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ヤマト奇談集  作者: flat face
越前王朝
41/54

手白香王女

手白香王女はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/140028470)


   一


 (かつら)()(おう)(ちよう)が建国した大和(やまと)(おう)(けん)は、()()(おう)(ちよう)により()(しま)(本州・四国・九州)の諸国が連合して大和(やまと)(せい)(けん)を樹立し、(かわ)()(おう)(ちよう)によって海外から()(こく)と認められた。

 倭国とは八洲に土着の()(じん)を代表する国で、大和王権の君主である(おお)(きみ)()(こく)(おう)とも呼ばれた。

 倭人の代表として恥ずかしくないよう河内王朝は先進国たる(しん)(たん)(中国)に倣い、大王に権力を集中させようとした。


 しかし、河内王朝による集権化は急進的で、震旦ほど文明が発展していない八洲を混乱させた。

 そこで、(はり)()(おう)(ちよう)は逆に分権化を推し進め、連合政権を構成する国々の権限を強化し、構成国の王であった豪族が力を増した。

 特に政界の長たる(おお)(おみ)()(ぐりの)()(とり)()(とり)は少年である大王の(わか)鷦鷯(さざき)を傀儡にした。


 真鳥は豪族の合議のみで国政が運営される体制を目指し、大臣の廃止すらも視野に入れた。

 これには大王の一族たる()()(うぢ)からも反発があった。

 稚鷦鷯の姉である()(しら)(かの)(ひめ)(みこ)もその一人だった。


 手白香王女は父の()()が大王をしていた時代、彼が後宮での情事に耽っていたため、長子として父の代理を務め、全国を巡行してもいた。

 色に溺れる父を恥じ、彼女は大王の娘として相応しくあろうと努め、最高学府たる()(せの)(おお)(かみの)(みや)(伊勢神宮)にも留学した。

 そうした手白香王女にしてみれば、真鳥の構想など許せるはずもなかった。


 だが、肝心の大王である稚鷦鷯は幼くして父を亡くし、父親代わりの真鳥を敬愛していたので、姉の意見に耳を傾けるとはとても思えなかった。

 しかも、()(ぐり)(うぢ)には()()(うぢ)(ものの)()(うぢ)といった中央の豪族だけではなく、(つく)()(うぢ)ら地方の大豪族も味方に付いていた。

 手白香王女も宮廷きっての才女と謳われ、阿毎氏の実力者としてそれなりの勢力はあったが、真鳥らに伍するものではなかった。


 それ故に手白香王女は巡行や留学で培った人脈を活かし、共に戦ってくれる同志を探すため、遊学すると称して諸国を遍歴した。

 彼女は(たん)(ばの)(くに)(京都府中部)で同志を得た。

 丹波国は(たに)(わの)(ぐに)(三丹地方)の一部で、旦波国にはかつて()()()(こく)なる王国があった。


 多婆那国は海路によって北陸(くぬがの)(みち)(北陸地方)の(こし)(おう)(こく)山陰(そともの)(みち)(山陰地方)の出雲(いづも)(おう)(こく)と結び、(から)(くに)(朝鮮)にも船を出すなど強くて豊かな国だった。

 しかしながら、三輪王朝に滅亡させられて旦波国も(おき)(なが)(うぢ)らに分割された。

 息長氏は(おき)(なが)(たらし)(ひめ)(おき)(なが)(ひめ)を大王の(たらし)(なかつ)(ひこ)に嫁がせてもおり、二人の間には(ほむ)()(わけ)という息子が産まれていた。


