10 さよならのオムライス
一樹の店『想』のカウンターに座る美優は上機嫌に笑っていた。
美優の前のカウンター越しには、エプロン姿の香奈がおどおどした様子で立っている。
香奈はぎこちない仕草で包丁を握り、慣れない手つきで玉ねぎのみじん切りを切っていた。
「こ、こ、こんな感じでいいのかしら。本当にお料理って苦手で、頑張って作ってはいたんだけど……」
苦手と自分で言うだけあって、切られた玉ねぎのみじん切りは不揃いで、みじん切りにはほど遠いものであった。その横に立っていた一樹はにこりと笑う。
「大丈夫ですよ。誰でも苦手なものはあるのだから。それに、みじん切りも上手にできていますよ」
「本当ですか?」
「ええ、指を切らないように気をつけてくださいね」
香奈の隣には一樹が立ち、料理を教えているのだ。
やっぱり一樹さんは優しいな。
「は、はい」
カウンターから腰を浮かせ、美優は母が作る手料理を嬉しそうに眺めていた。メニューはもちろん、美優がリクエストしたオムライスだ。
「下ごしらえはこれで終わりです。では、チキンライスを作りましょう」
「はい!」
香奈は緊張した面持ちでフライパンを手にする。
フライパンにバターを溶かした瞬間、バター特有の芳醇な香りがふわっと店内に広がった。
フライパンの表面にぷつぷつと泡がたち始めたら、みじん切りにした玉ねぎを強火で炒める。玉ねぎが全体に透き通ってきたところで、とり肉、マッシュルームを加えさらに炒める。とり肉の色が変わってきたらケチャップを加え全体に絡める。ご飯を入れ、ほぐすように手早く炒め合わせ、全体に混ざったら皿に盛り、チキンライスの完成だ。
次はチキンライスを包む卵にとりかかる。
卵3個をよくほぐし、塩、こしょう各少々を加えて混ぜる。ここでもフライパンにバターを溶かし卵液を一気に流し入れる。じゅっという音が響いた。半熟程度に火が通ったらフライパンの火をとめ、さきほど皿に盛ったチキンライスの上に卵をくるみ。仕上げにパセリを散らす。
美優ちゃん待望のオムライスのできあがりだ。
「ごめんね美優。やっぱりママ、オムライス上手に作れなかったわ」
言いながら、香奈はカウンターに座っている美優にオムライスを差し出した。もちろん、彼女には美優の姿は視えない。
視える一樹が美優の状況を香奈に伝えているのだ。
『わあ! ママのオムライスだ!』
確かに、チキンライスに卵がくるまれていなくても、いびつであっても、焦げていても、それでも、愛する我が子のために作ったオムライス。愛情が詰まっていて、想像しただけでも優しさに包まれそうだ。
うまくケチャップライスを包みきれなかった卵は固まって焦げてしまったが、それでも、美優はママが作ってくれたオムライスを嬉しそうに頬張った。
『ママ、おいしいよ。とってもおいしい!』
「美優ちゃん、とても喜んで食べていますよ」
一樹は美優が嬉しそうにオムライスを頬張る様子を香奈に伝えた。
「本当ですか? 美優が……私のオムライスを」
香奈は目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
今日は美優との別れの日。だから、笑って娘を送り出そうと思ったのに、涙をこらえられなかった。
「美優、おいしい?」
『うん! すっごくおいしい』
「ごめんね。ママ、美優の好きなもの、たくさん作ってあげればよかった」
『じゃあママ約束して。今度もママの子に生まれてきたら、たくさん、たくさんご飯を作ってくれるって』
一樹は今の美優の言葉をそのまま香奈に伝える。
「約束するわ。そのためにもママ、これからは苦手な料理も頑張って覚えて美優のためにレパートリーを増やすから」
『楽しみだな。ママ、ありがとう……ママ、大好きだよ――』
そう言って、美優の姿がその場からすうっと消えていった。
香奈は顔に手を当て泣き出した。
――またママに会えるまで、しばらくのお別れだね。必ず会えるから。だからママ、泣かないで。
口元に手を押し当て嗚咽する香奈の横で、目を閉じた一樹は手を静かに合わせた。
旅立っていく美優が、迷うことなく安らかに天国へと行けるようにと。
幼い娘を虐待し殺害した罪で、父親の東山剛志が逮捕されるニュースが連日報じられた。
「こういう事件を見ると、やりきれない思いになりますね」
さやえんどうの筋をとる作業をしながら、テレビのニュースを見ていた八尋は手を止めた。
今までこういうニュースを見てもどこか他人ごとのように思っていたが、実際に美優の事件にかかわったことで、八尋自身も重く受け止めるようになった。
今は大勢の人がこの衝撃的なニュースを見て、美優のことを気の毒に思い、児童虐待という事件に憤りを抱くだろう。
しかし、時がたてば徐々に人々の記憶から薄れていく。
今でも美優の可愛らしい笑顔が忘れられない。
思い出すだけで涙がでそうになる。念願の母親のオムライスを食べて美優は成仏したが、本当は生きて母親と再会して欲しかった。
「大丈夫ですか、八尋くん」
八尋はぐすっと鼻をすすった。
「美優ちゃんは、天国に旅立ったんですよね。お母さんと離ればなれになって寂しくないのかな。あちらの世界は美優ちゃんにとって優しい世界でしょうか。笑って過ごせているでしょうか」
死んだことがないから、あちらの世界がどういうところか想像もつかない。
それでも、美優にとって心穏やかに過ごせる所だと信じたい。
目にたまった涙を手の甲で拭い、八尋はさやえんどうの筋とりの作業を再開する。
「八尋くんには、今回の件は酷だったかもしれませんね」
「すみません。全然お役に立てなくて」
「八尋くんの他人を思いやる優しい心は、私も見習わなければいけませんね」
思いもよらないことを一樹に言われ、八尋は目を丸くする。
「やめてください。一樹さんが僕を見習うなんて」
「本当ですよ」
「ちゃんと一樹さんのお役に立てるよう頑張ります」
こういった出来事にも慣れるという言い方は好きではないが、一樹の仕事の迷惑だけはかけないようにしたい。




