第8話 逃げてみよう
翌朝、森の小屋。
床には箱。
本。
薬。
服。
道具。
アニカが荷物を詰めていた。
「これ持ってくか?」
「いらない」
「これは?」
「必要」
「これは?」
「捨てて」
「基準が分からねーな」
「私のものだから」
「そりゃそうだ」
サメちゃんは部屋の中央に座っていた。
その頭には、なぜかエリーセの小さな布袋が乗っている。
「それは持たなくていいわ」
サメちゃんが首を傾げる。
「あなたは自分だけ持ってきて」
頷く。
エリーセは部屋を見回す。
長く暮らした家。
机。
本棚。
窓。
ベッド。
地下へ続く扉。
少しだけ立ち止まった。
アニカが何も言わず待つ。
エリーセは外套を羽織った。
「行きましょう」
三人は森を出た。
エリーセ。
アニカ。
そしてサメちゃん。
荷物は魔法で浮かせている。
国境まではまだ遠い。
しばらくは草原を進むことになる。
「どこ行く?」
アニカが聞く。
「西」
「雑だな」
「街道沿いに進めば、そのうち隣国へ入れる」
「そのうちって」
「嫌なら別行動でもいいのよ」
「一人にするわけねーだろ」
「そう」
サメちゃんが二人の間を見上げる。
エリーセは抱き上げた。
「あなたは歩かなくていい」
サメちゃんが頷いた。
しばらく進む。
草原の中、道が緩く曲がる場所。
そこで、エリーセが止まった。
アニカも。
前方に人影……騎士。
一人ではない、十数人。
さらに。
左右背後に聖騎士団。
「……待ち伏せか」
アニカが呟く。
エリーセはサメちゃんを抱いたまま周囲を見る。
完全に囲まれている。
騎士の一人が前へ出た。
「魔女エリーセ・ナットヴィンド」
エリーセの目が細くなる。
「名まで知っているのね」
「そしてアニカ」
「有名人だな、あたしら」
騎士は答えない。
「貴様ら魔女は、人々を欺き、邪悪な術を広めている」
アニカが笑う。
「昨日まで薬買ってた連中に言えよ」
「黙れ」
「嫌だね」
エリーセが騎士を見る。
「私たちは国を出るところよ」
「逃亡を認めるわけにはいかない」
「何の罪で?」
「ソヴェリア神に対する異端」
「具体的には?」
沈黙。
エリーセは少し待った。
「……そう」
アニカが横目で見る。
「話すだけ無駄っぽいな」
「ええ」
騎士たちが剣を抜く。
――視界の下から青い光。
エリーセは瞬く。
「サメちゃん!?」
魔法陣が開いていく。
二つ。
三つ。
一瞬だけ逡巡しエリーセはサメちゃんを地面へ下ろした。
サメちゃんがこちらを見る。
エリーセは前方を指した。
サメちゃんはまた前方を向いた。
アニカが一歩下がる。
「おい」
「何?」
「今回は止めねえぞ」
「私も」
魔法陣がさらに開く。
十。
二十。
聖騎士たちの顔色が変わる。
「何だ、あれは」
さらに増える。
風が吹く。
草が地面へ伏せる。
エリーセとアニカは同時に防御魔法を展開する。
「撃て!」
騎士の声。
矢。
魔法。
光。
そのすべてより早くサメちゃんの口が輝く。
――青白い閃光。
草原が昼よりも明るくなる。
轟音。
光が横に薙ぎ払われる。
地面が抉れ、土煙が上がる。
陣形の前方が消え去った。
「今!」
アニカが走る。
エリーセも駆け出す。
サメちゃんがその後を追おうとして。
ぺた。
一歩。
ぺた。
もう一歩。
「っあ!?」
エリーセは振り返る。
魔法を撃った影響か。
サメちゃんの体は少しだけ萎み。
足取りもいつにも増して遅い。
「もう!」
走って戻る。
ひょい。
抱き上げる。
「こういう時まで歩かなくていいの!」
サメちゃんが片方のヒレを上げる。
「挨拶してる場合じゃない!」
背後から声。
追手。
アニカが振り返り。
片手を振る。
紫の魔力が地面を裂いた。
「急げ!」
三人は草原を駆ける。
ある程度離れたところで、新たな騎士たちが進路を塞いだ。
「前!」
アニカが叫ぶ。
エリーセが杖を構える。
だが、腕の中で青い光が灯った。
「サメちゃん?」
先ほどより少ない。
だが確かに、再び魔法陣が開き始める。
アニカが目を見開く。
「もう撃てんのか!?」
サメちゃんが頷く。
「……本当に?」
こくり。
エリーセは一瞬だけ迷った。
正面では騎士たちが武器を構えている。
「なら」
サメちゃんを地面へ下ろす。
「もう一度」
魔法陣が重なる。
一度目ほど巨大ではない。
それでも、騎士たちを吹き飛ばすには十分だった。
青い光が走る。
――爆発。
道が開く。
「行くぞ!」
アニカが駆ける。
エリーセがサメちゃんを拾う。
今度はさらに少し柔らかくなっていた。
それでもヒレは動く。
意識もある。
「……すごいわね、あなた」
サメちゃんが頷いた。
エリーセは少しだけ笑った。
「褒めてないわよ」
サメちゃんが首を傾げた。
日が傾く頃。
三人は小さな丘の裏でようやく足を止めた。
アニカが地面へ倒れ込む。
「……はあっ」
エリーセも座った。
腕の中にはサメちゃん。
普段より少し柔らかい。
「二発撃ったのに」
エリーセが呟いた。
アニカが顔だけこちらへ向ける。
「生きてんな」
「ぬいぐるみに生きてるって言っていいのか分からないけど」
サメちゃんが片方のヒレを上げる。
「元気そうだぞ」
「そうね」
エリーセが腹を軽く押す。
へこむ。
しかし、ゆっくり戻った。
「また増えてる」
アニカが起き上がる。
「何なんだ、その綿」
「分からない」
「魔力か?」
「分からない」
「使い魔なのに?」
「私が召喚しただけよ。作ったわけじゃないもの」
アニカはサメちゃんの頬をつついた。
「お前、自分で分かってる?」
サメちゃんが首を傾げる。
「ははっ。だよな」
エリーセは荷物の中に入れていた綿袋を見る。
結局、今日は一度も使わなかった。
「これからは、少し減らしてもいいかしら」
サメちゃんが首を傾げる。
「でも念のため持っておくわ」
アニカが笑う。
「過保護だな」
「必要なものを持っているだけ」
「はいはい」
エリーセはサメちゃんを抱き直す。
遠く。来た方向には、もう森も都市の城壁も見えない。
アニカが空を見た。
「これからどうする?」
エリーセも見る。
「進むわ」
「西へ?」
「ええ」
「そのうち隣国?」
「そのうち」
アニカが笑った。
「やっぱ雑だな」
サメちゃんが首を傾げる。
エリーセはその頭を撫でた。
「大丈夫」
誰に言ったのか。
自分でも分からなかった。
三人は再び歩き始めた。
国境の向こうへ向かって。




