其の拾参
黄衣の鋭い叫びを聞くやいなや、鎌を構えて振り向く。その目の前を、凄まじい速さで何者かが走り去っていった。
「待て! その女を放せ!」
肩に担がれ、不安定に揺れている女性。それは紛れもなく、今しがた玄が叩きのめした女性だ。
「……追います!」
言うが早いか地面を蹴って加速する。周囲の景色が飛ぶように後ろへ消えていく。だが、女性を担ぐ何者かとの距離は一向に縮まる気配が見えない。
「神木! これはどういう事!?」
紫乃の叫び声はドップラー効果を生みながら後方へ。少しだけ申し訳ない気分になるが、その感傷すら風と共に後方へ飛ばす。
校門を飛び出し、女性を担ぐ人影の背中、大きな盾を目印に追い続ける。肩の辺りまである茶髪を一纏めにしていて、そこだけ見ると男女の区別がつきにくい。だが、玄よりも一回りは大きいであろう体躯は、男性のものだ。
「待てっ! ……『魂狩』!」
牽制のために放った影の刃も難なくかわし、男性はひた走る。その後ろ姿、その身のこなしにどこか見覚えがあるような気がして、真相を知るためにも足の回転を上げる。
不意に、明らかに法定速度違反であろう速度のバンが、前方から走ってくる。運転席に座っているのは、ハンドルからギリギリ目が出るくらいの身長の少女。
そのバンが、玄の前方、男性のすぐ前で無理やりにハンドルを切り、歩道に横付けした。
「……乗れ!」
奥歯を強く噛み締める。車で逃走されては、追跡も一苦労だ。紫乃の時は比較的近距離だった上紫乃のGPSがあったため何とかなったが、今回はそうも行くまい。その上、手際を見ても、一筋縄ではいかないのは予想できる。
今ここで、決着を。
男性が乗り込むまでの一瞬の停止を狙って、速度を上げる。連戦に次ぐ連戦で体力はかなり消耗しているが、それでも。
バンまで辿り着いた男が、進行方向を変える。九十度回転し、女性を担いだまま横開きのドアに突っ込む――――刹那、男の顔を、玄の目はしっかりと捉えた。いや、捉えてしまった。
思わず足が止まる。視界が揺らぐような、とてつもない衝撃。鎌が力の抜けた右手から滑り落ち、アスファルトに当たって乾いた音を立てた。
「……な……」
乾いた唇から、意図しない呟きが零れ落ちる。
「……なんで……」
背後から近づいてくる足音も、玄の耳には届かない。
「何をしているの! 早く追うわよ!」
視界の端で、誰かが何かを叫ぶ。
「神木! どうしたのよ! 返事をしなさい!」
「……なんで……どうして……」
玄の様子に何かを察したのだろう、駆けて来た人物が腕を引くのをやめる。代わりに、幾分か冷静になった声音で、尋ねた。
「……何が、あったのよ」
玄が凄まじい速さで駆けて行くのを追って走ってきた紫乃が見たのは、まるで誘拐事件の時のように、呆然と立ち尽くす玄だった。追っていたであろう男性を乗せたバンはもうカーブの向こう側に消え、周囲の静けさはいつも通り。ただ、玄だけが、ここではないどこかを見つめて、
「……どうして……あなたが……」
うわ言のように呟いている。
この状況では、何を言っても届かないだろう。仕方なく、追跡は諦めて玄の手を逆方向、高校の方へ引く。
「……戻るわよ」
落ちていた刀を拾い上げ、玄の手を引いて歩き出す。
玄は、抵抗しなかった。
「……以上が、わたしが遭遇した出来事です」
事情聴取を終え、警察車両を降りる。ドア口で立っていた警官に会釈してから、既に終わっていた玄が待つ校門まで歩く。
「待たせたみたいで悪いわね」
「構わないよ。僕の方が驚くほど早く終わったし」
聴取を担当したのは、警官立ち会いの下黄衣だったというのだから、それも頷ける。
いつの間にかエプロンドレスから制服へ着替えていた玄の正面に立ち、一向に動こうとしないその態度に疑惑の視線を向ける。
それに気づいたのか、玄はいつも通り微笑を浮かべた。それが弱々しく見えたのは、疲れているのだろうか。
「桜井さんは用があるから、先に帰っていいって」
「……そう。それじゃあ、帰りましょう」
校門を出て、通い慣れた道を下っていく。
「……聞いていると思うけれど」
「何を?」
即座に帰ってきた答えに、ため息をつく。どうやら、使用人は玄には告げずに帰ったらしい。
「今回の件について、魔術議会が急遽召集されたわ。その関係で、お父様とお母様は明日まで留守よ」
少し前に黄衣に注意された事を思い出し、それとなく周囲を確認する。そんな紫乃に、玄は苦笑したように声を上げた。
「周囲に気配は無いよ。それより、僕は三枝家に泊まればいいの?」
その問いに、どう答えるべきか悩みながら、ゆっくりと口を開く。
「……その逆よ。今日は、あなたの家に泊まるわ」
「なんで?」
「三枝家当主夫妻が留守なのは、ある程度の情報網があればすぐに判明するわ。その場合、真っ先に三枝家は標的になる。だから、危険の少ないあなたの家に避難するのよ」
一見真っ当に見える理由。だが、一介のアパートよりは三枝家の方が安全ではないのだろうか。そう聞かれれば、答える術はない。
だが、玄は少し考えた後、頷いた。
「……わかった。……こちらとしても願ったり叶ったりかな。少し、話したい事もあったし」
今度は、紫乃が首を捻る番だった。




