其の陸
何となく手を離すのが躊躇われて、繋いだまま三枝邸まで帰り着く。流石に門の前で力を抜けば、玄も手を離した。
努めていつも通りに、問う。
「……玄、夕食を食べていくでしょう?」
「そうだね、お言葉に甘えようか」
そう答えた玄の顔には、すでに微笑みが戻っている。だが、その裏側には何かがありそうで、紫乃は無意識に身構えた。
だが玄は何も言わず、さっさと三枝邸へ入っていく。自身の嫌な予感を思い過ごしと消し飛ばして、後に続いた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「ただいま戻りました。あの、ご当主様はご在宅でしょうか」
いつもなら適当に流す帰宅の挨拶。だが、そこに玄は看過し得ない一言を付け足した。
困惑のし過ぎで何も言えない紫乃を余所に、使用人は素知らぬ顔で答える。
「いらっしゃいますが、現在来客中です。その後にご予定はありませんから、何か報告があるのならば現在のお客様がお帰りになられてからであれば可能でしょう」
「そうですか。わかりました、それまで待たせていただきます」
礼儀として腰を折った玄の向こう側で、角を曲がってきた人影が声を上げる。
「それには及ばない。私はもう帰るのでな」
毅然と背筋を伸ばしてそう告げた人影は、怜悧な雰囲気を少しだけ緩め、笑った。
「奇遇だな、三枝紫乃、神木」
「こんばんは、十塚黄衣様」
代表して頭を下げる。だが、黄衣はそんな礼儀には興味がないらしい。さっさと本題に入っていく。回りくどい玄とは大違いだ。
「私も、八校の警備体制等について話があっただけで、そこまで長引く話でも、何か仕事を依頼したわけでもない。すぐに報告を行っても平気だろう」
「お気遣い感謝します」
深々と頭を下げた玄たちに一声残して、黄衣は玄関から出て行く。それを見送った使用人が、こちらへ向き直った。
「それでは、ご案内いたしましょう。神木殿、お嬢様。こちらへ」
いつの間にか紫乃も参加する事になっていたらしい。目まぐるしい展開に少しだけ嘆息しながら、諦めて玄の後に続いた。
「失礼します」
使用人に連れられて、藍紫の書斎へ足を踏み入れる。あまり見慣れないそこで、藍紫は黙って座っていた。
「まあ、座りなさい」
「失礼します」
いつかのように、向かい合ってソファへ腰掛ける。ここに自分がいる理由も、これから玄が告げる話の内容もわからないままに。
「……それで、報告とはなんだ?」
「一花琥珀とグローリアの件です」
予想だにしなかったその言葉に、紫乃はおろか藍紫さえ目を見開く。
身を乗り出して続きを促した藍紫に従い、玄は続けた。
「本日、国立図書館で、『神降ろし』について調べてきました。細かい事情は省きますが、神降ろしの実験対象となる人間について、わかった事があります」
藍紫は何も言わず、ただ続きを待っている。だが、何も言わないあたり、琥珀の研究内容が神降ろしだった事は知っているのだろうか。そう疑わずにはいられなかった。
「神憑きになるためには、神の魔力との適合率が高ければなりません。その適合率が高い人間は『器を持つ』と言われます。そして、一花琥珀はミストレスに向かって、『最高の器』と漏らしているのを聞きました」
必死に記憶を掘り返す。そんなような言葉を聞いたような聞かなかったような。はっきり覚えていないが、玄が聞いたというのなら言われたのだろう。曖昧な自分に苛立つが、あまり鮮明に覚えていたい記憶でもない。仕方ないと割り切るべきか。
「……つまり、今後も襲われる可能性が高いと言いたいのか?」
「今後、グローリアなどによる襲撃行為が再発する可能性は極めて高いと思われます」
藍紫は黙って玄を見ている。その目に湛えられた光は、まるで獲物を狙う肉食獣のようだ。
「君は、研究対象として襲撃されないのか?」
予想の斜め上を行く質問に、紫乃は歯を食いしばった。思わず、声を上げてしまいそうで。
そんな紫乃とは裏腹に、張本人たる玄は微笑みのまま、答えた。
「現状、そんな気配はありませんね。……おそらく、まだ神憑きを作る段階なのでしょう。出来上がった神憑きについては二の次と言ったところですか」
そこにあった間が何なのか気になるが、今ここで話の腰を折るのは得策ではない。むずりとする舌を甘噛みで抑え、平静な顔を装った。
「……了解した。その旨家の方でも警戒しよう。だが、外出時の事は君に任せる事になるだろう。精進してくれ」
「もちろんです」
特に何が変わったわけでもない。今後三枝邸内の警備は厳しくなるだろうが、そこから一歩でも出れば後は玄に丸投げ。厳重なんだが手薄なんだかわからない警備体制。もちろんぞろぞろと体格のいい護衛を何人も連れて出歩くよりは何倍もいいが、もう一人くらいいてもいいのではないかとも思う。複雑なのだ。
「……それでは、失礼します」
ソファから立ち上がった玄について、書斎を出る。視界の端で過ぎった玄の微笑みは何かを隠しているような、企んでいるような、なんとも言えない表情で。
少しだけ、嫌な予感がした。




