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逢瀬は、プラットホームで。  作者: 椎名美雪
第一章
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静まらない鼓動

 就業時間中は、殆どの営業マンが外出し、事務員だけ。大体、何処の会社でもそうだろうが、「社内にいる暇があったら、得意先を回って来い!」となる 。


 競合が多いから、売り込みは重要だし、それはそれで大変なこと。

 販売課は、主要取引先を回るという営業スタイルだった。ノルマは特になくて、まあ…外で誰が何をしているかとか、ひょっとしたらサボって寝ているかもとか、疑いだしたらキリがない。


 車で、時には電車で、外を動き回っている営業マンたち。月に一度の割合で、遠方へ出張することがあった。しかし、泊まりではなく、直行直帰の日帰りが原則。


 その日、金曜日は、井沢さんは山梨県へ出張をしていた。朝早くの自宅からの直行だから、木曜日に会ったきり。

 いつものように、机に残されたメモを見つめては、電話を待っていた。


 そもそも、私は井沢さんの専属ではないから、彼から掛かる電話は全部1人占めではない。彼が最初にどの事務員を指名するかにより、通話時間も変わってくる。

 たまたま外線を取ったら、彼だった……という時は、今ある要件だけを簡潔に伝え、次の事務員に代わることになるのだ。出来れば、それだけはどうしても避けたいけれど、こればかりは運次第。


 「椎名ちゃん、いっちゃんから電話だよー」


 黒田さんから、待ちに待った電話が回ってきた。

 仕事の用件でも、すごく嬉しい。大好きな人と話せるだけで、幸せな気分になれるから。

 井沢さんは、周囲から“いっちゃん”と呼ばれている。先輩相手に、敬語を無しで話せるようになっても、さすがに愛称で呼ぶ勇気はなくて、ずっと“井沢さん”のままだった。


 「もしもし」

 「あー。疲れた」


 開口一番が、それ。まさか、電話を代わる度に同じリアクションをしているのだろうか? そう考えたら、ちょっぴりおかしい。 

 あの距離を1人で運転していくのは、やっぱり退屈だし疲れるだろう。まずは、「お疲れ様」と。それから、「今、どこにいるの?」と問いかけた。


 「今? 忍野八海だよ。ニジマス定食食べた」


 まさかの観光!? 道すがらとはいえ、羨ましい事には違いない。


 「ずるいっ! いいなあー」


 受話器越しに、つい子供のような声になってしまう。仕事をしている時は、大人を気取って、中身は子供って…どうにもアンバランスだ。


 当初、井沢さんと私の2人で出張する話が出ていた。山梨県にある取引先の事業場には、とてもお世話になっているし、担当者の女性とも仲良くなり、電話の度に、つい仕事とは無関係の世間話で盛り上がったり…。行けるものなら行きたかったけれど、藤村課長が首を縦に振ってくれなかった。


 金、土、日曜を挟んで、3日間も好きな人に会えないなんて、もはや罰ゲームだ。

 恨めしい視線を、こっそりと課長に送る私だった。



 早く会社に行きたいとは、どんな物好きか。週が明けて、待ちに待った出社日。

 毎週月曜日には、必ず朝礼がある。8時30分始業の会社なので、その時刻に合わせて、本部長が朝礼の号令を出すことになっていた。


 定刻になると椅子から立ち上がり、正面――つまり、部長たち上司の机が並ぶ方へ向き直る。

 新人は、それぞれの課の、全ての机と棚を拭いたりする、簡単な掃除が日課とされていた。出社が遅かったり、タイミングが悪いと、席に着き損ねてしまうことがあって……。

 後片づけの間に朝礼が始まってしまうと、静かに滑り込んだ扉の真横とか、フロアの隅で、終わるのを待たなければならなかった。今日の私は、まさにソレだ。


 週末の3日間会えなかった井沢さんは、まだ出社していない様子。

 休みかと気を揉んでいると、木村ちゃんが息を切らせて私の横に滑り込んできた。

 営業本部の扉付近で、目立たないように立っている私に近づき、


 「おはよー、椎名ちゃん。井沢さんね、もうすぐ来るよ」


 悪戯な笑みを残して、扉から近い席の木村ちゃんは、器用にスルスルと人の隙間を縫って行ってしまう。


 (……ん? 井沢さんが来るとか言ってた?)


 耳を通り抜けた言葉を思い出し、振り返ろうとした瞬間、待ち人は音もなく現れた。


 「お は よ」


 右側からスッと現れ、囁くように声を掛けてきた。


 あまりの近さに、ドキリ……! 慌てながら小声で挨拶を返すと、動揺を悟られないように、視線を前に向けた。


 井沢さんは、私の隣に立ち止まったまま、動かなくて――。まさかその場で、私のすぐ隣で朝礼の時間を過ごすなんて思わなかったから、驚きとドキドキで、朝礼の内容なんて頭に入らない。


 彼が着けているコロンが、微かに鼻先を掠めていく。

 彼にとっては何でもない事でも、私には心臓がいくつあっても足りないくらいに緊張している。


 この後、私の心は、見事なまでに井沢さんに奪われることになる。

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