其の拾弐
「貴様たち! 無事か!?」
聞き慣れた声が響いて来たとき、紫乃は無意識にため息をついていた。慌てていつものすまし顔を作り、声の主を見上げる。
「ええ。……ある程度は、ですが」
その弁に、声の主は怜悧な美貌を歪める。
「その出血は無事とは言わん。救護班!」
物々しい足音がして、見知らぬ男性が紫乃の前に屈み込む。
「失礼します」
ワイシャツを掴んでいた左手を除けられ、傷口を露にされる。位置が位置だけにあまり気分の良いものではないが、そうも言っていられない。
「『天陽』」
傷を癒すとは言え、他人の魔力が流れ込んでくる感覚はあまり気持ちのいいものではない。顔をしかめるのを努めて我慢しながら、傷の治癒を待った。
「桜井、状況の報告ができるか」
「あ、はい! あたしたちが交戦したのは侵入したのはテロリストの一人と思われる女性で、未知の魔法を使っていて、『焔の神憑き』だと思います。今は、神木君が中庭で交戦中です。後、他のテロリストに関しては消息不明ですけど、避難先である魔道館が襲われてはいないので、多分どこかで別の誰かと交戦していると思います。個人的な見解ですけど、東棟四階の一年九組前にいるかもしれないです。……神木君が、そこにいたので」
窺うように、おずおずと付け足した茜に少しだけ笑みを見せた黄衣は、背後で待機していた部隊に指示を飛ばし始める。
「第一、第二両隊は警戒しつつ東棟四階へ向かえ。他の部隊は作戦通り、各棟を巡回、安全確認とテロリストの発見を急げ。私は『焔の神憑き』を拘束する。第四部隊、付いて来い」
そこで、治癒が完了した。これは応急処置であり、落ち着いたら病院へ向かうよう忠告している男性を遮り、黄衣へ声を掛ける。
「十塚様、作戦行動中失礼します」
「構わない、好きに意見してくれ」
即座に返答してきた黄衣へ、まっすぐに視線を向けて言葉を紡ぐ。
「『焔の神憑き』の相手は、神木に任せていただけませんか」
その提案に、黄衣は眉を顰める。その迫力に負けじと、紫乃も見つめ返した。
「……一般生徒に任せるわけにはいかないだろう。悪いが、その提案を聞き入れる事はできない」
踵を返した黄衣の背を見送り、不思議な顔をしている茜と二人残る。遠ざかっていく整頓された足音を聞きながら、一人唇を噛んだ。
黄衣の言う事は正論だ。だが、正論は往々にして感情を考慮しない。それが黄衣らしいとも言えるが、今、それが自らに向かっているときは苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「……なんであんな事言ったの?」
おずおずと口を開いた茜を一度睨みかけてから、頭を振って思い直す。そして、自身の傷跡に目を落とした。どうやら、そこまで綺麗に治らなかったらしい。
「……彼の邪魔をしたくなかったから、かしらね。……成長を実感するには、実践してみるしかないのよ」
紫乃がそうであったように。成果の見えない訓練では、消耗が激しすぎる。
首を傾げた茜に笑いかけて、中庭を見やる。そこは、赤が支配する空間だった。
体勢も整わぬままに跳躍したせいで、鎌の重さによって上半身が傾く。だが、それが功を奏した。
黒く染まった刃が炎の波に触れ、魔術を魔力に還していく。毛先が少し焦げたらしく嫌な臭いがしているが、それ以外、目立った外傷はなかった。
胸を撫で下ろしながら顔を上げた玄の視界を占めていたのは、女性が振るう白刃だった。
「くッ!」
「はぁっ!」
何とか鎌の柄を軌道に割り込ませるが、運動エネルギーがそのまま玄へ移る。後方へ吹き飛ばされた先は、渡り廊下だ。
背中から窓に激突し、ガラスを撒き散らしながら廊下を転がる。細かい切り傷がピリピリと痛みを作る中、随分とぼろぼろになったエプロンドレスの裾を翻し、自身が割った窓から飛び出す。丁度飛び上がってきていた女性へ向けて、渾身の力で鎌を振り下ろした。
せめぎ合う鎌と直剣。それも一瞬の事、女性は叩き落されて地面へ。追うように落下、再び距離を取って対峙する。
