彼が見せた陰
駅前のマクドナルドの向かいに、古びた喫茶店がある。マクドナルド方が建物の高さがあるけど、どちらの窓からも、向かいの店内を見ることが出来た。
マクドナルドと喫茶店の間に挟まれた道路は、夕暮れ時にはたくさんの人の波で埋められる。窓際に座れば、駅に歩いてくる人の顔まで良く見えるのだ。
電車通勤の人は、必ずこの道を歩いてくるから、待ち合わせにもピッタリだ。
こんな好条件を、私と淳子ちゃんが逃すはずもなく、週に2日くらいは、どちらかの店に入っていた。
「あっ、○○さんが来たよ」
「あの人たち、付き合ってるのかな!?」
知った顔を見つけては、興味深げに声を上げていた。少々ストーカーっぽいが、好奇心旺盛な年頃ということで、見逃して欲しい。
恋の話以外にも、仕事の愚痴や社内の噂話。女の子の好きそうな話題を、飽きもせず延々と喋っている。
喫茶店のバナナジュースが、淳子ちゃんのお気に入り。彼女は、とても友達思いな子だ。というのも、井沢さんが歩いてくるのが見えると――
「あ! 井沢さんが来たよ! 早く行こう!!」
テーブルに残っていた物を、急いで片付ける。積極的に私を引っ張り、ドタバタと店を飛び出した。
改札に通じる地下への階段を下りていく、井沢さんの後を慌てて追いかける。
でも、おかしい。井沢さんの家は、自転車で帰れる場所で、会社から近いはず。自転車通勤のはずなのに、電車通勤かのように、自然な足取りで地下階段を下りていく。
何処へ行くのだろう?
私達はいつも、2番線の電車に乗って帰る。だから、改札を抜けると、自然と“右側”の階段を上っていく。
(井沢さんは、どっちに行ったの? 1番線? 2番線?)
階段を駈け上り、息を切らせて周囲を見渡す。
上り切った場所は、プラットホームの端。2番線に入ってくる電車の、進行方向に位置していた。
つまり、先頭車両の位置。奥まで続くホームを、目を凝らして見る。
「あっちには、いないみたい」
1番線ホームを見て、淳子ちゃんは呟いた。
あれは人違い? 見間違いだった? 首を傾げながら、2番線を先の方へ歩きかけた。
「……あれ? あそこにいるの、井沢さんじゃない?」
彼は、屋根からはみ出たホームの先にいる。
その姿は、人を避けるようようで、少し違和感があった。
どちらともなく、「行こう!」と声にして、ずっと向こうにいる井沢さんに近づく。
「井沢さん!」
隠れんぼの相手を見つけたように、悪戯っぽく声を掛ける。
てっきり、彼は笑ってくれるとか、驚いてくれるとか…。何かしらのリアクションがあると思っていた。
でも、違った。
ハッとした様子で振り向いた彼は、見たことのない、少し怖い顔をしていた。
私達は、見てはいけないものを、見てしまったんだ……。
*
来た電車に3人で乗ってからも、何処かぎこちない。淳子ちゃんは気付いていないようだが、彼の様子はおかしい。
二駅程で淳子が降り、残された井沢さんと私には沈黙が包んだ。これまでにない、重い空気。
「何処まで行くの?」
「うん、ちょっとね……」
問いかけも、適当に濁される。
更に数駅先には、複数の路線が乗り入れている、夕霧駅というターミナル駅があった。
停車しドアが開くと同時に、井沢さんさんが動いた。
「――それじゃ」
一度も笑顔を見せずに、彼は背中を向けた。遠くなる背中を見送りながらも、私の頭の中は疑問で一杯だった。パニックになりかける頭を落ち着かせたいのに、考えが上手く纏まらない。
彼は、『それ以上、何も聞くな』というような、雰囲気を出していた。
会社で初めて彼を見たとき、クールで、ちょっと冷たそうな人だと思った。でも、話してみれば優しくて、最初の印象なんて忘れていた。
どうして、今、あんなに怖い顔をしたのだろう。
(何処に行くの? 何かを隠しているの?)
1人残された電車内。閉じたドアに凭れて、心の中で呟いていた。
*
問いを適当にあしらわれたら、もうそれ以上は聞くこともできない。何となく、蒸し返したらいけない気がするから。
しつこく聞いたら、「お前に関係ねーだろ」とか言われるのかな。
確かに関係ないけど……。解っているけれど、どうしても気になる。だって、彼が好きだから。
その夜のことは、彼自身、無意識だったのだと思う。
仕事用と、それ以外のプライベートな顔、つまり〈素顔〉があるのなら、あれは井沢さんの〈素顔〉だったのだろう。
仕事から解放されて、“オン・オフ”を切り替えていたとか。
1人で考えたところで、答えなど見つかるはずもないのに、勝手に悩んでしまう。
無意識のうちに、気に障ることをしてしまったのかと、不安のまま翌日も出社したけれど、会社での彼はいつも通りだった。
優しい声で、「椎名ちゃん」と呼び、笑顔を向けてくれる。
(気のせいだったのかな?)
違和感を拭いきれないまま、そこにある彼の笑顔を、信じることにした。




