其の拾弐
玄が言い切った言葉が、室内の空気に伝播していく。その振動が蒼次の元にたどり着いた後、再び空気を振るわせたのは、蒼次の笑い声だった。
ひとしきり笑い終えた後、蒼次はその笑いを顔に貼り付けたまま玄を見る。
「ま、そうだな。……わかった、全部話そう」
笑いを引っ込め、蒼次は再びここではないどこかを見つめる。その目に、玄は見覚えがあった。
あれは、自分と同じ目だ。世界を呪い、憎み、そして自分自身の不甲斐なさを悔やむ目。
「……好きな奴がいた」
だから、ただ黙って玄はそれを聞く。
「中学のときの、一つ上の先輩だった。明るくて、優しくて、誰にでも手を差し伸べるくせに、誰にも譲らねぇ一線も持ってた。自分が一番辛い時でもニコニコ笑って周囲を励ますような奴だ。芯の通った強い奴だったのに、どこか脆くて儚げだった」
ただ黙って、蒼次の抱える何かへ踏み込んでいく。
「そいつは頭がよくて、戦闘技能も高くて、老若男女に好かれる奴だった。オレみたいな、全部投げ出して、逃げ出して、ただ不貞腐れてるだけだった奴に、手が届くわけねぇような。……だから、努力した。そいつに認められたくて、そいつと釣り合うようになりたくて。旧家名家とは縁のねぇ一般人との恋愛を、一ノ瀬の奴らに認めさせるために。投げ出してた勉強を取り返して、逃げ出してた訓練に参加して。幸か不幸か要領だけはよかったからな。半年もしねぇうちに、オレはそいつと肩を並べられるようになった。そいつも認めてくれた。オレの努力も、能力も、そして感情も」
一言語るたびに、蒼次の平坦な声音が崩れていく。
「やっと、手に入れたはずだった。認められる事のねぇ人生の中で、オレを認めてくれる人を。オレを『一ノ瀬の次男』ではなく『蒼次』として見てくれる人を。一ノ瀬の飼い犬として生きてく中で、支えになってくれる幸せを。手に入れて、二度と手放すものかと強く握った。そのつもりだった」
生唾を飲み込む。ここから先が、本題だ。心なしか、空気が重く沈んでいくような気もしてくる。
「……オレとそいつの関係が校内に広がるまで、そう時間はかからなかった。生徒の間で広がれば、次は教師に、そして保護者へと広がってく。オレの世話をしてた使用人たちに伝わるのだって、そう遅くはなかった。けど、大丈夫だと思ってた。まだ幼く、性善説とやらを無意識に信じようとしてたオレは。……バカだったんだ、どうしようもなく」
吐き捨てるように、穢れたものであるように、幼い自分を否定するその感情を、玄は知っている。
「使用人たちはオレとそいつの交際を知り、汚らわしいと吐き捨てた。一ノ瀬家の次男ともあろう人間が、よりにもよってそんな女と交際するとは、ってな。……種を明かせば、そいつには両親がいなくて、後見人からの仕送りを使って暮らしてた。ただ、それだけの事だ。だが、家柄なんてものを後生大事に守り続ける奴らからしてみれば、そう思うに足る条件だった。オレは必死に、今後は全て一ノ瀬の意思に従い、もっと努力し、一ノ瀬の次男として求められる全てに応えるから、彼女だけは奪わないでくれと頼んだ。それが通じると思ってた。……結果は、惨敗だったけどな」
ゆっくりと、蒼次が玄を見る。その向こう側の何か、いや、誰かを。
「……だから、オレは革命を成す。オレ自身が、自由を手にするために。オレがオレとして能力を認められる世の中にするために。オレ自身が、ささやかに、普通の人生を送れる世の中にするために」
自嘲的に鼻を鳴らしてから、蒼次はまるで何かに縋るように、問いを紡いでいく。もう、蒼次は玄など見てはいない。玄を通して、玄への説明という状況を通して、彼女へ自らの意思を告げている。
「……自分勝手と笑うか? 国家転覆を謀る動機がそれだけかと落胆するか? 自分を縛る家柄を壊すために戦うのは、馬鹿な事か? 好きだった女のために革命を起こすのは、愚かな事か?」
ふと、自分の立場に目を向ける。もしも、玄がただの一般人だったなら。紫乃と平和に知り合い、平和に親しくなって、平和に好き合ったとして、それは認められるだろうか。今と同じような立場にいられるだろうか?
