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第9話 1週目の記憶

夜。

旅の途中、街道から少し離れた林の中で、エリーセとアニカは野宿していた。

焚き火は小さく、アニカは少し離れた場所で外套にくるまって眠っている。


エリーセも横になっていた。

枕は、サメちゃんだった。


「……柔らかい」

頬を白い腹へ押しつける。


サメちゃんは仰向けになったまま、片方のヒレを持ち上げた。

ぽん。

エリーセの頭に触れる。

ぽん。

もう一度。


「何?」

ぽん。


「撫でてるの?」

サメちゃんはヒレを下ろした。


エリーセが少し笑う。

「変な子」


目を閉じる。

「おやすみ」


しばらくして呼吸が静かになった。

サメちゃんは動かない。


その視界の端に青白い文字が浮かんでいた。

誰にも見えていない、サメちゃんにだけ見える文字。

その向こうで焚き火が揺れる。


エリーセの黒い髪が白い腹の上に広がっている。

サメちゃんのヒレが。

もう一度だけ。

その頭に触れた。




気がつくと。

石の床だった。

足元には、青く光る巨大な魔法陣。


正面には一人の女。

長い黒髪。

青い瞳。

杖を構えたまま、こちらを見ている。


「…………」

女は動かなかった。


視界の中央に別のものが浮かんでいる。



『 ステータス

  名前:なし

  種族:ぬいぐるみ

  Lv:1

  HP:45

  MP綿:30

  スキル:

  初級水魔法

  綿補充(小)

  転移特典(1)  』


文字と数字。

意味は分からない。


右のヒレを動かす。

ぱた。

左も動かす。

ぱたぱた。


正面の女がわずかに身構えた。

「……何?」


両ヒレを動かす。

ぱたぱたぱた。


「話せないの?」

ヒレが止まる。


女が杖を少し下げた。

やがて近づいてしゃがむ。


指先が頭に触れる。

「布……」


横腹を押される。

へこむ。

戻る。


「中身は綿?」

女は首を傾げた。


こちらも首を傾げる。

「……真似した?」


もう一度。

女が右へ首を傾げる。

サメも右へ傾げる。


女が左へ。

サメも左へ。


「…………」

女の口元が少しだけ緩んだ。


「変な子」


両脇に手が入る。

体が浮く。

そのまま抱き上げられた。


「本当にぬいぐるみなのね」


腕の中、黒い髪が近い。

青い瞳がこちらを見る。

「どうしようか、あなた」


サメは片方のヒレを上げた。


女が目を瞬く。

「……挨拶?」


ヒレを振る。

女はしばらく見たあと。

同じように手を振った。

「こんにちは」


地下室を出る。

階段。

廊下。

木造の家。

窓の外には森。


女はサメを抱いたまま歩いた。

部屋へ入る。

ベッド。

棚。

机。

本。

壁にはローブ。

杖は隅へ立て掛けられた。


女がベッドに腰掛ける。

サメはその隣へ置かれた。


「名前がないと不便ね」

女は腕を組む。


「サメ」

サメが女を見る。


「サメ……ちゃん?」

片方のヒレが上がる。


「それでいい?」

こくり。


女の目が少し丸くなる。

「分かるの?」


もう一度。

こくり。


「じゃあ」

女が指先で頭を撫でた。

「今日からサメちゃんね」


視界の端に文字が一瞬だけ揺れた。


『 ステータス更新

  名前:サメちゃん 』


女はそれを見ていない。


「私はエリーセ」

自分の胸へ手を当てる。

「エリーセ」


次に、サメの頭へ触れる。

「サメちゃん」


もう一度、自分。

「エリーセ」


サメ。

「サメちゃん」

サメちゃんは頷いた。


「よし」

エリーセは満足そうに笑った。



夜。

灯りが消える。

エリーセはベッドへ横になった。

サメちゃんは枕元。


「あなた、寝るの?」

首を傾げる。


「そもそも眠るのかしら」

首を傾げたまま。


「分からないわよね」


エリーセが布団をめくる。

少しだけ考えたあと。

サメちゃんを持ち上げた。

腕の中へ入れる。


「まあ」

頭に頬を寄せる。

「ぬいぐるみなんだから、これでいいでしょう」


サメちゃんはそのまま。

エリーセの呼吸がゆっくりになる。

やがて目を閉じる。


部屋は静かになった。

サメちゃんは動かない。


しばらくして、ヒレが少しだけ動いた。

エリーセの腕に触れる。


そのまま夜が過ぎた。

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