第十六話
用意された寝室の灯りを消す。辛うじて月明かりが室内を照らしていた。
ジンガは深く息を吐き、枕に頭を沈めた。
硬すぎず柔らかすぎもしない寝具が、背中と体を受け止める。
現実では、機械に囲まれた寝床が当たり前だった。
だからこそ、こうして何もない場所に身を横たえることが、とても新鮮に感じられた。
「……まさか、ちゃんとしたベッドで寝られるとは思わなかったな」
ジンガは《深紺の魔導衣》をはじめとする装備をすべて脱ぎ、用意された寝具に身を投げた。
装備の下には黒いTシャツと黒いズボンを身に着けていた。
それはワールド・クロス・オンラインで初期装備として与えられるもので、武器を持たない場合には必ず強制的に着せられる仕様だった。
「……これも脱ぐことはできる……と」
ジンガは黒いシャツの裾をつまみ、かすかに引いた。
ここは現実。ゲーム内では決して脱ぐことのできなかった黒シャツと黒ズボンも、どうやらただの衣服として扱えるらしい。
(……まあ、全裸趣味はないし)
《星幽の兜巾》を外した彼の瞳には、何も映らなかった。正面にあるはずの天井も、そこに浮かぶかもしれない染みの数も、視界には入らない。
(整理しよう)
この世界は、ゲームではない。ジンガはそう考えていた。
ワールド・クロス・オンラインのマップに該当する街並みは、これまで歩いた限り見当たらなかった。
(魔術は使える。召喚術も)
様々な術式が問題なく発動することは、既に確認済みだ。
(身体もよく動く)
ゲーム外スキルとして身につけた武術的な動きも、身体に自然に馴染んでいる。
エリシアを助けたときもそうだが、判断速度や反応速度が遅れる気配もなかった。
拳を握って開いて、やはり違和感のないことを確認する。
(……このまま眠るのは、もしかして危険かもしれないな)
知らない世界。未知の領域。
そんな場所で寝室を与えられたからといって、無防備に眠ってしまっていいのだろうか。
「《セキュリティ・エリア》」
低く唱える。魔術のひとつ。属性を付けるなら無と呼ばれる分類。
自身が指定した範囲に誰かが踏み込めば、半強制的に身体が回避行動を取る術である。
もっと強力で無慈悲な術を行使することもできる。
だが、それで人を傷つけるのはジンガの望むところではなかった。
術式が発動すると同時に、淡い膜のような感覚が部屋を覆う。
何かがそこに存在すると分かるのに、目には映らない。
不思議な圧が空気に溶け込み、静かに守りを形作っていく。
(……やっと、休める)
まぶたが重くなり、意識が静かに沈んでいく。
動き続ける術式の気配だけが薄く残り、やがてそれすら遠ざかっていった。




