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其の肆

 茜が抱えていた量と負けず劣らずの山を抱え、元いた席に戻る。そこで、伊邪那美相手に何かを話していた茜が顔を上げ、紫乃の現状を見て笑った。

「たくさん持ってきたね」

「ええ。あまり、期待はできそうに無いけれど」

言いながら、腰を下ろす。同じように何冊か持ってきた玄も、同じように腰を下ろした。

「紫乃ちゃん、神木君。伊邪那美様と話してわかったんだけど」

神妙な顔の茜が、ぽつぽつと話し出す。本の山を切り崩す手を止めて、そちらを見やった。

「この論文はね、神降ろしというより、神降ろしに至る前段階と言うべきものだよ」

その言葉の意味を捉えかね、鸚鵡返しにする。

「前段階?」

「うん。おそらくだけど、ここに書かれてる『自然性魔力』は、神の残滓。『神として存在していた残り滓』の事だと思う。神が、少し前までそこに存在した名残って言えばいいかな。それを『自然由来の魔力』って勘違いしたから、おかしな事になってるんだと思う」

それは理解した。だが、それがどう『前段階』という言葉に繋がるのかがわからない。

 そんな無言の疑問を察したわけではあるまいが、茜は続けた。

「その勘違いを前提に聞いてね。『自然性魔力と一口に言っても、魔術系統と同じように系統が分かれている』。『自然性魔力には個体により適合率があり、より適合率が高ければ自然性魔力を受け入れる《器》を持つと言える』」

その文言には、覚えがあった。

「……神憑きの特徴、よね」

「うん。これを踏み台にして、現状何者かが行っている神降ろしは成り立ってると思う。あたしが昔見たのも、この記述だったんだ……」

その、『何者か』は、十中八九一ノ瀬蒼次だろう。彼の頭脳なら、可能性は高い。

 と、そこまで黙って持ってきた本をめくっていた玄が声を上げた。

「ちょっと、いいかな」

だが、問いを投げかけた割りにその視線は本のページに固定されていて、本当に玄が発したものなのか少し迷ってしまった。

「ここ、見てくれる」

だが、そんな迷いは杞憂に終わる。視線が集中した事を感じ取った玄はすぐに、開いていた本を差し出し、一点を指差す。

 見えないのだろう、小柄な体を乗り出して覗き込んでいる伊邪那美にもわかるよう、声に出して読む。

「……『現在最強の魔術は、禁忌中の禁忌として口に出すのも憚られる、かの神を神とも思わぬ魔術とされるが、それを行うどころか語る事すら禁じられている』」

何の事は無い、よくある思わせぶりな記述だ。だがその一点、ある一言が目を引いた。藁にも縋るような気持ちで、口を開く。

「……これは?」

「持ってきたうちの一つ、『古代魔術研究』っていう、古い本。発行は二〇〇〇年」

今から七十年前だ。古代魔術と言うことは、古い時代の魔術を研究したものなのだろう。つまり、古い時代の魔術なら、神降ろしが存在していた可能性がある。問題は、どこに書かれているかだが。

 その一文から順当に考えれば、あの本だ。

「問題は、語る事すら禁じられてるって書いてあるから、そこらの本には書いてない可能性が高いね」

「当てはあるわ」

本を持ってくる際、一瞥して切り捨てたあの本ならば。

 騒がしくならないギリギリのラインで飛び出す。何となくの記憶で本棚の間を突き抜け、ひっそりと静まった一角で、それをひったくるように抜き出した。

 慌てて戻ってみれば、ぽかんとした顔で玄と茜が待っていた。

「……どうしたの?」

「この本なら、多分載っていると思って」

息せき切って戻ってきた自分を押し留め、本にまみれた机の上に新たに重ねる。その古めかしい本の題名を見て、茜が納得したように声を上げた。

「『古代魔術禁忌目録』……確かに載ってるかもね」

その言葉に頷いて見せながら、逸る心を抑えながらページをめくる。紙の手触りすら古く、下手に扱えば端から崩れていってしまうような気になった。

「目次……には、無いわね」

落胆した気分を、玄が持ち上げる。

「これじゃない? ほら、『最大の禁忌について』」

その細く骨ばった指が指し示したのは、一番後ろに記されている一文。

「さっきの本に書いてあったのは『禁忌中の禁忌』だもんね、ありえるよ」

その言葉に従って、記されたページを探す。古びたそれは、中身まであまり読みやすいとは言えなさそうだ。

「千百二十、ここね」

大きく開く。その内容を見て、一様に眉を顰めた。

「……読みにくいね……」

「これ、いつの本?」

一番後ろの奥付を開く。そこにあった日付は、にわかには信じられないものだ。

「昭和二十七年十月三日、初版発行」

「……何年前?」

慣れない計算で頭を埋め尽くす。

「百十八年前ね」

「そんなのが、なんで開架に。普通書庫にいれておくようなものじゃないの?」

「わからないわよ。そこまで重要視されなかったとかじゃないのかしら?」

それぞれが好き勝手いいながら、一つの本を覗きこむ。

 そして、紫乃は自分の判断が正解だと知った。

 やはり一人あぶれて頬を膨らませている伊邪那美にも伝わるよう、声に出す。

「『最大の禁忌、現在においてそれは『神降ろし』の事を指す。神降ろしとは自然界の中をたゆたう神々を人の身に縫いつけ、その膨大かつ特殊な魔術を行使せんとする最悪の理論であり、その記述が世に現れたのは明治の頃である。が、すぐにそれは禁じられ、提唱し実行した魔術学者も捕縛、死罪とされた。以来、禁忌中の禁忌として、語り継ぐ事さえ厭われる最悪かつ最強の魔術とされている』」