 手白香王女が丹波国で得た同志は、誉屋別の来孫たる(やまと)(ひこの)(きみ)だった。

 倭彦王も息長氏に属しており、彼らは()(うみの)(くに)(滋賀県)の豪族だったが、地方の権限が増す分権化ではなく、集権化を支持していた。

 地方の豪族には分権が倭国を分裂させると考える者たちもおり、倭彦王も同じ意見だった。


 それを知った手白香王女は倭彦王を訪問した。

 倭彦王は豊かな田園で御曹司として育てられ、牧歌的に暮らしてきただけあり、優雅かつ陽気ではあったが、少し抜けていた。

 しかしながら、その方が手白香王女としては都合が良かった。


 手白香王女は倭彦王を大王に担ぎ上げ、息長氏の力を借り、稚鷦鷯を擁する真鳥たちに対抗するつもりでいた。

 (ちかつ)()(うみ)(琵琶湖)の湖上交通路を支配する息長氏は、盛んに韓郷や(みち)(のく)(東北地方)と交易し、それによって拡大した勢力は端倪すべからざるものだった。

 手白香王女は主導権を手放さずに息長氏の助けを得たかったので、倭彦王が御しやすい相手であるのを喜んだ。


 倭彦王は訪ねてきた手白香王女を歓迎し、彼女の妖艶な美しさに息を呑んだ。

 手白香王女はすらりとした麗人で、凜として如何にも意志が強そうだった。

 陽気に暮らす倭彦王は人生を謳歌し、女性にも目がなかった。


 手白香王女は倭彦王が初対面の彼女に色目を使ったのに気付くと、その夜に彼の寝室を襲った。

 目を見開く倭彦王の前で彼女は服を脱ぎ捨てた。

 艶やかな肌は白く、乳は大きく盛り上がっており、紅くて丸い乳首は宝石のようで、くびれが出来るほど引き締まった腰は、臀部の豊満さを強調していた。


 慌てて起きようとする倭彦王に手白香王女は飛び付き、唇で彼の口を塞いだ。

 手白香王女の体から醸し出される匂いや肉の柔らかさに倭彦王は我を忘れ、彼女と幾度も肌を合わせた。

 手白香王女の女体は倭彦王の責めに鋭敏すぎるほどの反応を示し、彼女はあられもない喘ぎを上げ、彼に何度も精を放たれせた。


   二


 手白香王女は倭彦王と夫婦になり、彼との息子である(ひろ)(にわの)()()を産んだ。

 倭彦王は妻である手白香王女の尻に敷かれた。

 しかし、息長氏の助けを借りる以上、手白香王女は表向き倭彦王の顔を立て、青年たる自分の夫こそ正統な大王であると宣言した。


 大王には統治の重責に堪えうる成人であるべきとの不文律があり、その点では倭彦王に正統性があった。息長氏は倭国を再び集権化させられるだけではなく、自身の一族から大王が出ることを喜んだ。真鳥たちも息長氏の権勢には迂闊に手出しできなかった。


 だが、息長氏も一枚岩ではなかった。

 一族で最も有力な()()()も大王の地位に野心を抱いた。

 男大迹は父の(ひこ)()()が息長氏、母の(ふる)(ひめ)()()(うぢ)で、息長氏ともども近淡海の水運と産物を握る三尾氏は、その実力と財力で(わか)(さの)(くに)(福井県西部)から(こしの)(くに)(北陸)にまで力を及ぼしていた。


 息長氏と三尾氏の深い関係から産まれた男大迹は、父と母の遺産を継ぎ、近江国から越国に至る領域を統べた。

 また、婚姻を通じて()(わりの)(くに)(愛知県西部)の()(わり)(うぢ)とも強い絆で結ばれていた。

 それにより男大迹の力は東海(うみつぢ)(東海地方)にも及んだ。


 その強勢は手白香王女も知っていたが、男大迹を頼っては主導権を奪われてしまいかねなかった。

 手白香王女は阿毎氏の貴女として自身が主導権を握ることに固執した。

 ところが、男大迹を大王に担ぎ上げようとする者がいた。


 (おお)(ともの)(かな)(むら)(かな)(むら)は倭彦王よりも男大迹の方が大王に相応しいと見なし、(こしの)(くちの)(くに)(福井県東部)にいる彼と密かに接触した。

