から重用された。

 英明な資質を秘めていただけに、泊瀬部大王も馬子の力で大王の位に即いたとは言え、豪族の傀儡でいることに我慢ならなかった。


 泊瀬部大王は大王の専制を目指し、考えが同じである舅の糠手子を取り立てた。

 だが、馬子の権力は強大だった。

 守屋に勝利した馬子は、大連の職を廃止し、警察や諜報など物部氏の職掌を引き継いでいた。


 また、元々、蘇我氏は財務を担ってもいたので、馬子の手には実権だけではなく、多くの資産もあった。

 そこで、糠手子は馬子が仏教の国教とするため、本格的な仏寺の建立に注力している隙を突き、(ひがし)(やまの)(みち)(滋賀県・中部地方・東北地方)・東海(うみつ)(みち)(東海地方・関東地方)・北陸(くぬがの)(みち)(北陸地方)に使者を派遣した。

 大伴氏は()(たか)()(東日本)への遠征に従軍した過去を持ち、現地の豪族と密接な関係にあった。


 畿内政権は震旦に倣って集権化するため、西方の先進国にばかり関心を向け、日高見の豪族は不満を募らせていた。

 糠手子は泊瀬部大王なら日高見を重んじると説き、現地の豪族たちを味方に付けた。

 日高見は名馬の産地で、(みち)(のく)(東北地方)の(あら)()(ばき)(おう)(こく)と対峙していたため、優秀な騎兵を多く抱えていた。


 日高見の豪族は本土たる畿内(うちつくに)に騎馬軍団を遣わし、東方の珍しい品々を泊瀬部大王に献上した。

 糠手子は日高見に逃れていた物部氏の残党とも隠れて連絡を取り、軍事に長けた彼らを密かに雇い入れた。

 こうして泊瀬部大王が力を付けてくると、彼に与する諸大夫も現れるようになった。


 馬子も豪族による貴族共和制を理想とし、彼らの権利を大王の専制から守るため、諸大夫の首座である大臣の権限を強めた。

 しかしながら、自分が倭国を文明化するという自負心が強すぎることもあり、馬子は独裁的な地位を築くつもりではないかと疑われていた。

 発言権が増した泊瀬部大王は、(きの)()()()()()()()(せの)(さる)(さる)(かつら)()()()()()()()(おお)(ともの)(くい)(くい)の四人を大将軍に任じ、二万を超える大部隊を率いさせ、彼らを(つく)(しの)(くに)(福岡県西部)に待機させると、(から)(くに)(朝鮮)に使者を遣わした。


 かつて韓郷の中南部である(べん)(かん)には南端に倭人の居留地たる(みま)()があり、それ以外は()()と呼ばれ、(から)(ひと)の都市国家が連合した()()に治められていた。

 加羅は(きん)(かん)(こく)(金海市)から(おお)()()(高霊郡)へと盟主の座が移ることはあったが、一つの国にはならず、任那ともども新羅(しらぎ)に従属させられた。

