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心霊食堂 ― 旅立ちは思い出の味で ―  作者: 島崎紗都子
第2章 思いやりのお弁当

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3 あの日に戻れるなら

「お弁当を持たない夫は、会社近くのコンビニでお昼を買いに行き、そこで……」

 深雪の目から涙が落ちた。

「通り魔事件に巻き込まれ、殺されました」

「一ヶ月前に起きた、『駅前広場通り魔殺人事件』ですね」

「はい」

 その事件なら八尋も知っていた。

 駅前のロータリーで、刃物を持った男が突然通行人を襲い、5人が死亡、7人が重軽傷を負った無差別殺傷事件だ。

 この事件は連日のようにテレビで報道され、多くの人がその悲惨さと恐怖に驚いたに違いない。


「私が夫にお弁当を作って持たせていたら、夫は事件に巻き込まれることも、殺されることもなかったんです」

 だから夫が殺されたのは私のせいです、と女は顔に手を当て、声を上げ泣いた。

 大切な人を失った悲しみは当人しか分からない。慰める言葉もなく、八尋は店の隅で身を縮ませた。

「なぜ、あの日私たちは喧嘩をしたのでしょう。いいえ、もっとも私が勝手に夫に当たり散らしていただけ。でももう、夫に謝ることもできない。きっと夫はあの世にも行けず、こんな心の冷たい私を恨んでいるでしょう。どうして夫が食べたいと言ったお弁当を作ってあげなかったのか、後悔してもしきれません」

 カウンターに涙の粒が落ちる。深雪は肩を激しく震わせ嗚咽した。


 こんな重すぎる話を聞かされ、どう対処するのだろう、と八尋はこっそりと一樹の様子を窺う。というか、幽霊の話を聞くのも驚きだったが、こうして生きている者のヘビーな悩み事も聞いているのだと思うと、いったい一樹は何者なのか、ますます謎に思えてきた。

 深雪はうなだれながら泣き続けている。

 さすがの一樹も、この件に関してはお手上げだろうと八尋は思った。

 どんな慰めも彼女の胸には届かない。


 彼女の夫が生き返ることは絶対にあり得ないのだし、生者と死者、互いに住む世界が違ってしまったのだから、もう二度と会うことも会話をすることも叶わない。

 今回ばかりはさすがの一樹には何もできない。後は過ぎて行く時が、深雪の悲しみを少しずつ取り去っていくしかないのだ。

「深雪さん、ご主人様はあなたを恨んだりはしていませんよ。なぜ、大切な妻を恨むのでしょう。むしろ、家族を残していったことに対してひどく悔やんでいます。深雪さんのことを心から案じていますよ」


 一樹さん、彼女の旦那さんのことなど知らないのに、そんなこと言って大丈夫ですか? と、八尋は心の中で思いながらおろおろする。

 案の定、深雪は眉間を寄せ、一樹を睨みつけた。

「そんなわけないです! でたらめを言わないで。そんな慰めなんて」

「慰め? いいえ、私はありのままの事実を言っているだけです」

「事実? どうして? あなたに何が分かるというの」

 一樹は真剣な眼差しで深雪を見つめ返す。

「深雪さんは、なぜここを訪れたのでしょう。信じていただけないのなら、残念ですが私が何を言っても無駄でしょう」


 うわわ。それは確かにそうだけど、一樹さんちょっとそれは突き放した言い方ではないですか? 大丈夫ですか?