当たりだ。ここまできて、ようやく光が見えたという事か。

「続きは? 紫乃ちゃん」

「え、ええ。……『神降ろしは神を適合者(器を持つ者と呼ばれる)の魔力と融合させる。神を宿した者はその魂が神と同一化し、以降二度と離れる事はない。神が適合者から離れる時は、適合者の肉体が死滅した時であるとされる。また、神を宿した人を殺した際、殺害者が適合者であった場合にのみ、殺害された人が持つ神は殺害者へ渡る』」

あまり喜んで読み進めたくなる内容ではない。だが、ここでやめては今までの苦労が水の泡だ。一度大きく息を吸い、続きへ目をやる。

「『神は魔術が持つ系統と同じだけ存在し、一口に適合者と言えど神によって適合と不適合が異なる。また、普通適合者は一柱の神にしか適合しないが、稀に二柱以上の神と適合する者もいる。その者は自らの肉体と魔力が許す限りの数、神を宿す事も理論上可能だが、後述の副作用が出やすく、肉体の疲労や魔力の減少によって簡単に化け物へと堕落する』」

副作用。あまりにも不気味なその一言が、紫乃の中で躊躇いとなって次の文へ移るのを拒ませる。

 降りた沈黙を破ったのは、玄だった。

「……ミストレス、続きをお願い」

その声の響きがあまりにも苦しそうで、思わずその顔を凝視する。

 玄は、唇を噛み締め、ただ何かに耐えるように、紫乃の言葉を待っていた。

「……わかったわ。『ここまで記した事は、神降ろしの、いわば利点である。神降ろしは、適合さえすれば、神の膨大な魔力と強大な魔術を行使できる、野心家の魔術使であれば喉から手が出るほどに欲しい魔術だ。だが、利点ばかりではない。この世の全てと同じように、利点があれば欠点がある。神降ろしの欠点は、利点と同じように強大だ』」

ふと、本が震えている事に気づく。怪訝な目で周囲に原因を探せば、自らの手が微細に震えていた。そんな自分に、自嘲的な笑いがこみ上げる。数多のテロリストと対峙した時も焦りや不安こそあれ恐怖はなかったが、今はそれ以上だというのか。

 大きく息を吸って。

「『……神降ろしは、幾度も述べたように神を宿す。神には意識がある。自我がある。神が、おいそれと人に宿されてくれるはずも無い。神降ろしの儀によって神は人の中に捻じ込まれる。そこで、神の意識を人が屈服させられれば、晴れて成功となる。だが、もしも神の意識に人が敗北した場合、そもそも適合していなかった場合、適合率が低かった場合、前述のように多数の神を宿した者が魔力切れを起こした場合、副作用として、人の精神、つまり魂が汚染される。魂の汚染によって人は人でなくなり、神は消え去る。だが一度汚染された魂は元に戻らず、ただ周囲への破壊衝動のみを残す人ならざる化け物と化すのだ』」

口を閉じる。この先は、締めの文言だ。つまり、これでここに書かれた神降ろしについての記述は終わりという事になる。

「……そっか、常盤たちはそれで……」

ぼそりと零れ落ちたその呟きは拾い上げない。それが、玄がいまだ一向に語ろうとしない過去の中核を成すものだと悟ったから。そこに踏み込んでいいはずが無いと察したから。

「これだけ?」

「ええ。後は『理論の概念はここに記した通りだが、これを成す方法や実際に使用する魔術の内容などはどんな文献を探せど出てこなかった。語る事すら避けられる禁忌は、こうして風化させていくのが一番いいだろう』って結びの文だけ」

「そっかー……あれ、でも、そうするとおかしくない?」

思考がこんがらがったのか、きょとんとした表情で茜が首を傾げる。その様子から言葉にするにはまだ時間がかかると判断し、紫乃は黙って次を待った。玄は、何も言わずただ黙り込んでいる。

「……神木君という実績がここにあるのに、理論自体は闇の中……って事になるよね? ……って事は、やっぱり、神木夫妻は理論を完成させてた?」

その混乱の理由を汲み取り、玄をちらりと見やる。紫乃とて、確証があるわけではない。だが、抱えている一つの可能性が、混乱を防いでいた。

「……一つ、思い違いがあるみたいだね」

静かに、静かすぎるほど冷静に玄が口を開く。

「え、何?」

身を乗り出した茜を押し留め、玄は微笑む。冷たく、酷薄に。

「僕を実験台にしたのは両親じゃない。一花琥珀だよ」

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