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其の拾参

 今日は、随分と特異な日だ。

 それが、藍紫からの伝言を聞いた紫乃の感想だった。何しろ、玄がいないのだから。

 半年と少し前の自分からしてみればありえない感想だと思うが、何しろ四月に顔を合わせてからほぼ毎日一緒に行動していたのだ。左側にその存在がない事を不自然に感じるのもおかしな事ではない。

 そして、玄が傍にいないと言う事で、その間は登下校に車を使うのも違和感がある。悪目立ちは避けられないだろうし、何より体を動かさず座っているだけでは、眠り込んでしまうかもしれない。そうなれば一日頭がはっきりしないまま過ごす事になるだろう。どれもこれも、欠点ばかりだ。玄がいなくなる事による利点など、存在しない。中学の時は、それが当たり前だったにもかかわらず。

 今朝早くに風邪を引いてしばらくは動けないと連絡してきた玄とは、それ以降連絡がつかないらしい。誤字脱字だらけのメールだったと言うのだから、その現状は窺い知れる。誰か手の空いている使用人を看病に差し向ける事も考えたが、諸々の理由で却下。風邪で朦朧とした頭で誰かが家の中にいるのを見たら、速攻で警察を呼ばれかねない。

 「お嬢様、準備が完了いたしました」

「そう。ご苦労様」

そんな訳で、今日一日、玄のいない生活だ。


 車が振動と共に発進する。が、門が開かない。車に合わせて守衛が開けるはずの門は今、困り顔の守衛を脇に従え、その威容を存分に見せ付けていた。

「……何が起きているのよ」

「ただいま確認いたします」

紫乃の隣に座っていた護衛が守衛の下へ駆けて行く。二言三言会話した後守衛室を通して門の向こうを覗き込み、何かを見つけて出て行く。と思えば、慌てたように引き返してきた。

「……門の前に猫が陣取っていまして、どうにも動きません。近づくと威嚇する始末でして。今追い払いますから、今しばらくお待ちください」

焦ったように呼吸を荒げた護衛が去っていこうとする。その背中に、半信半疑で問いかけた。

「その猫、もしかして鈴のついた首輪をした黒い猫かしら?」

「……心当たりがお有りですか?」

どうやら当たりのようだ。大方、あの生真面目なガーディアンがそう申し付けたのだろう。言葉は悪いが化け物のように賢いあの猫は、それをしっかりと守ってここに来た。門の前に陣取っているのは、開けろと言う意思表示か。

「構わないわ。門を開けなさい。その後猫が何をしても止めないで」

「わ、わかりました」

護衛を通して守衛に話が言ったのだろう、慌しく門が開き、その奥で、真ん中に陣取っている猫が露になる。紫乃の予想通り、グリムだった。

 車を降りる。慌てて押し留めにきた護衛を跳ね除け、軽い足取りで近寄ってきた黒猫としゃがんで相対する。

「……ガーディアン代理ご苦労様ね、グリム。いつものようにどこからか入ってくればよかったじゃない」

そう言えば、塀の傍にある街路樹は、最近枝を切られたのだったか。どうやら、出入り口を切断されたらしい。

 今後も毎回大きな門を猫一匹のために開け閉めしていては防犯上よろしくない。伝わるかどうか半信半疑ながら、守衛室を指差す。

「……今後は、あそこの窓から出入りするといいわ。守衛さんにはわたしから話を通しておくから」

返答は、身震いと鈴の音だった。ぶるぶると身を震わせた黒猫は、尻尾を誇らしげに立てて車に乗り込んでいく。

「あ、こら!」

「構わないわ。ほら、行くわよ。遅刻するじゃない」

困惑を隠そうともしない護衛に背を向け、グリムを追って車に乗り込む。

 背後で、護衛がため息をついた音がした。


 「あれ、紫乃ちゃん。その黒猫、どしたの?」

今日一日、それも昼休みまでの半日で聞き飽きた問いにウンザリしつつ、もう何度目かになる答えを口にする。

「玄の飼い猫よ。どうもガーディアン代理のつもりらしくて、離れないの」

今朝、紫乃と共に車を降りた黒猫に再三帰るよう指示しても帰らなかった時点で説得は諦め、丁度玄関で見つけた宏緑に事情を話して許可はもらった。が、どこへ行くにも付いて来る黒猫は好奇心の的になって大変だった。すれ違う生徒たちから向けられる視線だけで、もう疲労困憊だ。

「へぇー、賢い猫だね。……撫でても大丈夫?」

手を差し出した茜を余所に紫乃の方を向いた黒猫が、判断を乞うような目をする。

「この人は大丈夫よ」

何となく口に出せば、喜んで撫でられにいくグリム。普段はこんな事はなく、誰彼構わず遊ぶ人懐っこい猫なのだが、今日は使命感に燃えているのだろうか。

「ホントに賢いね」

「……都合の悪い事はわからない振りをするほどに賢いわよ」

本当にわかってないだけかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。

 それに苦笑を返した茜が、心底から不思議そうに呟く。

「それにしても、神木君が風邪なんてすごい違和感あるよね。なんか、あの人は完璧超人な気がしてたよ」

「……そうね。確かに、そんなイメージよね」

紛れもない自分の意見として賛同しながら、内心で頭を振る。

 彼は人間だ。苦痛も怒りも憎悪も何もかも、一人で抱え込んでしまえる強さを持ってしまっただけの、周囲と変わらない、世間からしてみれば酷く矮小で無力な少年。ただほんの少し人と違うだけの、れっきとした人間なのだ。

 「でも、まあ、きっと明日にはけろっとした顔で学校に来そうだね。いつもみたいにちょっと笑いながら」

紫乃の表情は、自分が思っている以上にわかりやすく沈んでいたらしい。励ますような、無理に明るい言葉を聞いて、思わず苦笑いが漏れる。

「……そうね。きっと」

足元から、何かを訴えるような視線がじっと紫乃の顔を見ていた。

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