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第九話

 ジンガは音に吸い寄せられるように、暗い森の中を進んでいた。


 足元では湿った土と落ち葉が重なり、踏み込むたびにざくりと沈む。散発的に小枝が折れる音が響くが、鳥や獣の気配はなく、森は不自然なほどの静けさに沈んでいた。


 その静寂を破るのは、金属がぶつかり合う鋭い響きだった。木々の間に反響し、耳を刺すほど鮮やかに届く。すぐ先では人の怒号や悲鳴が入り乱れ、風に乗って焦げた匂いが押し寄せてきた。


 ジンガにとって夜の闇は、《星幽の兜巾》のおかげで昼と大差ない。暗さに目を奪われることなく、音の方角へと足を速める。


 やがて木々の連なりが途切れた。森を抜けた先に広がるのは踏み鳴らされた一本の馬車道。その中央には、半壊した豪奢な馬車が横たわっていた。


 馬車の周囲では、四人の騎士が必死に剣を振るっていた。鎧に包まれた体は傷だらけで、それでも盾を構え、踏みとどまる。

 だが彼らを取り囲むのは、十や二十ではきかない群れ――小柄な体躯にねじれた腕、濁った瞳をぎらつかせるゴブリンたちだった。


 緑色の肌は幾度も剣に裂かれ、血を散らしても、次の瞬間には再び飛びかかってくる。倒しても倒しても途切れぬ波のように、執拗に馬車へ殺到していた。

 斬り伏せられたゴブリンの躯が、次々と地に積み重なっていく。騎士たちの足がそれを踏み荒らすたびに、泥と血にまみれた死体がぐちゃりと音を立てた。


 生臭さが夜気に濃く漂い、ジンガの喉がひくりと動く。


「……うわっ」


 思わず声が漏れる。ゲームの中なら光の粒子となって消え去ったはずの敵が、現実では肉と血を撒き散らし、死体となって積み上がっている。


 騎士の一人が膝をついた。刃の打ち込みを受け止めきれず、金属が裂ける甲高い音が夜気を震わせる。血に濡れた鎧がきしみ、握っていた盾が土に落ちた。

 瞬間、守りの輪に穴が空いた。群がっていたゴブリンが一斉にその隙へ飛び込み、黒い影が雪崩のように馬車へ殺到する。


 豪奢な馬車の扉が、鋭い爪にこじ開けられる。蝶番が悲鳴をあげ、布張りの内装が爪で裂かれた。中からは小さな悲鳴が響く。

 甲高い笑いをあげた一体が、座席の奥へと腕を伸ばした。白い手首を乱暴につかみ、容赦なく外へと引きずり出す。


 現れたのは、まだ幼さの残る少女だった。十二、三歳ほどか。

 ドレスの裾は泥に引きずられて破れ、金糸のような髪が乱れて肩にかかっている。恐怖に見開かれた瞳は、淡い黄金を宿していた。

 泣き叫ぶ声は、騎士たちの怒号と魔物の咆哮にかき消される。それでもその必死さは、ジンガの耳にははっきりと届いた。


(まずいっ)


 考えるより先に、心臓が跳ねた。

 次の瞬間、ジンガの身体は勝手に動いていた。木陰を蹴り、戦場へ飛び出す。


 その瞬間、騎士たちの目が見開かれ、ゴブリンたちの濁った瞳が一斉にこちらを向いた。

 金属音も怒号も一拍遅れて遠のいたように感じられ、戦場の只中に立ったジンガだけが、すべての視線を浴びていた。


「《アイス・スナイプ》!」


 銃の形に組んだ右手から冷気が弾け、青白い閃光が放たれる。

 氷の弾丸は少女を掴んでいたゴブリンの眉間を正確に撃ち抜き、濁った瞳から光を奪った。


 ジンガは息を継ぐ間もなく、低く呟く。

「《ターゲット・サイト》」


 瞳に淡い光が宿り、視界に赤い光点が浮かび上がる。敵と味方の輪郭が瞬時に識別され、ゴブリンだけが鮮明に縁取られる。

 ジンガは左手をかざし、即座に次の術式を重ねた。


「《フロスト・エクスプロージョン》!」


 光点の群れめがけて凍気が爆ぜ、氷柱が一斉に噴き上がる。

 騎士たちにはかすりもしないまま、ほとんどのゴブリンは瞬時に脚を凍りつかされ、粉砕されて吹き飛んだ。


 ジンガは地を蹴った。

 氷と血の霧を切り裂き、一直線に少女へと走り出す。


 ただ一体――少女のすぐそばにいた小柄な個体だけが、術式の縁から外れていた。

 腰をかがめ、よろめきながらも、濁った瞳をぎらつかせて少女へと腕を伸ばす。


「《ヒール》!」


 ジンガは駆け抜けざまに、片膝をついていた騎士に淡い光を落とす。血が止まり、力を失いかけた腕に再び力が宿った。


「《エア・ドライブ》」


 足元に風が渦巻き、推進力が全身を押し上げる。

 勢いのまま踏み込み、最後の一体へ拳を叩き込む。

 鈍い衝撃音とともに、ゴブリンの顔面は砕け、血飛沫を散らして地面に沈んだ。


 残る気配はもうない。

 取り残された少女が、怯えたように息を呑む。

 大きく見開かれた瞳は、まだ恐怖に縛られている。それでも、助けられたという安堵がにじむのをジンガは見逃さなかった。

 乱れた金糸の髪が頬に張りつき、細い肩が小刻みに震えている。


「ケガはない?」


 ジンガは少女に目線を合わせ、頭を覆っていた兜巾に手をかけた。

 布を払うと、夜風が頬を撫でる。隠されていた素顔が月光に照らされ、少女の瞳に映り込む。


 短く揃えられたダークグレーの髪が戦いの熱気で額に張りつき、黒い瞳がまっすぐにこちらを見ていた。

 その瞳は鋭さを帯びていながら、不思議と恐怖を煽るものではなく、少女の胸にかすかな安堵を生んでいた。

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