其の拾漆
玄が口を閉じる。降りた沈黙を切り裂くように、鈴の音が微かに響いた。
重みの加わった膝へ目を落とす。グリムが退屈そうな顔で、一つ大きな欠伸をかました。
「……確かに、不思議な事を言っているとは思った。『この国を変える』だなんて。けど。まさか、グローリアにいたとは……」
思いつめたように呟く玄の右拳を、そっと握る。途端に自分の行動が恥ずかしくなって、熱の集中する顔を限界まで背けた。
「……あなたのせいじゃないわ」
つっけんどんに放り投げた言葉で、玄が静かに微笑んだ気配がした。
「……そうだね……僕にはどうしようもなかった。……ごめん、少しおかしくなってたみたいだ」
「そうね。落ち着いたかしら?」
「うん。ありがとう」
ぱっと手を離す。間を保つために、もう一つ尋ねた。
「その人が敵だとして、あなたは戦えるかしら?」
予想に反して、玄は即答した。
「戦える……と思う。正確にどうなるかは、多分、本当に対峙してみないとわからないよ」
だが、答えの中身は曖昧だ。どちらともいえないその態度は迷いの証。
意味のない仮定ではない。『三枝家』の関係者として、将来はその一員として、グローリアと対峙していく中でおそらくその時は来る。その時に、迷っていては護れるものも護れない。
だから、紫乃は請け負う。主人として、婚約者として。
「もしもあなたが戦えなかった時は、わたしが戦うわ」
顔を背けたままの決意。それをどう受け取ったかはわからないが、ともかく玄は体の力を抜き、背もたれに体重を預けた。
「……お願いしていいかな、ミストレス」
その時点で、紫乃はこの重く苦しい話を切り上げ、少しでも明るめの話へ転換する方法を模索していた。
閃く。
「……その、『ミストレス』だけれど」
唐突な呟きに、玄が疑問を顔に浮かべる。正直なその態度に苦笑する余裕もなく、続きを吐き出す。
「……二人のときは、『紫乃』と呼びなさい」
こんなときまで命令形で喋ってしまう自分が恨めしいが、理由を説明するにはこれが一番いいと無理やり納得する。
「……それは構わないけど、どうして?」
ゆっくりと、頭の中で回答を組み上げていく。模範解答を、三枝の娘としての答えを。
「あなたは、わたしたちの婚約に対してどんな意見があるか知っているかしら?」
返答は首振り。ただし横向きだ。
その返答は予想済み。故に手早く携帯を操作して、検索ワードに自らの名前と婚約の二文字を打ち込む。
「見なさい」
表示された検索結果を差し出す。様々なサイトそれぞれの意見があるが、凝縮してしまえばなんてことはない。いわゆる賛否両論というやつだ。
「……否定的な意見が多く見えるけど」
「……実際に世論調査をしてみないと正確なところはわからないけれど。あるニュースサイトによれば、賛成六割反対四割よ」
玄が首を傾げる。それは、紫乃の主張の理由が判明しないからか。別に構わない。ここからが本題だ。胸中でため息をつきながら、
「ただし、その四割の中には三科家と五野井家が含まれるわ」
衝撃で玄が硬直する。その態度に追い討ちをかけるのはいささか躊躇われるが、隠すのは性に合わない。仕方なく、追撃を放つ。
「わかっていると思うけれど、三科家は三枝と同じ『三の血統』の分家。五野井家は『五の血統』、つまり五条家の分家よ。更に言えば、表立って反対しているのがその二家というだけで、賛成しているのは一ノ瀬家と三宮家だけよ。他の家もあまり良い感情は持っていないわ。当たり前よ。あなたの知名度は軍や警察の中では高いけれど、数の血族内ではまだ低いの。そもそも、従者と主人の婚約はあまり褒められたものではないでしょう」
そこまで言った時点で、玄は紫乃の言わんとしている事を察したらしい。言葉を切った紫乃の後を継ぎ、言葉を繋げる。
「つまり、現状僕たちの婚約は認められていないって事?」
「そうとも言えるという事よ。ただし、反対を表明しているとはいえ、異議を申し立てたわけではないの。つまり……」
どう言葉にするべきか悩み、続きを言いよどんだ紫乃に代わり、玄が口を開く。
「僕たちの行動によって、反対意見は牽制できるんだ」
言い得て妙なその言葉に乗っかって、主張を続ける。
「ええ。わたしたちの意志が固いと判断すれば、余計な口出しで無用の軋轢を生む事は避けるはずよ」
ようやく紫乃の主張を理解したのだろう、玄は得心が行ったというように頷いた。その微笑みのままで、言った。
「わかったよ、紫乃」
言葉に詰まる。言おうとしていた言葉は喉の辺りで霧散し、玄の顔をまともに直視できなくなった。
何とか平静を取り戻し、ぶっきらぼうに突き放す。
「二人のときだけよ。そのルールを忘れないで。それから、周囲に知人がいなければ、二人だと判断して構わないわ」
むしろ、不特定多数の耳がある場合の方が効果的だが、あまり露骨にやっては意味がない。体裁を保つためにも避けたい。故に、こんなまどろっこしい方法を採用したわけだ。
「了解。……ああ、そうだ。渡しておく物があるんだ」
そう言い残して席を立った玄は、程なくして戻ってきた。
手に、金属製の何かを握って。
「これを、君に預けておきたいんだ」
差し出されたのは、一つの鍵。大きさから鑑みるに、家の鍵だ。どこかで見たようなデザイン。
表現ではなく首を傾げた紫乃に、玄は告げる。
「この家の鍵。もし僕に何かがあったとき、あのドアを開けるのは君であってほしい」
硬直した紫乃の反応には頓着せず、玄は続ける。
「それに、合鍵なんて、婚約者っぽいでしょ?」
そう言われてしまえば、紫乃に否やのあろうはずもない。元より、『合鍵』という言葉の響きに憧れないわけではないのだ。玄の家のものならば、尚更。
気恥ずかしさで玄の顔を直視できないまま、素直に受け取る。
「ありがたく受け取っておくわ」
「うん。よろしくね」




