第12話 異端
朝。
森の小屋には、いつもと変わらない静けさがあった。
窓から差し込む光が床を細く照らし、机の上には薬瓶と乾燥させた薬草、読みかけの本が並んでいる。エリーセは椅子に座り、昨日から続けている薬の配合を書き留めていた。
その後ろでは、サメちゃんがベッドの上に座っている。
しばらくすると、両ヒレを合わせてすりすりと動かし始めた。
「……何?」
エリーセが振り返る。
サメちゃんは片方のヒレを上げた。
「遊びたいの?」
首を傾げる。
「違う?」
また首を傾げる。
「お腹が空いた……はずはないわよね」
返事の代わりに、今度は両ヒレが小さく動いた。
エリーセはしばらく考えたあと、諦めたように笑った。
「やっぱり分からないわ」
椅子を立ち、ベッドへ近づく。サメちゃんの両脇へ手を入れ、そのまま抱き上げた。
「少し休憩しましょうか」
胸元へ引き寄せた、その時だった。
外で何かが倒れる音がした。
エリーセの表情が変わる。
すぐにサメちゃんをベッドへ戻し、壁際に置いていた杖を取った。
「ここにいて」
玄関へ向かい、扉を開く。
そして足を止めた。
「……アニカ?」
小屋の前に人が倒れていた。
黒髪は泥と血で汚れ、服は何か所も裂けている。帽子もなく、肩からはまだ血が流れていた。
「アニカ!」
エリーセは駆け寄り、倒れていた体を起こした。
アニカがゆっくり顔を上げる。
「……よう」
「何があったの」
「街から……追われた」
呼吸が荒い。
エリーセが肩を支えたまま問う。
「誰に?」
答えが返るより先に、森の中から金属音がした。
右。
左。
正面。
そして背後。
木々の隙間から、銀色の鎧が次々と姿を現す。
聖騎士団だった。
十人、二十人。
さらにその奥にもいる。
小屋は完全に包囲されていた。
アニカが力なく笑う。
「……遅かったみてえだな」
エリーセは立ち上がり、杖を構えた。
騎士たちの中から一人が前へ出る。
「魔女エリーセ・ナットヴィンド」
「何の用?」
「ソヴェリア神の名において、お前を拘束する」
エリーセの目が細くなる。
「何の罪で?」
「異端」
「それは罪名ではないわ」
「人々を欺き、邪法を広めた」
「薬を売ったこと?」
騎士の顔が険しくなった。
「黙れ」
後ろでアニカが笑う。
「便利だな、その言葉」
騎士たちが一斉に剣を抜く。
アニカも無理に立ち上がり、片手へ紫の魔力を集めた。
エリーセは一度だけ、小屋を見る。
窓の向こう。
黒い丸い目。
サメちゃんがこちらを見ていた。
エリーセは小さく首を振った。
それから、戦いが始まった。
森の静けさは数秒で消えた。
魔法が木々を裂き、剣が火花を散らし、地面が爆ぜる。
エリーセは正面から迫る剣を氷で止め、そのまま騎士の足元を凍らせた。横から飛んできた炎を杖で散らし、さらに後方から放たれた拘束術を打ち消す。
アニカも傷だらけの体で戦っていた。
紫の魔力をまとわせた一撃で騎士を吹き飛ばし、次の一人を蹴り倒す。
だが、数が多い。
聖騎士だけではない。
神官。
魔術師。
後方支援の兵士。
次々に増えてくる。
アニカの動きが鈍る。
すでに限界に近い。
一人を倒した直後、横から盾が叩きつけられた。
「ぐっ……!」
アニカが地面へ倒れる。
「アニカ!」
エリーセがそちらを向く。
その一瞬。
光の鎖が飛んだ。
腕。
杖を持つ手。
足。
次々に絡みつき、魔封じの術式が展開される。
「離しなさい!」
エリーセは無理に引きちぎろうとしたが、鎖はさらに締まった。
膝をつく。
杖が落ちる。
アニカも数人がかりで地面へ押さえ込まれていた。
その時、小屋の窓に、青い光が灯った。
サメちゃんの頭上に、小さな魔法陣が現れている。
エリーセの顔色が変わった。
「駄目!」
サメちゃんが止まる。
「サメちゃん!」
エリーセは叫んだ。
「今は何もしないで!」
魔法陣が揺れる。
「お願い!」
数秒。
やがて、青い光は少しずつ消えていった。
サメちゃんは動かなかった。
騎士の一人が小屋へ入る。
中を荒らす音。
棚。
机。
床。
しばらくして、その兵士が戻ってきた。
片手にはサメちゃんがいる。
「何だこれは」
兵士が持ち上げる。
サメちゃんは完全に動きを止めていた。
「使い魔か?」
別の騎士が見る。
「ただのぬいぐるみだろ」
エリーセが息を整える。
「……そうよ」
騎士がこちらを見る。
「ただのぬいぐるみ」
少しの間。
兵士はサメちゃんを眺めた。
やがて興味を失ったように、荷物の上へ放り投げる。
サメちゃんは、そのまま動かなかった。




