第十四話
エリシアが素顔を晒したことで、城門はあっさりと開かれた。
貴族の娘という肩書きは、それだけで十分な力を帯びているらしい。
城門を越えた途端、外の闇とは別の光が広がった。
石畳を踏みしめる蹄の音が反響し、街灯の炎が橙色の輪を描きながら路地を照らす。明滅する火が壁に影を走らせ、建物の窓から漏れる灯りと溶け合った。
夜だというのに、人の気配は絶えない。
布で覆われた露店の棚からは、まだ片づけきれぬ野菜や果実の匂いが漂っている。酒場の扉が開けば笑い声と楽器の音が弾け、酔客の足取りが路地に影を揺らした。子どもを連れた女の籠から果物の香りが流れ、遠くでは犬の吠える声が響く。
ジンガは耳を澄ませ、肌で街の熱気を感じ取った。
灯火に照らされた街並みは、夜であることを忘れたかのようにざわめき続けている。人の声、車輪の軋み、鉄器の打ち合う音──それらが折り重なり、街全体を震わせていた。
(……眠らない街、ってやつか)
馬車の車輪が石畳を叩き、護衛の騎士が人波を押し分けながら進んでいく。道端から向けられる好奇の視線は、帷に閉ざされた馬車の奥までは届かない。
(治安がいい……)
夜にこれだけの人が歩いている。それはつまり、この街の治安が保たれているということだ。
「すごい注目されてますね」
馬車の壁に映る景色を見ながら、隣に座るエリシアが小さくつぶやいた。
「そうみたいだな。……こういう馬車は珍しいのか?」
ジンガはこの世界の事情に疎い。
自分たちがどう見られているのか、彼には見当もつかなかった。
「珍しいというより……目立つんです。貴族の家紋も掲げていませんし、護衛の数も中途半端。だからこそ余計に気にされるのでしょう」
「なるほど。俺からすれば、どの馬車も大して変わらないように見えるけどな」
ジンガが肩をすくめると、エリシアの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「経験の違い、ですね。街で育った人間にとって、馬車は持ち主の顔そのもの。どの家のものか、どれほどの立場か……一目で分かるものなんです」
「外から見ただけで、か」
ジンガは感心したように呟く。
確かに、現実でもゲームでも、装備や立ち居振る舞いで強さが測れることはあった。だが、馬車というただの移動手段にまで意味を持たせるのは、この世界の感覚だろう。
「つまり俺は、余計に浮いてるってことだな」
「……少なくとも、この街では」
エリシアの声音は静かだったが、その奥にかすかな警告めいた響きがあった。
(頭がいい子だよな)
エリシアとの会話は、とてもではないが、外見通りの見た目で話す内容ではないと思った。
そこら辺は教育の賜物なのだろうか。
「もちろん、珍しさもあります。相まって……ということですね」
エリシアは落ち着いた声音で続ける。
「目立つのはいいことか?」
ジンガが問いかけると、彼女は少しだけ間を置いた。
「場合によります。安心を与えることもあれば、余計な敵意を招くこともありますから」
「……敵意、ね」
ジンガは低く呟き、目を細めた。
避けようのない恨みや憎しみがあることは知っている。だが、できる限り向けられたくはないと感じていた。
(まだ子供だろうに、それを口にするってことは……やっぱり、貴族だからなのかな)
そう思い至り、気になったが、心の中でそっと蓋を閉じた。
エリシアはその様子を横目に見たが、何も言わなかった。
ただ視線を前に戻し、夜の街灯に照らされた通りをじっと見つめていた。
馬車は石畳を抜け、次第に喧噪の少ない道へと進んでいった。
露店や酒場が途切れると、建物は背を高くし、通りには並木が影を落とす。夜風に揺れる葉擦れが、ざわめきの余韻を静かに拭い去っていく。
やがて鉄の門扉が見えた。両脇に灯された松明が橙の炎を揺らし、黒鉄に刻まれた紋章を浮かび上がらせている。
その前には騎士の装いをした門番たちが立ち、こちらの馬車が近づくと槍を構えて合図を送った。
馬車の中にいた護衛の騎士が口を開く。
「止めてくれ」
ジンガは壁に刻まれた紋様へ手を触れ、馬車を止めた。
ちょうど屋敷の門前である。
「では、行ってまいります。ジンガ様はこちらでお待ちください」
エリシアはそう告げて立ち上がった。護衛の騎士たちもそれに倣い、同じように腰を上げる。
彼女が扉に手をかけるより早く、護衛の騎士が先にそれを開け放った。
そしてエリシアを先頭に、一行はジンガを残して鉄の門扉の前へ進み出る。
門番との間でしばし言葉を交わす様子が見えたが、やがて重々しい門扉はゆっくりと開かれた。
エリシアたちはその奥へと姿を消していった。
(まだ幼いのにな、ああやってハッキリした物言いをするんだもんな。
それがこの世界のスタンダードだとしたら、ちょっと優しくないって……そう思うのは俺の常識のせいかな。
でもまあ、貴族だからって可能性も高そうだし……)
自分がエリシアの年のころはどうだっただろうか。
周囲の視線が消え、ひとり取り残されたジンガは、気づけば他人の心配をしていた。




