4 縁
「どうぞ」
出された皿には山盛りのキャベツと豚肉。しょうが焼きだ。
「どうぞって……」
お金がないと言ったはずなのに、なぜこの人はこんな親切なことをしてくるのだろう。
何か裏があるのではないだろうかと、疑ったが、やはり空腹には勝てなかった。
目の前に旨そうな肉を出されて、見ているだけなんて何の拷問だ。食べ盛りの男子。胃袋は豚汁だけでは物足りないのだ。
「い、いただきます!」
再び箸をとり、しょうが焼きを食べる。
「うまい! うまいよ、うまい!」
八尋は馬鹿のようにうまい、を繰り返す。
せっかく作ってくれたのだから、もっと褒め言葉はないのかと思ったが、本当に心からうまいと思ったものに、余計な言葉はいらないのだ。
涙を流してしょうが焼きにがっつく。それを見ていた店主は嬉しそうに目を細めて微笑んでいる。
「そこまで喜んでもらえるとは、私も嬉しいですね」
「本当に、本当においしいです!」
「ご飯のおかわりはいかがいたしますか?」
「お願いします!」
茶碗を突き出す八尋に、店主はにっこりと笑い、ご飯のおかわりをよそった。
がつがつとまるで、腹ぺこ中学生の勢いと食欲で、八尋はおかわりしたご飯としょうが焼きを胃におさめていった。
最後の肉を口に入れ味わうように噛みしめ飲み込む。
「ごちそうさまでした。最高のご馳走でした」
「喜んでいただけて何よりです。ところで、八尋くん」
「何でしょう?」
「どうしても、行くのですか?」
はい? と、八尋は首を傾げた。
今の言葉はどういう意味だろう。
店主はゆっくりと、視線を窓の向こうへと向けた。
そんな何気ない仕草まで優雅すぎて、思わず見とれてしまう。女性ならもうこの瞬間に恋に落ちてしまうに違いない。
「今夜は吹雪ますよ。例年にない大雪となるはずです」
店主に言われ、八尋は窓に視線をやる。
先程までは、ぱらぱら程度の雪だったが、風が強くなってきたこともあってか、先が見えないくらいの勢いで降っている。
店先の通路も、気がつけば雪が積もり始めていた。
八尋は再び店主に視線を戻す。
「あまり、人の運命に大きく関わるようなことは避けているのですが、こうして私の元を訪れたのも何かの縁なのでしょう」
不思議な顔で八尋は目をぱちくりさせる。
人の運命?
突然何を言い出したのだろう。
「できるなら、実家に帰る日を改めることはできませんか?」
「はあ……でも、祖母のことも気になるから行かないと」
「お祖母様は大丈夫ですよ、と言ってもですか?」
八尋はきょとんとして首を傾げる。
何が大丈夫なのだろう。
会ったばかりだけれど、それでもこの人のいうことなら聞けるかもしれないと思った。だから、理由をきちんと説明をしてくれたら考えるかもしれない。
しかし、店主はいえ、と首を振った。
「何でもありません。おかしなことを言ってしまいましたね。今のは忘れてください」
店主はどこか悲しそうな目で八尋を見る。
「あの……ごちそうさまでした。僕、広田八尋といいます。しょうが焼きは本当においしかったです。もちろん豚汁も。祖母のことが落ち着いたら、またこっちに戻ってきますので、お金はその時に必ず返しに来ます」
「いいのですよ。私が勝手にやったことなのですから」
八尋はぶんぶんと首を振る。
「そうはいきません! 必ずまた来ます」
名残惜しい感じもしたが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
「そうだ待ってください。八尋くん、これをあげます」
店主はチョコレートの包みを二つ手渡してきた。
「チョコ?」
「こちらの赤い包みが八尋くん、青い方は誰かにあげるといいでしょう」
「はあ……」
他の誰かとはどういう意味だろうか。
よく分からないが、曖昧に笑って素直にチョコを受け取る。
後でおやつに食べよう。
そういえば、最近甘いものを食べていなかったから、単純にチョコは嬉しくてありがたい。
実家に帰るのを引き止めたり、おかしなことを言う人でちょっと怖くなったが、自分を心配してくれているからだと思うことにする。
「僕、行きますね。本当に本当に感謝してます。ありがとうございました!」
元気にお礼を言って、八尋は店の扉を開ける。
流れてきた冷気に身を震わせた。
せっかく温まった身体の熱が一気に奪われていく。
「八尋くん、ここに来なさい。必ずここへ、私の元に来なさい」
店主がそう呟いたが、吹き付ける強風のせいで、その声が八尋の耳には届かなかった。
八尋はもう一度振り返り、店主に頭を下げ、店を出た。
もしかしてこの声は?
