第十九話
(いかなる者……か)
ジンガはそっと天を仰いだ。
アドリアンの言葉、その中に込められた疑念はもっともだ。
だが――自分自身ですら答えを持っていない。
だからこそ、上手く言葉にすることができなかった。
「答えられぬか?」
オルフェール家の現当主、アドリアン。
彼が重ねた問いは、威圧でも怒気でもなかった。
しかし、その声音には揺るぎない力が宿っていた。
まるで逃げ場を許さぬかのように、広間の静けさがジンガを包み込む。
ジンガは小さく溜息を吐いた。
胸の奥に沈む迷いを吐き出すように。
それからふっと息を吸い直し、背筋を正す。
視線を逸らさず、堂々と口を開いた。
「……私にも、わかりません」
「ほう?」
アドリアンの瞳に、さらなる光が宿った。
叱責でも失望でもない。むしろ、興味深そうに目を細めている。
その視線を受け止めながら、ジンガはゆるやかに首を横に振った。
「そのままの意味です。――優しい人になりたいとは思っていますが」
「……記憶が無いのか?」
アドリアンはゆるやかにカップを口に運び、そのままの姿勢で問いを重ねた。
声は穏やかだったが、その響きには鋭さが潜んでいた。
(優しい人……か)
先ほどの言葉とは裏腹に、アドリアンはその答えを心中で反芻していた。
「いや、そういうわけでは……」
ジンガは一度言いよどみ、小さく首を振った。
「……いや、そういうことにもなりますか」
この世界のことは何も知らない。
前の世界のことも、正直に言えばあまり詳しくない。
今はっきりわかるのは――ワールド・クロス・オンラインという仮想空間に広がっていた世界のことだけだった。
「ふむ……不思議な御仁だな」
アドリアンはカップを卓に戻し、ジンガをじっと見据えた。
「まあ、不思議な状態だとは思います」
ジンガはその視線を受け止めながら、肩を竦めてみせた。
「ジンガ殿は……魔術師なのか?」
アドリアンの声は低く、しかし真っ直ぐだった。
それは単なる興味ではなく、目の前の男を測ろうとする当主の問いかけだった。
「魔術は嗜んでいますが、魔術師を名乗った覚えはありません」
「……エリシアから、とんでもない魔術を使うと聞いたが」
「とんでもないかは、自分で断言できるほどではありません」
「武を嗜んでいるのでは、とも彼女から聞いているが……」
ワールド・クロス・オンラインでのジンガのクラスは、様々な後衛職の極地であるアルケナリウス。
体術ができるから魔術師を名乗らないのではなく、魔術以外の術式をも自由に扱えるから、魔術師を名乗らないのだ。
「それもあるかもしれません。私はあまり、その手の肩書きに興味はないだけです」
ジンガにとって、自らを魔術師として知ってもらうことに意味はなかった。
「行く宛てはあるのか?」
「行かねばならない予定はありません。お察しの通り、何も持ち合わせてはいないので」
故郷も、帰る場所も、生きるべき場所も――今のジンガには存在しない。
(もっとも、“何も持ち合わせていない”というのは語弊があるか)
ワールド・クロス・オンラインで得た装備やアイテムの数々は、《所持品》として手元にあるのだから。
「ならば、この屋敷に泊める代わりに、依頼を受けてもらえないか?」
その問いに、ジンガは思わず目を細めた。
「私ができることなら、お力添えはさせていただきます。
……内容を伺ってもよろしいですか?」
「近頃、この街の地下水路で妙な噂が立っている」
アドリアンの声音は低く落ち着いていた。
「不審な魔術の反応がある、子どもが行方知れずになった、兵が戻らない――
どこまでが事実かは定かではないが、放置はできぬ」
当主らしい厳格な眼差しがジンガを捉える。
「そこで、君の力を借りたい。屋敷に滞在する代わりに、この件を調べてもらえぬか」
「地下水路の調査、ですか……」
ジンガは短く呟き、しばし考え込むように視線を落とした。
(色々試せる、良い機会かもしれない)
街の外で危険に晒されるより、街中の騒動で力を試す方がよほど安全だ。
屋敷にも泊めてくれるのだから、応じぬ理由はなかった。
この街のことは何も知らない。
ましてや地下に何が潜んでいるのかもわからない。
だが――それでも構わない。
顔を上げ、アドリアンを正面から見据える。
「私でお役に立てるのならば、お引き受けいたします」
「そう言ってもらえて助かる」
アドリアンはわずかに笑みを浮かべた。
その瞳には驚きの色はなく、最初からこの答えを予期していたかのようだった。
「では――この依頼の詳細と支援については、エリシアに一任しよう」
アドリアンの言葉は簡潔にして明瞭だった。
「承知しました。お父様」
エリシアは椅子を離れ、軽やかな足取りでジンガの前へ進む。
その様子を見て、ジンガも立ち上がり、片膝をついて彼女と目線を合わせた。
「ジンガ様、よろしくお願いいたします」
金色の髪を揺らしながら、エリシアの瞳には確かな温かさが宿っていた。
「ああ、よろしく。エリシア様」
幼さを感じながらも、貴族としての敬意を欠かすことはない。
その振る舞いを見て、アドリアンはわずかに目を細めた。
その瞳は当主らしく、ジンガの内省を見極めているようだった。




