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心霊食堂 ― 旅立ちは思い出の味で ―  作者: 島崎紗都子
第4章 記憶のしょうが焼き

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3 引き寄せられるように

 突然、会社が倒産した。

 先月のお給料も貰えていない。

 おそらく今月分も期待できないだろう。

 なんたって社長が夜逃げ同然で姿をくらましたのだから。まさか、こんなことが実際に自分の身に起きるとは予想だにしなかった。


 さらに、こういう時に限って悪いことは重なるもので、住んでいたアパートも老朽化で建て替えが必要となり、立ち退かざるをえなくなった。

 けれど、収入がないから他のアパートも見つけられず、結果、次の住む場所も決まらないまま路頭に迷う羽目になった。


 しばらくは満喫や友人宅を転々とした生活をしていたが、なけなしの貯金も底をつき、いつまでも友人を頼るわけにもいかない。

 公園で眠るにはこの時期は寒すぎて、下手をすると死ぬ。


 さて、どうしよう。

 お金がない。

 仕事もない。

 運もない。

 重なる不幸に打ちのめされて気力もない。


 これからどうやって暮らしていけばいいのか。やはり、恥を忍んで頭を下げ実家に頼るべきか。

 それ以外の方法が思い浮かばない。

 ちょうど、祖母が突然倒れたと連絡があり、今夜実家に帰る予定だ。

 今後どうするのか、話し合いになるだろう。とはいえ、実家に帰っても辺鄙な田舎町のため就職先は期待できない。


 ああ、お腹空いたな。


 ポケットに手を突っこむと、出てきたのは350円。

 なけなしのお金も、実家に帰るための切符を買ったため、これが正真正銘今の全財産だ。

 何か食べようか。

 コンビニに行けばパンと温かいコーヒーくらいは買える。それだけで腹は満たされないが、実家に戻るまでの我慢だ。


 そんなことを思いながら歩いていると、とてつもなく食欲をかきたてられる、いいにおいが漂ってきて足を止めた。空きっ腹にこのにおいはあんまりだ。

 突然、道路の真ん中で立ち止まったものだから、周りを行く通行人が避けきれず、肩にぶつかってきた。

「す、すみません」

 あからさまに邪魔だ、という目で睨まれ謝りながら頭を下げる。

 おいしそうなにおいが引き金となって、空腹が空腹を呼び、お腹がぐうぐうと鳴り始めた。


 腹を空かせた僕を打ちのめす、このにおいはどこから漂ってくるのか、と辺りを見渡す。どうやら、路地裏の方から流れているようだ。

 誘われるようにして路地裏に足を運び、しばらく歩いたところで、一軒の店の前に立ち止まった。


 食欲をそそるにおいの元はこの店からだ。

 小さいながらも、店構えは洒落た感じの小料理屋。

 小料理屋というと、敷居が高そうで入りづらいというイメージしかなかったが、その店は気取った感じのない外観で、店内からもれる灯も温かみのある雰囲気だった。


 ガラス張りの窓から中を覗ける。

 優しげな光を放つ照明にくつろげる内装。

 店の看板を見ると『想』と書かれていた。

 たった350円しか手持ちがないことも忘れ、引き寄せられるように、おそらく無意識に店の中に足を踏み入れる。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