 (おお)(とも)(うぢ)は大王の近衛軍を掌る豪族で、大王に忠誠を尽くしており、真鳥の構想に反対していたが、大王ではない手白香王女に従う気などなかった。

 彼らは仕え甲斐のある強い大王を望み、男大迹は大王たる(いく)()(ほむ)()(わけ)の血を引くばかりか、領国の運営に豊かな経験があった。


 本人も己は同族の倭彦王に劣らぬという自負を有していた。

 男大迹は倭彦王への対抗心から先手必勝とばかりに彼よりも早くに南下し、(やま)(しろの)(くに)(京都府南部)の(おと)(くに)(乙訓郡)へ根拠地を築くのに成功した。

 それを見た物部氏は、平群氏を裏切って男大迹へと寝返った。


 (ものの)(べの)(あら)鹿()()(あら)鹿()()は男大迹に忠誠心を示すため、軍を派遣して倭彦王を威嚇した。

 物部氏は司法や警察を職掌とし、その裁判権や捜査権に実効性を持たせるため、強大な武力を有していた。

 麁鹿火は娘である(ものの)(べの)(かげ)(ひめ)(かげ)(ひめ)が真鳥の息子たる()(ぐりの)(しび)(しび)に嫁いでいたが、それは男大迹の側に付くことを妨げなかった。


 物部氏は葛城王朝に滅ぼされた「()()(さと)」の王族で、一族を存続させるため、大王に仕える道を選んだ。

 それ故に大王には面従腹背で、真鳥と組むのにも抵抗はなかったが、それが一族の存続に不利益となるなら、平気で男大迹に鞍替えした。

 そうした精神を麁鹿火も持ち合わせており、一族を存続させるためなら、躊躇なく影媛を見捨てた。


 その判断は速く、麁鹿火の威嚇は倭彦王たちの不意を付くのに成功した。

 手白香王女は倭彦王を正統な大王と宣言することで既成事実をまず作り、息長氏の一族全体から同意を取り付け、大和(やまとの)(くに)(奈良県)の都に進撃するつもりだった。

