5 あなたのために
それから二日後の昼過ぎ、『想』に再び溝口深雪がやってきた。
「いらっしゃいませ。この間の! 一樹さん、深雪さんがお見えになりました」
元気よく挨拶をする八尋は、深雪が現れたことを一樹に知らせる。
戸口に立つ深雪は、初めてここへ訪れた時よりも顔色がいいように見えた。
「こんにちは」
「いらっしゃい。お待ちしておりましたよ。どうぞ」
にこやかな笑顔で深雪を出迎えた一樹は、彼女にテーブル席につくよう勧めた。
会釈しながら店に入った深雪は、勧められるまま席につく。
あらかじめテーブルに用意していた、和風のキャンドルスタンドのろうそくが、仄かな光を放っている。
まだ昼を過ぎたばかりの明るい時間。
灯をともしたろうそくを飾るには早すぎるのではと、八尋は訝しむ。
けれど、一樹が用意したからにはきっと何か意味があるのだろうと、あえて問うことはしなかった。
だが、すぐに理由を知る。
「今日は是非、深雪さんに会わせたい方がいます」
「私にですか?」
深雪は店内を見渡した。けれど、彼女の他に客はいない。
「会わせたい人とはどなたでしょう?」
ふふ、と笑って一樹は深雪と、深雪の向かいの席にお茶を置いた。
当然のことながら、深雪は不可解な顔で向かいの席に置かれた湯飲みを見つめる。
「これは?」
「会わせたい方はすでにお見えになっております。深雪さん、あなたの目の前に」
「はい?」
「こちらの席に深雪さんのご主人様、直哉さんが座っていらっしゃいます」
一樹は深雪の向かいの席を示した。深雪は目をぱちくりさせる。
「直哉がここに?」
深雪の瞳が揺れ動く。
いきなり、目の前に亡くなった夫が座っていると言われても、それを視えない人に信じろというほうが無理がある。だが、一樹の言うことは嘘ではない。
八尋の目にも、深雪の前の席に腰かけ、妻に会えた喜びで涙ぐむ直哉の姿が視えていた。
一昨日、事故現場から直哉を店に連れて来たのは、深雪に会わせるためだったのだ。
「直哉さん、あなたがそこにいるということを証明するために、テーブルの上のローソクを揺らしていただけますか?」
一樹が呼びかけた次の瞬間、風もないのにローソクの炎がゆらりと揺れた。
直哉は指示された通り、ろうそくに息を吹きかけたのだ。
店の隅でそれを見ていた八尋はおおっ、と感心した声をもらす。
深雪は口元に手を当てた。
「本当に直哉がいるのですね。そこに?」
「信じていただけるのなら」
「いいえ、疑ったりなどしていません。だって、九重さんの噂は存じておりますもの」
「恐縮です」
「ああ、だからそれでこれを持ってきてくださいと仰ったのですね」
深雪はバッグに手を当てた。
一樹に何かを言われ、用意してきたものがあるらしい。
それはそうと一樹さんの噂って何だ? そんな噂なんて何も知らないぞ。一樹さんって有名な人なのか?
「さっそく、直哉さんとお話をされたらいかがでしょう」
「はい」
と、言ったものの、深雪は口を引き結び、テーブルに置いた自分の手を見つめていた。
頭の中で何から話そうかと考えているのだ。
しばしの沈黙の後、深雪は顔を上げた。
「直哉、ごめんね」
ようやく深雪は口を開く。
一度口を開いてしまえば、後は感情のままに言葉があふれ出た。
深雪には直哉の姿を見ることも、声も聞くことはできないが、直哉には深雪の声も姿も見えているし、聞こえている。
「直哉がお弁当を作って欲しいって言ったのに、作ってあげなくてごめんね。ううん、それだけじゃない。朝もきちんと起きられず、まともに朝食も作らないで、私は本当にだめな妻だった。今さら謝っても遅いけれど……」
深雪は再びうつむき、肩を震わせ嗚咽する。
『泣かないで深雪。そんなことはいいんだ』
「でも、あの日、直哉にお弁当を作っていたら、直哉は殺されずにすんだ。事件に巻き込まれることはなかった!」
直哉は否と首を振る。
『違うんだ深雪。たとえあの日、お弁当を持っていかなくても、僕はあの場で殺されていた。あのね、僕が殺されたのはお昼を買いにコンビニに寄ろうとしたからではないんだ。だから、深雪は自分を責めてはいけない』
直哉はそっと、テーブルに置かれた深雪の手に自分の手を重ねた。
深雪は涙に濡れた顔を上げた。
「直哉さんは、お昼を買いにコンビニに寄ったせいで事件に巻き込まれたわけではないと言っています」
「え?」
泣きはらした目で深雪は一樹を見上げる。