 ランチ時間とディナーの間という中途半端な時間帯のせいか、店内には客はいなかった。

 回りを見渡し、どこに座ろうかと悩んだが、結局カウンター席に腰をかける。

 座った瞬間、ほっと息がもれた。

 座り心地もいいし店の中は暖かくて落ち着く。


 どうぞ、と差し出された茶をすする。

「温かい……」

 思わずもれた呟き。少しだけ生き返った心地を味わう。

 目の前に備えられているお品書きに手を伸ばし、何を頼もうかと悩む。

 どれもおいしそうで、口の中でじゅるりと唾があふれてくる。しかし、何度も言うが手持ちは350円しかない。


 じっくりと、何が食べられるかを探すようにお品書きを眺めると、豚汁という文字に目が止まった。

 これなら手持ちのお金で食べられそうだ。それに、豚汁なら具もたくさん入っているし、きっと満腹になれるはず。

 もし足りなかったら、お茶をおかわりして腹を膨らませるのだ。

 八尋は顔を上げ、カウンターの向こうに立つ店主を見上げる。

「豚汁をください」

 豚汁だけ頼むというのも、なかなか気が引けるものであった。


 注文はそれだけですか、という顔をされたらどうしようと心配したが、店主は穏やかな笑みで対応してくれた。

 それ以上、余計なことを口にすることもなく、調理に取りかかる。

 注文を済ませ、ようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。

 カウンターの向こうで料理をする店主をぼんやりと眺める。

 軽やかにネギを切る包丁の音。豚汁が入った鍋の蓋を開けた瞬間放たれる白い湯気と、ふわりと漂う味噌の香り。


 思えば、目の前で誰かが作ってくれた食事をとるのはいつ以来だろう。いつもは、スーパーの安売りの弁当や、インスタント麺で済ませてきた。

 お腹がいっぱいになればそれで満足だったから。

「おまたせしました。豚汁です」

 しばらくして、あつあつの湯気がたつ器が目の前に置かれた。

「うまそう」

 と、呟き、たくさんの具と、温かい汁にごくりと唾を飲み込む。


「いただきます」

 箸をとり、手を合わせる。

 器を持ち、まずは一口汁をすすった。

「おいしい」

 自然と言葉がこぼれた。


 うわ、まじうまいよ、この豚汁。


 もっとじっくり味わいたいと思ったが、空腹と冷めてしまうのがもったいないという思いで、がっつくように豚汁を食べた。

 器の中身をすべて飲み干し、再び息をつく。

「ごちそうさまでした」

 きれいに空になった器の底に視線を落とす。


 おいしかった。

 物足りない。

 おかわりしたい。

 もっと食べられたらどんなに幸せだろう。


「豚汁だけで、お腹いっぱいになりましたか?」

 豚汁を食べ終え、一息ついたタイミングを見計らって、店主が話しかけてきた。

 少しばかり気持ちに余裕ができたこともあって、改めて目の前の店主を見て、馬鹿のように口を開けた。


 とんでもない美形だ。整った容貌に細身だけど均整のとれた肢体。そこはかとなく漂う色気。男くさくなく、かといって女性のような、なよなよしたふうも感じられず、中性的な印象。同性の自分でさえ見とれてしまうほどの色男だ。こういっては何だが、料理人ではなく、モデルや俳優でやっていけるのではないか。

 思わず食い入るように見てしまい、はっと我に返る。


「え、まあ……ごちそうさまでした」

 恥ずかしそうに頭に手を当て立ち上がった。

 ポケットに手を突っ込み350円を出してレジのトレイに置く。

「手持ちがあまりなくて」

 と、言ったそばから、なぜこのタイミングでと派手に腹が鳴った。


「おや」

「あはは……実はこれから実家に帰るんですけど、そのチケット代でお金が消えちゃって」

「実家は遠いのですか?」

「新潟です。田舎のばあちゃんの具合があまりよくないらしくて。いつどうなるか分からないから様子を見に行こうと思って」

「それは心配ですね。きっと、八尋くんが顔を見せたら、おばあさまも喜ぶでしょう」


 えっと……あれ?


 八尋はぽりぽりと頬をかく。


 僕、この人に名前、名乗ったっけ? いや、言っていないよな。なんで、僕の名前を知ってるんだ? 何か怖いぞ。


 顔を引きつらせている八尋にはかまわず、店主は続けた。

「ところで、もう少し時間はありますか?」

「え? はい。時間は全然大丈夫ですが……」

「なら、何か食べて行きなさい。新潟までは遠いのだからお腹を空かせたままでは辛いでしょう」

「いや。でも僕、さっきも言ったけど手持ちがなくて」

「ご馳走しますよ。さあ、もう一度座って」


 半ば強引に引き止められ、再びカウンターに座ることになる。

 八尋はきょとんとしながら、肩をすぼめた。

 ええと、この展開はどうとらえたらいいのだろう。

 戸惑いながら落ち着かない様子で店主を見る。

「あの……」


 声をかけた八尋は言葉を飲み込む。

 包丁を握り始めた店主が、リズミカルにキャベツを切り始めた。

 乱れることなく一定のリズムで刻む包丁の音が、こんなにも気持ちのよいものだと初めて知った。

 瞬く間にこんもりとしたキャベツの千切りが完成する。


 それからフライパンを握り油をひく。

 温まってきたフライパンから、じゅっ、と何かを焼く音が聞こえてきた。たちまち漂う醤油の香ばしさ、さらに、生姜の爽やかな香り。

 このにおいは肉だ。

 肉の焼くにおいだ。

 八尋はごくりと喉を鳴らした。

 鮮やかな手つきでフライパンをあやつり、焼き上がった肉を、先程切ったきゃべつの千切りの上にどんとのっけた。

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