答えは否だ。玄が今紫乃の婚約者なんて幸せな立場にいられるのは、玄が神憑きだからだ。他の誰にもない、特異な能力を持っているからに過ぎない。復讐のために戦闘技能を磨いてきたからに過ぎない。どこかで歯車がずれていたら、玄と蒼次の立ち位置は逆だったかもしれない。檻の外で自らの思いを吐き出していたのは玄の方だったかもしれない。
玄がそれを肯定するのは簡単だ。けれど、そうできない理由がある。だから。
「僕には、その善し悪しを断じる事はできません」
「煮え切らない答えだな」
蒼次が無理やり顔に貼り付けた薄ら笑いに、微笑み返す。
「自分の復讐に囚われていた人間に、他人の復讐を否定する権利はないでしょう。けど、僕は僕をそこから引き戻してくれた人たちのために、その復讐を肯定したくない」
言い切った玄の顔を穴が開くほど見つめてから、蒼次は小さく吹き出した。
「真面目な答えだな。その真面目さじゃ、いきなり主人を裏切って革命の手伝いをしろなんて、無理な相談か」
わざわざ牡丹が運んできた料理を持ち上げ、蒼次が立ち上がる。
「ま、気長に説得するさ。お前、夕飯まだか?」
「ええ、まあ」
「それじゃ、後で持ってこさせる」
檻に入れられている事を除けば、研究資料どころか敵対者としてもかなり優遇されているような気がする。まあ、仲間になる事を誘われている身としては、当然の扱いでもあるだろうか。
ふと気になり、好奇心に突き動かされるがまま、扉に手をかけていた蒼次へ尋ねる。
「そういえば、その意中の方は今何を?」
「……死んだよ。オレが殺したも同然だ」
息を呑む。その事実にではない。それを告げた蒼次の声に。
静かな声だった。ただ静かに、怒り狂っていた。
「出すぎた事を聞きました」
「いや、気になるのは当たり前だ。構わねぇ」
けたたましい音を立てて扉が閉まる。
玄以外いなくなった部屋の中で、鉄格子に体重を預けた。
「……我が君らしくありませんでしたね」
扉の後ろ手に閉める。わざわざ待機していたらしい牡丹が料理の盆を受け取るに任せながら、その言葉に苦笑いを浮かべた。
「やっぱりわかったか。あんなに全部曝け出すつもりはなかったんだけどな」
「……似ていましたか?」
傍から聞けば、全く話の繋がらない問いだろう。だが、事情を誰よりもよく知っている蒼次からすれば、苛立たしいほどに的確な問いだ。
「ああ。顔立ちや髪は違うが、目がそっくりだ。あの目に見つめられると、どうも調子が狂う。嘘がつけなくなる」
――――蒼次君、なーんか、嘘ついてるでしょ。
いつだってそうだ。蒼次が隠した事全てを見抜いて、問いただして。蒼次がそれに弱い事もわかっていただろうに。ずるい人だった。
「やっぱ、罪悪感、か」
切れ切れの言葉に隠された裏側を、牡丹は見抜いた。蒼次が何を欲しているのかまで見抜いておいて、それを寄越さない。
「あれは一花琥珀の独断だったのでしょう。我が君が気に病む事はありません」
「あいつらを巻き込んだのはな。けど、玄那を標的にしたのはオレだ」
久し振りに口にした名前は、今も変わらず胸を締め付けた。当たり前だ。あの日から、一日だって忘れた事はないのだから。あの黒い癖毛も、穏やかな微笑も、耳障りの良い声も。何もかも。あの日のままに。
それは、自らが安易な方法に飛びついた代償。今も心臓を締め上げる茨の名前。
ただ、ちょっとした思い付きだった。天啓のような閃き。当時から琥珀が研究していた神降ろしを使って、琥珀と計画していた革命。もしも彼女を神憑きにできたなら、二人で革命を成せる。それでなくても、唯一無二の戦力として一ノ瀬の奴らも認めざるを得ないだろう、と。丁度、現在の玄と紫乃のように。
結果は、最低だった。
上手くいくはずだった。彼女は伊邪那美への適合性が最も高く、その他の神との適合性もある程度ずつ合った。だが、琥珀の暴走で周囲にいた彼女の弟、そして弟の友人たちも巻き込んでしまったが故、伊邪那美は彼女ではなく彼女の弟へ宿り、彼女は精神のせめぎ合いの中、適合していなかった弟の友人たちの惨状に絶望、成功の寸前で自殺。結局、蒼次の手に残ったのは最悪一歩手前の結果だった。
神木玄那。神木夫妻の長女であり、神木玄の姉。
それが、蒼次が唯一見つけた幸せの名前だ。
「……大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない。あいつは玄那じゃねぇ。あの目にも、もう慣れた。もう、大丈夫だ」
自らに言い聞かせるように、呟く。
あいつは玄那じゃない。罪悪感を覚える必要はない。
何度か胸中で呟けば、それで十分だ。もう戸惑う事も、迷う事もない。これまでと同じように、これからも、自らの自由と幸せのために戦うまで。復讐を成し遂げるのだ。
せめて彼女を尊い犠牲だったと言う為に。
「あ、飯一人分追加できるか?」
「可能ですが」
「なら、作って神木玄に届けてくれ」
その提案を聞いた途端、牡丹は笑った。まるで、昔、蒼次に会う前のアルバムのように。
「それなら、闇憑きが喜んでやるでしょう」
その笑みに面食らいながら、かろうじてにやりと笑い返す。
「ああ、あいつ確か神木玄にぞっこんだったか」
その笑みが、自然である事を願いながら。




