其の参
茜が告げた衝撃的な言葉に、しばし思考が凍結する。その沈黙を破ったのは、玄だった。
「どういう意味?」
その問いに待ってましたとばかりに頷いた茜は、黒縁眼鏡を押し上げ、話し出した。
「この論文の内容は、題名通り『自然性魔力の利用による魔術性能の底上げ』について。確かに、『神というべき魔力』というセンテンスは出てくるけど、『神』についてはそれだけ。多分、これを受け取った側はここに過剰反応したんだろうね。……で、肝心の内容だけど。まず、実験対象者を組み上げた魔術陣の上に寝かせる。そして、特定の魔術によって、自然界に存在する人間由来ではない魔力を対象者に流し込む。これによって、対象者が生来保有する魔力をより多く、より濃くする。つまり使用できる魔術の性能を底上げする」
なるほど。世間が騒ぎ立てるのも頷ける、独創的な研究だ。だが、紫乃が知っている神降ろしとは、まったく別のもののように思える。
「この論文の中では、自然界に漂っている魔力の事を、『まるで神と言うべき魔力』って表現してる。多分、この一文から『神降ろし』なんて呼ばれるようになったんだろうけど、これは、あたしが想像していた神降ろしとは別物だよ」
嘆息するように呟いた茜の言葉尻に被せるように、玄が促す。
「それで、何が違うの? 聞くところ、その『自然性魔力』が神なんでしょ? なら、あまり変わりは無いように思えるけど」
「ううん、全然違うんだよ」
玄の言葉を、茜が真っ向から否定する。
「ここに出てくる『自然性魔力』には、意識なんて無いはずなんだ。この『自然性魔力』は神様なんかじゃない。その辺の木々や風、雲、動物なんかが生命活動の中で放出した余剰魔力の塊なんだよ」
「それにね、神木」
茜が説明しなかった事を察し、代わりに口に出す。
「その理論だと、元々使用できる魔術の威力を底上げする事は出来ても、通常使えない特殊な魔術を使う事は不可能なのよ」
つまり、この理論では玄の現状を説明する事は不可能。
紫乃がその結論に達したのとほぼ同時に、きょろきょろと辺りを見回していた玄が呟く。
「『顕現』」
いつか見た光景と同じように闇が渦巻き、人の形を取った。
恐ろしく長い黒髪を持つ、小柄で華奢な体躯の女性。袂が不釣合いに大きいぶかぶかの和服を左前で着ている。記憶にある通りの姿。
「伊邪那美。馬鹿な質問をするけど、君に意識はあるよね」
突如出現した女性に目を丸くしている茜に興味を引かれていたのだろう。伊邪那美は呆れを隠そうともせずに玄を見上げた。
〈当たり前であろうの。我に意思がないとするならば、主は一体何と会話しておるのだ〉
その返答を予期していたであろう玄が、藁にも縋るように続ける。
「じゃあ、僕に宿る前の意識もはっきりしてる?」
玄の期待とは裏腹に、伊邪那美は自慢げに、紫乃と比べてもいささかボリュームが不足している胸を張った。プライドのために付け足せば、紫乃とて断じて小さいわけではないが。
〈当然だの。主に話して聞かせた事もあったであろう〉
「……だよね」
「……い、伊邪那美? 本物の伊邪那美?」
今まで金魚のように口を開閉していた茜が、ようやく声を取り戻す。その問いに答えたのは、玄ではなく伊邪那美だった。
〈うむ。娘よ。我は伊邪那美。万物の母神にして死を司る黄泉の支配者。今はこの者と同化しておる故ただの魔力に過ぎぬのだがの〉
一々薄い胸を張る理由はわからないが、ともかく伊邪那美が胸を張って自己紹介を済ます。
そこで会話と混乱が一段落したと判断し、口を開く。
「伊邪那美、久し振りで悪いけれど、茜の手伝いをしてあげてちょうだい。構わないかしら?」
〈反対する理由もないの。愛しき娘の命じる通りにしようではないか〉
その弁に眉を顰めながら、茜へ目を移す。
「茜、疑問があれば伊邪那美に聞いてちょうだい。残念ながら、わたしたちでは理論の内容を理解するのでも精一杯だから、力にはなれない。けれど、わたしたちは別の方向から『神降ろし』について調べてみるわ」
頷いた茜が隣に腰掛けた伊邪那美と論文を覗き込んだのを確認してから、玄へ目を移す。
「神木、わたしたちはわたしたちの方法で探すわよ」
そう言ったきり、踵を返して茜たちから離れる。本棚二つ分離れ、茜たちの姿が見えなくなったところで、足を止めた。
怪訝そうに付いて来ていた玄を振り返り、本棚に背中を預ける。
「……疑問があるのでしょう?」
言い当てられた玄は、微弱に目を見張り、微笑みを深めた。
「鋭いね」
「言ってみなさい。出来る限り答えるわ」
「自然性魔力って、本当にあるの? 神は魔力だ。そして普段自然界を漂っている。けど、それには意識があって、自我がある。それ以外に自我の無い魔力もまた自然界に漂ってるなんて、そんなに自然界には魔力が渦巻いてるとは思えないんだけど」
回答を請け負ったとは言え、遠慮のない疑問だ。
自分の中にある何となくの理解を言葉にすべく、頭を絞った。
「……漂っているというより、生み出せると考えれば納得がいくかしら?」
「つまりどういう事?」
首を傾げた玄の中性的な微笑みから目を逸らし、茜たちがいるであろう方向を見やる。
「わたしたちは、魔力を使って炎や水、風を創り出すでしょう? それなら、逆も可能だと考えるのは何もおかしな事じゃないわ」
ようやく得心が行ったらしく、首の傾斜が九十度に戻る。
「そう考えると、あんまり独創的ともいえないね。……ああ、だからこそ『別方向からのアプローチ』なんて行動が生まれるのか」
それがわかってしまえば、玄とて馬鹿ではない。紫乃の行動を読み取り、呟く。
「ええ。独創的だけれど、種を明かしてしまえばそれくらいのものなのよ。だったら、あなたのご両親より前に考えた人がいてもおかしくはないわ」
踵を返した紫乃の隣に並んだ玄が、提案する。
「前例があったらあそこまで騒がないと思うから、多分かなり昔の、小さなものじゃないかな。片っ端から調べてみるしかなさそうだけど」
その提案を可決して、慣れない本棚の間に身を投じた。




