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第二十二話

「す、すみませんっ! 私が……」

 エリシアはとても焦っていた。

 肩を震わせ、今にも謝罪を重ねそうな彼女に、ジンガは首を振る。


「落ち着け。今やることじゃない」


 短く言い切ると同時に、彼は《星幽の兜巾》を被り直した。

 布が視界を覆った瞬間、闇の輪郭が鋭く浮かび上がる。

 冷静な眼差しが周囲を走り、迫る気配を探り出していく。


 兜巾越しの視界に、闇がゆらりと揺らめいた。

 形を持たぬ影が水路の奥から漂い出し、青白い光点がいくつも瞬く。

 それは目のようであり、虚ろな空洞がこちらを見返しているようにも見えた。


 耳を澄ますと、水滴の音に紛れて低い囁きが混じる。

 言葉ではなく、息だけのような、冷たい風が通り抜けるような声だった。


「この街に……幽霊って文化はあるのか?」

 ジンガは横目に問いかけた。


「っ……」

 返事はなかった。

 エリシアは息を呑んだまま唇を震わせ、恐怖に喉を塞がれている。

 声が出ない。


 その様子を見て、ジンガは小さく息を吐いた。

「……どうやら、あるっぽいな」


 闇の奥から、黒い靄がゆらりと立ち上がった。

 はじめは水蒸気のように見えたが、風もないのに形を変えながら漂っている。

 やがて人の肩や腕のような輪郭を結びかけ、すぐに溶ける。

 中心には二つの青白い光が浮かび、ただ虚ろにこちらを見返していた。


 火球の明かりが届くたび、影は後ろへ逃げるのではなく、逆に光を呑み込むように濃くなっていく。

 水滴の落ちる音が途切れ、耳には低い囁きだけが残った。


(除霊の手段はある……)

 ワールド・クロス・オンラインには、霊媒師に関係した職業も存在している。

 アルケナリウスは後衛の最上位職。

 霊的存在に対応する術式も、もちろん使用することが可能だ。


(だが、本当に“幽霊”なのだとしたら……)

 この世に悔いを残した人物の残留思念。

 そう考えると、何も聞かずに祓ってしまうのが本当に正しいのか――その疑念が胸に残った。


(……試すしかないか)

「《ソウル・コミュニケーション》」

 ジンガの声が落ちると同時に、掌から淡い光が広がった。

 それは炎ではなく、霧のように揺らぎながら空気を震わせる。


 次の瞬間――耳に、割れた声が流れ込んできた。

 男とも女ともつかぬ声が幾重にも重なり、途切れ途切れに響く。


『……たす……け……』

『……なぜ……』

『……あの……ひと……』


 言葉は掠れて判然とせず、意味をつなぎ合わせようとすればするほど霧散していく。

 だが、そこに宿る強烈な感情――悲嘆だけは、はっきりと胸に突き刺さった。


 ジンガは眉をひそめる。

(……情報が断片的すぎる。だが、ここで何かがあったのは確かだ)


「お前は……何をして欲しいんだ?」

 ジンガは静かに問いかけた。


 だが返ってきたのは、答えとは呼べない掠れ声だった。


『……たす……け……』

『……こ…ど…』

『……わた……し……』


 途切れ途切れの響きが水路に溶け、意味を結ぶ前に霧散していく。

 けれど、そこに含まれた強烈な感情だけははっきりしていた。


(……“子供”?)

 掠れた声に混じったその一言に、ジンガの意識が鋭く反応する。


(……そうか。親なのか。子供を残して逝った――それが、この残留思念の源か?)


 次の瞬間、青白い光点がぶるぶると震えた。

 漂う影が裂けるように揺れ、悲嘆と怨嗟が入り混じった叫びが水路に満ちる。


『……あぁぁ……っ!』

『……こど……ま……て……!』


 声は言葉にならず、ただ断片と断末魔のような響きが交錯する。

 冷気が一気に濃くなり、火球の光が押し潰されるように揺らいだ。

 水路全体が震え、壁に張り付いた苔までざわめく。


(不安定になった……! このままじゃ暴走する)


 ジンガは一歩前へ踏み出し、低く息を吐いた。

「《ホーリー・チェーン》」


 その声に応じて、掌から聖なる鎖が迸る。

 白銀の輝きは炎とは異なる神聖さを帯び、闇を裂いて奔った。

 揺らめく影に絡みつき、霊の輪郭を縫い止めていく。


『……あぁぁ……っ!』

 断末魔のような叫びが水路に響く。

 青白い光点が激しく揺れ、鎖は軋みを上げながらも、確かに存在を押さえ込んでいた。


(訴えようとしている……だが、理解してやれない……!)

 ジンガは奥歯を噛みしめ、無力感に胸を締め付けられる。


「その子は――どこにいる!?」

 ジンガの声が水路に響いた。


 縫い止められた影が激しく痙攣し、青白い光点が震える。

 掠れた声が、壁を震わせるように漏れ出した。


『……ミルダ……の……はし……て……』

『……下……層……の……すい……ろ……』


 断片的な音が繋がり、確かに“場所の名”を示していた。


(……地名……? けど、この街の地理なんて俺には……)

 ジンガは眉を寄せる。意味を掴みかけながらも、確信に至れない。

 ただ、その名だけが鮮烈に記憶に刻まれた。


 それが霊の最後の理性だった。


『……ああああぁぁぁ――ッ!』

 影が裂けるように揺れ、光点が狂おしく乱舞する。

 鎖を打ち鳴らすほどに暴れ、冷気が水路全体を駆け抜けた。


 火球の光はかき消され、湿った闇の中で低い囁きが怒号へと変わっていく。


(暴走した……! 今度こそ制御できない!)


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