第六話
枝葉が頭上を覆い、光は細かな筋となって地面に落ちていた。
木漏れ日は揺れ、湿った大気のなかで淡い緑の模様を刻んでいる。
(……思ったより暗いな)
幹は太く、高く、空を隠すほどに伸びていた。
表面には深い亀裂が走り、その隙間に苔がびっしりと貼り付いている。
一部には樹液が滲み出し、甘い香りを漂わせていた。
足元には褐色の落ち葉が幾層にも重なり、踏むたびに柔らかな音を立てた。
土は水気を含み、ところどころに茸が群れている。
白く細いもの、傘を広げたもの、黒く縮れたもの――形は多様で、陰のなかに彩りを添えていた。
(匂いが濃い……でも悪くないな)
湿気を帯びた空気が頬にまとわりつき、吐く息と混じって重さを増す。
鼻腔には腐葉土の匂いと苔の青臭さ、そこに混じる樹皮の渋みが絶えず流れ込んでいた。
それでも、一息ごとに身体の内側が洗われるようで、不思議と心地よかった。
喉を抜ける冷気は甘く、まるで空気そのものが滋味を含んでいるかのようだった。
(……空気が、うまい)
遠くで枝が軋む低い響きがした。
小さな羽音が不規則に飛び交い、草の間からは昆虫の鳴き声が細く続いている。
ときおり乾いた枝が落ち、地面を打って鋭い音を立てた。
重なり合うざわめきが絶え間なく織り込まれ、この空間を満たしていた。
(静か……なのに、騒がしい)
木の根は地表を這い、進む足を大きく持ち上げさせる。
苔むした倒木は行く手を遮り、乗り越えた際に湿り気が掌に残る。
その冷たさは、土の感触と混じって指先にしつこく絡みついた。
やがて音の調子が変わった。
枝葉のざわめきに混じり、一定のリズムで響く低い音。
(川の音……か?)
木々の合間を抜けると、前方に川が現れた。
幅はさほど広くないが、水量は豊かで、岩を打つたびに白い飛沫が散る。
流れは澄みきり、陽を反射してきらめいていた。
周囲の空気はさらに冷え、肌に触れる風に水気が混じっている。
その岸辺で、黒褐色の影が頭を下げていた。
四つ脚の獣――鹿に似た姿だった。
枝角を小さく揺らし、川面に口をつけて水を啜っている。
(……生きてる)
ジンガの存在に気づいたのか、獣は顔を上げて一瞬こちらを見た。
瞳は澄んで暗く、映るものをそのまま受け止めているようだった。
やがて警戒を解くように身を翻し、草むらへと消えていった。
残された水面はなおもきらめき、流れの音が途切れることなく響いていた。
ジンガはゆっくりと川へ歩み寄る。
しゃがみこみ、掌を差し入れると、冷たさが骨まで染み込んでいく。
指の間から水が零れ落ちる。
両手に掬い上げて口に運んだ。
ひと口ごとに喉の渇きが洗われ、身体の芯へと沁みわたっていく。
味は透明でありながら、不思議な甘みを含んでいた。
(……うまい)
喉の渇きは癒えたが、次の瞬間、腹の奥が小さく鳴った。
水では満たせない空白が、そこに残っている。
静寂の中で自分の身体の音がやけに大きく響き、かすかな心細さを呼び起こした。
(腹、減ったな……)
腹に手を当てながら、掌から零れ落ちる水滴を眺める。
透明な滴は光を受け、すぐに地面へと吸い込まれていった。
そのとき、流れの音に混じって、異質な匂いが鼻を掠めた。
(……なんだ?)
湿った土や苔とは違う、鉄を帯びたような重い匂い。
血に似て、しかしもっと生々しい。
ジンガはわずかに顔を上げた。
川のせせらぎは変わらず響いている。
けれど、その奥で確かに何かが潜んでいる気配があった。