 はっきりと一樹に諭され、深雪は大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻す。

「すみません。九重さんには分かるのですか? 夫のことが」

 ええ、と一樹は頷く。

「私のせいで夫は……あの日、お弁当を作ってあげていれば」

 八尋は口を挟むことなく黙ったまま、二人の会話に耳を傾けていた。


 あの時、ああしていればよかった。

 こうしていれば……人生にはそういう選択の岐路は多々ある。けれど、それが大きく、ましてや大切な人の死に関わるとなると、残された者の後悔は計り知れない。

「あの日に戻れるなら、夫にお弁当を作ってあげたい。夫の大好物をたくさん詰めて」

 けれど、どんなにそう願っても、時間を巻き戻すことはできないのだ。

「夫は今どうしているのでしょう? 私の側にいますか? もしいるのなら、夫に謝りたいんです。私の言葉を伝えてはくれませんか?」


 切実な顔で訴えかけてくる深雪に、しかし、一樹は首を横に振る。

「残念ながら、深雪さんの側にはいません」

「では、今どこに」

「差し支えなければ、ご主人様の写真を拝見させていただけますか」

「は、はい」

 深雪はバッグから一枚の写真を取り出し一樹に手渡した。写真には深雪と深雪の夫が笑いながら写っている。幸せそうな笑顔だ。


 手にした写真を一樹はじっと見つめている。時間にして二分か三分ほど。沈黙が続き、深雪は不安そうな目で一樹を見上げた。

 ようやく写真から目を離した一樹は静かな口調で言う。

「ご主人の名前は、直哉なおやさん」

 深雪は目を見開いた。もちろん八尋もだ。なぜ、写真を見ただけで旦那さんの名前が分かったのか。

 深雪から受け取った写真に、旦那さんの名前でも書いてあるかと思ったが、もちろんそういうわけではない。

「どうして、主人の名前を?」

「驚かせてしまいすみません。霊視をしました」

「霊視?」

 聞き慣れない言葉に、八尋と深雪は揃って首を傾げた。


「昔から普通の人にはない感覚、つまり霊感が鋭いんです。霊視をしたいと思う相手を視ただけで、その人のことや背景が視えてしまって。こうして写真を見たり、あるいは相手の名前や生年月日が書かれた紙を見ただけでも」

「はあ……」

「へえ……」

 深雪と八尋は、分かったような、分からないような返事をする。

 一樹は続けた。

「ご主人は、事件が起きた現場にいます。どうやら何か理由があるらしく、そこから動けないようです」


 八尋はひー、と心の中で悲鳴を上げた。そんなことまで分かるのかと。霊視とかいう能力のことも含めて、ますます一樹の正体が謎になってきた。

「そんな、直哉がまだあの現場から動けずにいるなんて」

 深雪はぽろぽろと涙を流す。

「私なら、ご主人を深雪さんの元に連れ戻すお手伝いができます」

「本当ですか! 本当に?」

 思わず、深雪は椅子から立ち上がり身を乗り出した。


「はい。私にお任せください」

「ありがとうございます」

「必ず深雪さんの元へ連れてきて、直哉さんの言葉をあなたに届けましょう」

「お願いします」

「深雪さん、あなたも直哉さんに伝えなければならないことがあるのでしょう?」

「え?」

「とても大切なことを。そうですよね?」

「はい……」

 深雪はこくりと頷いた。


「では、その前にちゃんと召し上がってください。その様子では、ずっと何も口にしていなかったのでしょう。いけませんよ」

「そうですよ。そんなことではご主人だって悲しみます!」

 食事の続きを勧める一樹に続き、八尋も深雪を元気づけるために手を握りしめて言う。

「そうですね。本当にそうだと思います」

 深雪はこぼれる涙を拭い再び箸をとると、食事を続けた。

「お魚、とてもおいしいです。優しい味がする。おいしい……」

 出された食事をすべて平らげた深雪は、一樹に深々と頭を下げ、店を出た。

 二人のやりとりを、店の隅で見ていた八尋は不思議そうな顔をする。


「幽霊だけではなく、今みたいに生きている人の心霊相談ものるんですね」

「そういうこともありますね。心霊がらみの相談なら何でも」

「それで、どうするんですか?」

 一樹は通り魔事件で殺された、深雪のご主人を連れてくると言った。だが、どうやって亡くなった人を連れてくるのだろうか。

「八尋くんにも手伝っていただきたいことがあるのですが、いいでしょうか」

「はい! 僕にできることなら何でもします!」

 と、八尋は即答した。

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