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其の伍

 「一花……って……紫乃ちゃんを誘拐した?」

目を剥いた茜とは対照的に、玄はあくまで静かに答える。

「うん。そもそも、僕が神憑きになったのは六年前、十歳の時。父さんたちが自殺したのは八年前でしょ。計算が合わないよ」

それは初耳だ。そして、紫乃もまた今になって混乱していた。

 一ノ瀬蒼次が元凶だと思っていた。だが、冷静に考えてみれば一花琥珀と何の因縁もないはずがない。むしろ、蒼次よりも深いものがあるはずだ。つまり、今の告白はなんら不思議な事でもない。そこまで思考を巡らせ、落ち着きを取り戻す。

「……あの時の狂乱は、そういう事ね」

「まあ、ね」

それ以上は追求せず、話を元に戻す。この話は、いつか話す気になったときにゆっくり聞けばいいのだから。

「つまり、神木夫妻の理論と、現状行われてる神降ろしには何の関係もないって事?」

茜の落胆したような確認に、紫乃は煮え切らない返答をする。自らの思考を整理する目的で。

「でも、夫妻の理論は前段階なんでしょう? なら、一概にそうとも言えないと思うのだけど」

「ミストレスの意見が正しいと思う」

頭上にクエスチョンマークを浮かべる紫乃と茜の疑問を解消したのは、期待通り玄だった。もっとも、玄がやらなければ解決などできないのだが。

「……僕の両親が自殺した時、研究所のデータは全て消去されてた。存在するはずのバックアップデータなんて、取った形跡すらないほど綺麗さっぱりね。世間一般には、バックアップはなかった事になってる」

何の感情も感じさせない、出会った頃のような微笑みで、玄は続ける。

「けど、そんな事はありえない。研究者どころか、普通の人だって、大事なデータならバックアップを取る。それが生涯を懸けた研究なら尚更だよ」

玄の悪い癖が滲み出た説明に、内心で眉を顰める。重要な部分をすぐには言わず、まるで外側から螺旋を描くような語り口は、理解しやすい事もないが、こうも結論を急いでいる時にやられては苛立たしくて仕方がない。

「父さんたちの研究は、世界中に革命をもたらすものだ。それ故に、個人的な交際のあった三枝家だけじゃなく、一ノ瀬家を筆頭に、一花家や、その他八の血統の本家なんかも投資してた。だからこそ、父さんたちの自殺後、凍結した研究の後始末は一ノ瀬家主導の下、一花家によって行われた」

やっとか。そこまで言われれば、次の言葉を待たずともわかる。

「……一花家が、バックアップデータをくすねた?」

端的な言葉に、玄は微笑みに諌めるような色を加え、首を横に振る。

「一概にそうとは言えないよ。もしかしたら、潜り込んだ一花琥珀が独断で盗み出したかも知れない。バックアップだけじゃなく、父さんたちによって消去されていたという本データ全てを隠したかもしれない。それはわからないけど、そこで盗まれたものが一花琥珀の手に渡ったとすれば、あの天才の事だ、それが禁忌だって事も気づいただろうね。父さんたちの間違いを正し、禁忌の理論を再現する事もできたでしょ。何せ元から実験データも観測記録も揃ってるんだから」

玄が、微笑みを嘲るように歪めて言い放つ。そこで話は終わったのだろう、またしても、図書館にふさわしい沈黙が空間を支配する。

「……辻褄は合ってる。ううん、理論に穴が見つからない。たぶん、それが正解に限りなく近いだろうね」

「……でもこれは、今日の本題じゃないよ。今日の目的は、神降ろしについて調査して、詳細な方法と対抗策を探す事でしょ」

様々に入り組んだ事情を紐解いていたせいで失念していた。自分のうっかりしたミスを悔やむと同時に、これ以上何をしても見つからないと、諦めている自分に気づく。

「それはそうだけど、でも、たぶんこれ以上探しても、さっきのより詳しい記述は見つからないと思うな。『語る事すら禁じられた禁忌』なんだから」

どうやら、茜も同意見だったらしい。口ではああ言いつつ、玄も薄々感じていたのだろう。大人しく、それを受け入れた。

「そうだね。百年前ですら見つからなかったものが、今見つかるわけもないか」

全会一致で、これ以上は徒労と判断する。疲労と達成感が入り混じった沈黙。

 片付けを提案しようと口を開きかけたとき、天井のスピーカーから緩やかな音楽が流れ出した。

『午後六時四十五分となりました、本図書館はまもなく閉館となります……』

「……先を越されたわね。片付けにしましょう」

三々五々立ち上がり、それぞれが持ってきた本を抱えて席を立つ。置いたままの荷物は、伊邪那美に見ていてもらう事にした。

〈任せるがよいの〉

平らな胸を張った伊邪那美を残し、本棚の森へ足を踏み入れた。


 随分と混み合った電車に揺られ、やっとの事で神奈川県第八区画十一区の駅にたどり着く。東京と比べれば格段に人の少ないホームから改札を抜け、駅を出る。午後八時となれば日はとっくに沈み、肌寒い空気が満ちていた。

 三枝家があるのは、元より人の多い方面ではない。駅から五分も歩けば、人通りはほぼ絶える。ぼんやりと照らされた薄暗闇を、二人並んで歩く。

「……神木」

ここが絶好の機会だと判断し、口火を切る。最後の最後まで、尋ねていい事なのか迷いながら。

「どうしたの?」

「あなたの両親が自殺した理由って、やっぱり、神降ろしが原因なのかしら」

言ってしまってから、猛烈な後悔が押し寄せる。今更どうこうなるわけではないが、せめて忘れてくれと伝えるために玄の方を向き、口を閉じた。

 玄は、ただ微笑んでいた。紫乃を安心させるように、自分は大丈夫だとでも言うように。

「自分たちの研究が禁忌に至るものだと知っていたなら、そうだろうね。人生を懸けて、娘も息子も顧みずに研究した内容が間違っていた上に、その正解は語るのも厭われる禁忌。絶望してもおかしくはないよ。禁忌だとばれたら、学会からの追放は免れないだろうし」

まるで他人事だとでも言いたげに肩をすくめて歩き続ける玄。だが、少しだけ大股になったその歩幅は、背を向ける事で何かを隠しているようで。いつも隣だったその姿が視界の中にある事が、少しだけ意外で、少しだけ腹立たしかった。

 玄に合わせた無理やりな大股で隣に並び、その右手を掴む。そのまま追い抜き、顔を背けた。

「……今更わたし相手に隠す必要もないでしょう」

返答はない。ただ、少しだけ右手が温かくなった。

「……それでも、生きてて欲しかったんだ」

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