其の拾壱
「例えば、さっきの女は鹿山牡丹。年齢は、オレの二つ上で、二十一か。……あいつの母親は、三年前軍高官の甥に殺された」
思わず、体が強張る。
「『目に付いて、殺してみたくなった』――――ただそれだけの理由で。しかも、軍のスキャンダルだ、上から圧力がかかって、『殺人事件』は『事故』になった。当然公表もされず、その甥が誰なのか、その高官が誰なのか、オレですら知り得ない。犯人は、今もどこかで豪勢な食事をしてるだろうさ」
言葉を失った。何か言うべきかもしれないが、何も思い浮かばない。仕方なく、黙って続きを待った。
「次は、そうだな。瑞科瑠璃、水の神憑き。八校襲撃のとき、逃走車の運転をしてた奴だ。オレと同い年だから、十九だな。……あいつは、一家纏めていわれのねぇ内乱陰謀罪で逮捕されてる。母親と祖父母は無期懲役で獄中死、父親はさらにありもしない余罪が積み重なって死刑。瑠璃は罪を逃れたものの放り出されてホームレスだ」
そこで、蒼次は一度言葉を切り、まるで授業のように解説を始めた。
「知ってるかどうかは知らねぇが、旧日本国時代と比べて、今は内乱に関する罪が重い。内乱未遂なら死刑または無期懲役、内乱予備、陰謀罪でも、殺人と同じくらいだ。家族全員、それを適用された。ただ、軍のクーデターに関する情報を拾ったと言うだけで」
何も言わない玄を一瞥してから、蒼次はまた話し始める。
「瑠璃の家は探偵事務所で、副業として情報屋もやってた。その途中で、軍がクーデターを起こすとかなんとかって情報を拾ったらしい。それがばれて、逆にクーデターの首謀者に祭り上げられた。十年前だから、瑠璃が九歳のときか。それ以降は学校にもいかず窃盗やら売春やらで暮らしてた。軍、ひいてはこの国への復讐を誓って、それを糧に。……お前なら、その気持ちはわかるだろ」
頷く。
その通りだ。理解できる。それこそ痛いほどに。ただそれだけを願い、ただそれだけのために生きる。そのためならどんな苦痛も苦痛足り得ず、恐怖も恐怖足り得ない。そうやって、壊れていく。どうしようもないほど堕ちて行く。
玄の反応に満足したのか、蒼次は真顔を一度崩し、笑った。
「幸田橙也、光の神憑きの事はいいだろ。安東翡翠、闇の神憑きの事だが」
薄々予想していたため、無様に取り乱すような事はしない。だが、目を見開くくらいの反応は許して欲しいところだ。
「こう言えば大体わかるか? あいつの父親は、八坂銀輔だった。あいつは、八坂家の一人娘だったんだ。まあ、五年前までは、だが」
八坂銀輔。『八の血統』に連なる分家、八坂家の前当主。五年前、軍上層部の告発によりグローリアとの関係を疑われ、その地位を追われた元警察庁長官。警察庁長官の地位を追われた時点で八坂家当主の地位も弟に譲り、妻とも離婚。一人娘の親権も手放し、今はどこにいるのやら。数の血族内で唯一警察に力のある家の当主としてそれなりに注目されていたはずだが、今は話題にすら上らない。
その、一人娘。
「離婚した時点で八坂の性は失ったから、今は母方の安東を名乗ってる。まあ、そのせいで今まで信頼してた友人共がただの物珍しさで集まってただけだって事を突きつけられ、人間不信に陥ったわけだが」
玄がその部分を知っている事はわかっていたのだろうか、簡潔に話し終えた蒼次は、ここからが本題だとばかりに、もう一度お茶を口に含んだ。
「……八坂銀輔は、冤罪だった。グローリアとは何の関係もなかった。おそらく、軍の利権拡大を批判していた八坂銀輔が邪魔になったんだろ。……そういう事だ」
翡翠が戦う理由。牡丹が、瑠璃が、橙也が戦う理由。確かに、この国が擁する軍は、腐っているのだろう。それを許したのは、数の血族によって一般化した世襲制、旧家名家による上層部の独占かもしれない。
なら、今目の前にいる青年は、何なのだ。この国を治める側の人間でありながら、それを憎む人間たちの中に混じり信用され、あまつさえ自ら剣を取り刃向かう。この矛盾は、何がもたらしたものなのか。
「……高天原の構成員については、わかりました。この国の軍隊が腐敗している事も。ですが、あなたは。この国を治める側の人間であるはずのあなたは、何故ここにいるんです」
沈黙。蒼次は口を閉ざし、ただ黙って玄の顔を見ている。その向こうにある何かを見つめるように。玄を通り越して、別の何かを見ているように。
「……オレは、次男だ」
その言葉の真意を受け取りかね、きょとんと端正な顔を見つめる。
「どれだけ才能があっても、どれだけ努力しても、オレは所詮次男、長男であるあの兄貴を越える事なんてできねぇ。そう言われて育った。オレは兄貴の補欠、保険でしかねえんだと。別にそれを恨んではいねぇよ。オレの方が成績はいい。オレの方が戦闘技能もわずかに高い。魔力量も、濃度も、オレの方が勝ってる。けど、兄貴は確かに才能がある。人心掌握とか駆け引きとか、およそ心理戦と呼べる事に関して、誰にも真似できねぇほどのな。それに、サボり魔で面倒くさがりだが、人を惹き付ける何かがある。それらは、魔術頭として人の上に立ち、人を治めるのに必要不可欠な才能だ。だから、別にオレが魔術頭になれない事は恨んでねぇ。けど、けどな」
そこで一度、言葉を切る。言葉に熱がこもっている事を自覚したのか、一度大きく息を吐き、先程までの平坦な声音に戻った。
「……オレは、小学校入学から中学卒業まで長野にある別荘で暮らしてた。安全確保だとか体の良い建前を用意したところで、実態は囮だ。大事な跡取りを守るために、利用価値の低い次男を警備の薄いところへ置いてそっちを襲わせる。オレは、もしものときは兄貴を守るための人身御供ってわけだ。ま、それはいいんだ。長野の暮らしもそこそこ楽しかった。嫌なのは、わざわざ呼び戻したと思ったら、今度は兄貴のガーディアンをやれと言われた事だ。出来損ないだと持て余して手放したくせに、利用価値が増えたら取り戻す。奴らはオレを息子だと思ってねぇ。使い勝手の良い包丁か何かだ。……お前もガーディアンだ、わかるだろ。ガーディアンに自由はねぇ。主人の傍に四六時中付き従って、主人の都合で動く。外出も食事も、自分の意思なんてねぇ。ただ主人の傍で、外敵から守る盾だ」
そこまで長広舌を振るってから、蒼次は氷点下まで冷め切った声で吐き捨てる。
「……本来の用途で使えねぇなら、手放してくれればよかった。飼い犬だとしても、その程度の自由は与えて欲しかった。だが、あいつらはオレを、一ノ瀬という鎖で雁字搦めに縛り上げ、指先一本動かす事すら許そうとしねぇ」
再びの沈黙。まるで話は終わりだと言わんばかりの沈黙を破るために、最適な言葉を探す。蒼次の言葉、その違和感を的確に突くための。
そして、見つけた。
「……それだけが理由ではないでしょう」
蒼次の精悍な顔が、苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「なんで、わかった」
それが、答えだ。微笑を、深める。
「その程度の恨みでは、彼女たちに認められるはずがないですから」