 新羅は東南部の(しん)(かん)にあり、最終的に弁韓を完全に併合した。


 西南部の()(かん)には百済(くだら)も、北部からに粛慎(みしはせ)(満洲)の南部かけては(こう)()()があり、韓郷では三つ巴の争いが繰り広げられていた。

 しかも、陸続きの超大国たる震旦は(ずい)によって統一され、韓郷はその覇権に脅かされてもいたため、新羅・百済・高句麗はいずれも倭国と友好的な関係を築こうとした。

 泊瀬部大王はそれを利用し、筑紫国に進軍して韓郷へ軍事的な圧力を掛け、戦わずに譲歩を引き出して任那を復興しようと試みた。


 もしこれが成功すれば、泊瀬部大王の権勢は更に高まり、大王の専制とて夢ではなかった。

 泊瀬部大王は専制が確立すれば、それを蜂子王子に継承させるつもりだったが、小手子は反対していた。

 硬軟織り交ぜてじっくり権力を拡大してきた馬子と比べ、泊瀬部大王の政権は急拵えであって脆かった。


 糠手子も一族の再興を追い求める余り政権の脆さに目を瞑っていた。

 本気で泊瀬部大王を心配するからこそ小手子は彼に自重するよう諫言した。

 蜂子王子もささやかな幸せを望む母に感化され、野心を抱くことはなかった。


 寧ろ政治より宗教に心を寄せ、仏教を介して従兄の(うまや)(どの)()()と交流していた。

 仏教の開祖である(しやく)(そん)(シャーキャムニ)は戦乱の世に産まれ、王子の身分を捨て去り、乱世を超えていける道を求めた。

 そのような仏教に蜂子王子と厩戸王子はどちらも惹かれていた。


   三


 泊瀬部大王は小手子の諫言を聞き入れなかった。

 彼は二度と巡ってこないであろう好機に昂揚し、歯止めが利かなくなっていた。

 小手子は泊瀬部大王を守るために馬子と内通した。


 泊瀬部大王が狩猟で猪を射止め、その頭を断ち、このように馬子の猪首を斬りたいと呟いた。

 彼女はそうした夫の言動を馬子に報せた。

 馬子は小手子が協力してくれるならば、泊瀬部大王を失脚させるだけに留め、命を奪うまではしないと約束した。


 もっとも、馬子にその約束を守るつもりはなかった。

 敵として英明かつ剛毅な資質を発揮した泊瀬部大王を見逃すなどあり得なかった。

 馬子は泊瀬部大王を弑逆する計画を練った。


 これまで大王が弑された例は、表沙汰になっていないものを含めればごまんとあり、畏れるものではなかった。

 筑紫国への進軍には蘇我氏も兵力を供出させられており、泊瀬部大王は僅かな兵しか手元に残っていない馬子などいつでも殺せると油断した。

 馬子はそれを見逃さず、先手を打って配下の(ひがし)(あやの)(こま)(こま)に泊瀬部大王を弑殺させた。


 駒は(あづまの)(くに)(関東地方)からの使いに変装し、小手子の口添えで泊瀬部大王への謁見を許可された。

 そして、貢ぎ物を献げると称して泊瀬部大王に近付き、短剣を彼の胸元に突き立てた。

 胸から鮮血が噴き出し、泊瀬部大王は西(せい)(れき)の紀元後五九二年に崩御した。


 大伴氏に根回ししていた馬子は、大王が暗殺されて混乱する都を彼らに掌握させた。

 糠手子ばかりが優遇されて大伴氏の中でも馬子の側に付く者が少なくなかった。

 馬子は大臣として筑紫国の将軍たちには韓郷との交渉に集中するよう指示し、日高見の豪族たちにも引き続き配慮すると保証した。


 これらの措置は馬子の姪たる(かしき)()(ひめ)によって承認された。

 炊屋姫は先々代の大王である()()(だの)(おお)(きみ)の寡婦で、大王に準ずる(おお)(きさき)として権威があり、物部氏の残党は彼女によって叛徒と断じられた。

 こうして泊瀬部大王を失い、筑紫国の将軍たちや日高見の豪族たちに離反され、物部氏の残党も頼れず、泊瀬部大王の政権は崩壊した。


 糠手子は馬子が泊瀬部大王の家族を始末しようとするに違いないと考え、第一に狙われるであろう蜂子王子をまず真っ先に逃がした。

 蜂子王子は厩戸王子の助けで仏僧となり、漆を塗って顔を変え、()(わの)(くに)(山形県・秋田県)の()(ぐろ)(羽黒町)に落ち延びた。

 そこで彼は厩戸王子のごとく仏教を諸教の上に置くのではなく、仏教と諸教を混淆させた山岳信仰を説き、山で薬種を集め、薬を作って人々を治療した。


 小手子と錦代王女も糠手子に連れられて道奥へと逃げ延びた。

 しかし、糠手子は野盗に呆気なく殺されてしまった。

 小手子は自分の密告がもたらした結果に愕然としたが、絶望している暇はなく、錦代王女を養うため、羞恥と屈辱を押し隠し、体を売って日々の糊口を凌いだ。


 彼女は山賊や兵隊を尻や口などあらゆる穴で満足させ、その美貌を真っ白に汚された。

 そうして稼ぎ続けたが、やがて錦代王女が肺を病み、血を吐いて亡くなった。

 小手子は自害しようとするも旅の僧侶に止められた。


 その僧こそ蜂子王子だったのだが、どちらも相手の正体に気付かなかった。

 蜂子王子と同じく小手子も体を売る内に相貌が変わり、すっかり別人になっていた。

 だが、小手子は旅の僧を他人と思えず、差し出された手を取り、道奥の各地を巡り歩いた。


 蜂子王子は薬草や薬木で人々を癒やし、小手子は桑を植え、養蚕の技術を広めて彼らを富ませた。

 その事業が忙しくなり、彼女は相手が蜂子王子とは知らずに彼と別れた。

 最後まで我が子と気付かなかったが、心にぽっかり穴が開いた感覚に耐えられなくなり、遂には池に身を投じてしまった。


 蜂子王子はその後も人々の面倒を良く見て彼らの苦悩を取り除き、(のう)(じよ)(だい)()と称されて後にそれが(のう)(じよ)(たい)()と訛った。

 都では炊屋姫が大王の位に即いていた。

 それでも、彼は厩戸王子や馬子、炊屋姫らよりも長生きして羽黒で入寂した。



   註


*泊瀬部大王の息子が厩戸王子の助けで仏僧となり、羽黒に落ち延びて山岳信仰を説く:『羽黒山縁起』

*小手子と錦代王女が糠手子に連れられて道奥へと逃げ延び、桑を植えて養蚕の技術を広め、池に身を投じる:川俣町の伝承


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