八尋は休憩室から飛び出し、身を乗り出すようにして、店にやって来た女性の姿を確かめる。
間違いなかった。
店にいるその女性は──。
「母さん! どうしてここにいるの」
しかし、八尋の声に、母はこちらを見ようともしない。
気づかないのか。
いや、そんなはずはない。
八尋の姿は確実に母親の視界に入っているはず。
「母さん!」
もう一度呼びかけ、八尋はおぼつかない足取りで母親の側まで歩いていく。それでも、母は自分のことを見ない。
八尋は立ち止まった。足が床に縫いつけられたかのように、それ以上母に近づけなかった。
僕のことが見えていないはずがない。
なのに、なぜ?
「母さん、僕だよ」
不安な声音で母に呼びかけても、答えてくれるどころか見向きもしない。
ズキン。
またしても、突き刺すような鋭い痛みがこめかみに走り八尋は頭に手を当てその場にうずくまった。
いったい、どうなっているんだ。
うっすら目を開けると、目の前に先ほどとは違う別の光景が広がった。
これは、何だ?
バスの窓枠に頬杖をつき、八尋はぼんやりと流れていく外の景色を眺めていた。とはいっても、すでに陽も落ち外は真っ暗で何も見えない。おまけに吹雪だ。
ただ、時折見える民家の明かりが、降りしきる雪の中にぽつぽつとおぼろげに光っているのが過ぎていくだけ。
車内は静かであった。眠っている者。スマホをいじっている者。イヤホンをして音楽を聴いている者と、それぞれくつろいでいる。
前方の座席では老夫婦が寄り添うように座っていて微笑ましい。
八尋が座る通路を隔てた隣の座席には四歳前後の幼い少女と、少女の母親が座っている。女の子は身体を横たえ、母親の膝を枕代わりにして眠っていた。
時折母親は娘の頭をなでている。
ばちばちと吹き付ける雪が窓を叩いていく。雪はいっそうひどくなっていくような気がした。まさにホワイトアウトであった。
不安になって首を伸ばし、前方を見るとフロントガラスの向こうはほとんど何も見えず、暗闇の中に白い世界が広がっている。
ざわりと得体のしれない不安が胸をよぎる。嫌な予感がした。けれど八尋はぶるっと首を振る。
不吉なことを考えるのはやめよう。余計なことは気にせず、もう眠ってしまおう。
後数時間。眠って起きたら目的地に到着だ。
先程立ち寄った小料理屋の店主のおかげで、腹はじゅうぶんに満たされている。そのせいもあって、目を閉じればいつでも眠れる状態であった。
本当に親切な人だった。見ず知らずの僕に、お腹を空かせているからといって、所持金もないのにご飯を食べさせてくれるなんて。今時そんな人がいるとは。
ああいう人を見ると、自分も他人には優しくなりたい。
誰かを手助けできるような人間でありたいと思った。
そういえば、とポケットに手を突っ込むと、店主がくれたチョコレートが出てきた。
今食べてしまうのはもったいない気がして、小腹が空いたら食べようと、再びポケットにしまう。
身体を左右に揺らして座席に馴染ませる。
寝る体勢を作りリュックを両腕に抱えて頭を垂れる。
すぐに眠りに落ちていった。