 真鳥たちも息長氏の一員である倭彦王には迂闊に手を出すまいと踏んでいたのだが、男大迹がいきなり挙兵するとは手白香王女も流石に予想できなかった。


 手白香王女が機先を制するのに失敗すると、倭彦王の兵が浮き足だった。

 これでは隊伍堂々たる物部氏の兵士たちに敵わず、倭彦王は麁鹿火のところに使者を走らせて降伏を申し入れた。

 それは倭彦王の独断で、彼は自分の命と引き換えに妻子や民らを見逃してくれるよう麁鹿火に頼み込んだ。


   三


 倭彦王の行動は手白香王女を驚かせた。

 手白香王女は倭彦王を擁立したが、彼女によって骨抜きにされた夫をやはりどこか軽く見ていた。

 しかし、倭彦王は身の危険を顧みず、擁立してくれた手白香王女に恥を掻かさぬよう王者らしく振る舞った。


 それほど彼は妻に惚れており、いつもの些か間の抜けた姿が嘘のようだった。

 手白香王女は己の不明を恥じ、倭彦王とより深い絆で結ばれるようになった。

 そのような手白香王女を()(がの)(いな)()(いな)()が密かに訪ねた。


 蘇我氏は中央の豪族だったが、その勢力は弱小だった。

 それゆえ、韓郷の西南部にある百済(くだら)から高官の(もく)(まん)()(まん)()が亡命してくると、彼を庇護して婿入りさせた。

 満致は百済の伝手を頼り、韓郷の(から)(ひと)を呼び寄せた。そうして蘇我氏は先進的な文化を吸収し、勢力を拡大させていった。


 そのような抜け目ない一族に生まれたことから稲目も利害関係に敏感で、感情に流されることなく、何が最も蘇我氏の利益となるかを考えて動いた。

 稲目は真鳥の側に付いていたが、情勢が不利になってきたのを察知すると、()()(うぢ)を誘って離反した。

 彼は巨勢氏を離反の首謀者に仕立て上げて非難を躱しつつ、手白香王女を密かに訪ね、広庭王子を男大迹の養子にするつもりはないかと問うた。


 多くの豪族が真鳥から離反し、男大迹の勝利は確実と思われた。

 だが、地方の出身である男大迹がそのまま即位するのは、中央の豪族にはやはり抵抗感があった。

 男大迹が播磨王朝の直系たる広庭王子を後継者に指名すれば、そういった反感を和らぐはずだった。


 それに、広庭王子が太子になれば、実の両親である手白香王女と倭彦王も身の安全が保証された。

 手白香王女は稲目の誘いに応じ、男大迹も広庭王子を養子とすることに同意した。

 このまま自分と倭彦王の派閥で息長氏が分裂しているのは、男大迹にとっても望ましくなかった。


 こうして男大迹は物部氏の勢力圏たる(かわ)(ちの)(くに)(大阪府南東部)の(くず)()(枚方市北部)に移動した。

 そこからより大和国へ近い山城国の(つつ)()(綴喜郡)に移った。

 真鳥たちは抵抗を続けたが、男大迹は平群氏らを敗北させ、稚鷦鷯も行方が分からなくなった。


 越前国の()(くに)(三国町)を本拠地とする彼は、大和国の(いわ)()(桜井市南西部・橿原市南東部)に入り、大王となって(こしの)(くち)(おう)(ちよう)を開いた。

 しかしながら、それで男大迹の戦いが終わったわけではなかった。

 (つく)(しの)(しま)(九州)の北部において(つく)(しの)(いわ)()(いわ)()が地方分権を主張した播磨王朝を支持し、越前王朝に反旗を翻した。


 それに対して越前王朝は磐井の征討を決定し、麁鹿火がその大将に名乗り出た。

 それは危険な任務だったが、越前王朝への忠誠心を印象付けるには打って付けで、麁鹿火は一族のためなら、自身も犠牲に出来たし、軍事に精通しているという自負もあった。

 彼は磐井を征討する将軍に任命され、筑紫島から西を思いのまま統治する権限も抜け目なく取り付けた。


 そうして麁鹿火は磐井を見事に討ち果たすと、その征討で取り付けた権限を利用し、誼を通じるためと称して一族の者を百済に出仕させ、韓郷に物部氏の勢力を植え付けていった。

 最終的に彼は謎めいた状況で息絶えたが、こういった死は大豪族の有力者には付き物だった。

 何はともあれ麁鹿火は物部氏の勢力を拡大させた。


 蘇我氏も稲目のおかげで勢力が拡大した。

 真鳥が敗れて大臣の地位は()(せの)()(ひと)()(ひと)に引き継がれた。

 けれども、稲目は男人を失脚させ、自分が大臣となり、大王の直轄地である屯倉(みやけ)の財務に手腕を振るった。


 彼は娘の()(がの)(きた)()(ひめ)(きた)()(ひめ)()(がの)()(あね)(きみ)()(あね)(きみ)を広庭王子に嫁がせ、大王の外戚となるのにも成功した。

 稲目の卓越した観察力と計算高さは外交にも活かされ、彼は最先端の科学技術でもある(ぶつ)(きよう)を国教とするよう主張し、国教化に賛成の崇仏派と反対の排仏派で崇仏論争が起きた。

 稲目は論争の決着を見ることなく他界した。


 手白香王女は広庭王子が独り立ちし、妹たちも男大迹の息子たちと結婚したので、やり残したことはないとして隠居した。

 彼女は丹波国で倭彦王と穏やかな老後を過ごした。

 二人は人生の伴侶として最後まで仲が良かった。



   註


*手白香王女が意祁の時代に全国を巡行する:手白神社の伝承

*倭彦王が誉屋別の来孫とされる:卜部兼方『釈日本紀』

*男大迹が活目や誉田別の血を引く:『上宮記』


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