6 君を残して行く心残り
直哉はポケットから、事件現場で探し回っていたお守りを取り出した。
『赤ちゃん、だよね。お腹に僕たちの子どもがいるよね?』
あ、と八尋は声を上げた。
ようやく、直哉が必死になって探していたお守りの意味を理解し納得する。
「そうか、そうだったんだ」
直哉と一緒にお守りを探し、見つけたお守りに書かれた文字。それは、安産のお守りだった。
「深雪さん、お腹に赤ちゃんがいますね?」
一樹に指摘され、深雪は驚いた顔でお腹のあたりに手を当てた。
「直哉さんは気づいていたそうですよ」
「直哉が気づいていた?」
『ここのところ具合が悪そうに見えたから、もしかしてと思ったんだ。まだはっきり決まったわけじゃないのに、嬉しくなって。それで僕は仕事場近くの神社に寄りお守りを買い求めた』
直哉は妻の手を優しく撫でた。
「あの日、病院に行ってみようと思っていたの。直哉には、はっきりと赤ちゃんができたって分かってから伝えようと思ったのに……まさか、気づいていたの?」
あたりまえじゃないか、というように直哉は笑った。
『深雪の作ったお弁当を食べたいと思ったのは事実だけど、つらそうにしている深雪には無理して欲しくなかったから、だから、朝も無理に起こそうとはしなかった』
「直哉さんが深雪さんを朝起こさなかったのも、体調を気遣ってのことだったそうですよ」
「私の体調を気遣って……それなのに、私は勝手に直哉が怒っていると勘違いして」
直哉はくしゃりと顔を歪めて笑う。
『深雪は昔からそうだよね。早とちりで、思い込みが激しくて』
「ごめんなさい」
『謝らなければいけないのは僕のほうだ。深雪と子どもを残して行くことになるなんて。本当にばかだよ。この先も深雪たちを守ってあげられない僕は不甲斐なくて悔しい!」
深雪はううん、と首を振る。
「九重さん、きっと、直哉のことだから、私とこの子のことを心配して、自分が死んだことを悔やんでいるのよね?」
まさに、その通りだ。
深雪の目の前に座っている直哉は心底悔しそうに唇を噛んで涙を流している。
「安心して、私、この子をちゃんと育てるから。直哉は何も心配しないで」
直哉の目から涙が落ち、テーブルを濡らした。
「直哉さん」
声を殺して泣く直哉の肩に、一樹は静かに手を添えた。もちろん、相手は幽霊、手を添えても実体はない。
『そうですね。いまさら悔いても、どうにもならないのだから。せっかく一樹さんがこの場を作ってくださったんだ。最後に笑って深雪とお別れをしなければだめですよね』
直哉は袖口で涙を拭った。
『深雪に僕のかわりにその子を頼むと伝えてください。そして、深雪も元気でと。それから、ちょっと寂しいけど、僕のことは早く忘れて、いい人を見つけてと欲しいと』
「分かりました。でもその前に」
一樹は深雪に視線を移す。
「深雪さん、用意していただいたものをお願いします」
と、一樹に促され、深雪はバッグから、包みのようなものを取り出す。その包みを解くと、お弁当箱が出てきた。
『お弁当?』
直哉は目を見開く。
「一樹さんに言われて、直哉のために作ってきたの。全部直哉の好物ばかりを詰めたわ」
『本当かい! ああ、嬉しい。深雪のお弁当が食べられるなんて! はやくお弁当の中身を見せて』
直哉はテーブルから乗り出すように、お弁当のふたを開ける深雪の手元を見る。
「あなたの好きな、甘めの玉子焼きに、豚肉のしそ巻き、ポテトサラダも作ったわ」
『すごい!』
深雪と直哉の邪魔をしないよう、離れた場所から八尋も首を伸ばしてお弁当を覗き込む。
直哉のために、頑張ってお弁当を作ってきたのだろう。
他にもたくさんのおかずが詰められていた。ミニハンバーグに、蓮根の挟み揚げ。インゲンのお浸し、コンニャクの煮物、大根の酢漬け。ご飯はタケノコの炊き込みごはんだ。
『こんなにたくさん! 僕のために作ってくれたんだね。嬉しいよ。あの世へ行く前に、深雪の手料理が食べられるなんて本当に嬉しい』
「直哉、食べて」
と、深雪は直哉の前にお弁当箱を差し出した。
『どれから食べたらいいのか迷ってしまうな』
直哉は箸を手に取り、まずは玉子焼きを頬張った。
『僕の大好きな少し甘めの味付けだ。ああ、冷めてもふわっとしておいしい』
深雪は目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、くすりと笑う。
「直哉のことだから、きっと大好物の玉子焼きを最初に食べてるわね。そうでしょう?」
一樹も笑いながら頷いた。
八尋の目に、直哉がおいしそうにお弁当を食べる姿が映った。
その顔はとても幸せそうであった。
先日のバスの運転手同様、相手は幽霊だから実際にはお弁当の中身は減ることはないのだが、実際に食べているように八尋の目には映っている。
「本当にうまいよ」
「直哉さん、おいしいと言って、喜んでいますよ」
「よかった」
涙を浮かべながら、何度もおいしいを繰り返し、直哉は深雪の手作り弁当をすべて平らげた。
『ありがとう深雪。これで思い残すことはないといえば嘘になるけれど。ずっとここにとどまることはできないんだ。だけど離れても、僕はずっと深雪たちのことを見守っているから――』
そう言って、雅也は深雪の頬に手を添えた。
『そろそろ行くね』
不意に、ろうそくの炎が激しく揺らいだ。
それを見た深雪は顔色を変え、立ち上がった。
「直哉! 待って直哉。愛してた。本当に愛していた。私、直哉と一緒になって幸せだった」
『僕もだよ』
直哉は立ち上がった深雪ひたいに自分のひたいを寄せた。そして、深雪のお腹の辺りに手を当てる。
『この子のことを、よろしく頼むね』
深雪には直哉の姿も見えない。声も聞こえない。
それでも、二人の心は通じ合っているかのようであった。
「子どものことは安心して。私、ちゃんと立派に育ててみせるから」
『ありがとう。だけど、深雪も無理はしてはいけないよ』
「直哉!」
『うん?』
「行かないで。本当はどこにも行って欲しくない。直哉……行かないで!」
振り絞るような声をもらして深雪は泣いた。
八尋はぐすっと鼻をすすった。
突然、夫を失った妻。
妻のお腹に新しい命が芽生え、これから父になるという期待なかばに予期せぬ出来事で命を落とした夫。
笑って別れようなんて無理なのだ。だが、一樹の計らいによって二人は互いの誤解を解き、思いを伝えられた。
こんな素晴らしいことはない。
『ごめんね、深雪』
直哉の指先が深雪の頬に触れ涙を拭う。
『じゃあ、本当に行くよ。元気でね深雪。次の世こそは家族三人で――』
そう言い残し、直哉の姿がその場から消えた。
直哉が消えたと同時に、風もないのにろうそくの炎が、ふっと消えた。