互いに深手はないものの、体力、魔力共に消耗してきている。それは女性もわかっているのだろう。おそらく、短期決戦を狙ってくる。
「地獄より生まれし罪火の蛇よ」
これは、詠唱。詠唱は、神憑き特有の魔術においても、奥義魔術の証。
「今現世にうちいですべてを焼き亡ぼし給え――――」
こうなってはもう間に合わない。何が来ても対応できるよう、鎌を前方に構え直す。
「――――『業焔騰蛇』!」
女性が天を指し示すように掲げた直剣の先から、焔が噴き出す。
いや、と頭を振って思い直す。あれは、魔力だ。女性が保有する、真紅の魔力。それが、剣の先から噴き出し、龍のような、蛇のような、羽の生えた何かを創り出した。
「焼き尽くせ!」
女性が直剣で玄を指し示す。その意思に応え、焔でできた蛇が動き出した。吼えるように顎を開き、滑るように、蛇行しながら向かってくる。
「『黄泉送り』」
黒く染まった刃を、突き出す。だが、動きを止められはするものの、蛇自体は消える兆しが見えない。
無効化が、間に合わない。
玄の『黄泉送り』は魔術を無効化し、魔力へ還すもの。だが、全てを一斉に、とはいかない。刃が触れた部分から、一瞬で、だが徐々に無効化していく。その過程で魔術が原型を留めていられなり、全てが霧散するのだ。
それが、間に合わない。無効化した傍から周囲の焔で補完されてしまう。
さすが奥義魔術。さすが神憑き。他の魔術とは桁が違う。
とはいえ、それを感心している場合ではない。
「せあっ!」
気合一閃、大きく薙ぎ払う。魔力を大きく削り取られた蛇は一瞬、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
その隙に飛び退り、校舎へ疾駆する。背後で、草木が、アスファルトが、燃える音がする。
校舎の窓枠を足場に、二階へ。二階から三階へ。強化された身体能力を駆使して壁を蹴る。
蛇が迫る。壁を、窓を、焼き尽くしながら。『黄泉送り』が通用しなければ、玄に防御手段はない。
なら、元を断つまで。伊邪那美との意識の共有によって否応なく叩き込まれた詠唱を、紡ぐ。
「生きたる魂全てを――――」
三階から四階へ。
「黄泉へと誘う大鎌よ――――」
四階から屋上へ。
「今我が声に応え――――」
屋上の鉄柵に足を掛け、全身全霊の力を込めて背面跳びの要領で跳躍。
「その命を全うし給え――――」
迫る蛇の頭上を紙一重で飛び越える。鎌を構える。跳躍による運動エネルギーと重力が互いを打ち消し合い、体が浮遊感に包まれる。幸い、女性は動く気配を見せない。動かないのか、動けないのかはわからないが。
「――――『死神鎌』!」
握った鎌が形状を変える。陽光を受けて輝く刃が伸長し、数メートル、数十メートルへと伸びていく。大きく、長く。玄の身の丈を超えて。
それは、まさしく死神の鎌。狙った獲物だけを確実に切り裂く魂狩りの鎌。
「せあぁ!」
鎌を振るう。その丈にふさわしくない軽快さで動いた鎌は、その伸長した刃をもって、数十メートル下の女性へ。その体を、切り裂く。
自由落下の最中、姿勢を制御し、衝撃を殺す。崩れ落ちた女性の傍へ着地し、その状態を確認した。
目視確認だったためいささか不安があったが、おおむね予定通り、鎌は女性の体の前面を切り裂いただけだ。傷の程度は、およそ紫乃と同じくらいだろうか。
「……ぐ……う……があ……」
傷の程度を検分する玄の左腕を掴んだ女性が、呻き声を漏らしながら直剣を持ち上げる。その必死な様子にいつかの自分を重ねて見ながら、玄は優しく呟いた。
「もうやめなよ、勝負はついたんだ。……君を殺させないでほしい」
だが、女性の耳には届かない。
「……全ては……我が君の……ために……」
「残念だよ」
無気力にぶら下げていた鎌を構え直す。虚ろに玄を見据える女性の眉間に照準を合わせ、振り上げる。
「……魂に刻め、死神の名を」
伊邪那美が、玄の口を勝手に動かす。それを楽しんでいる自分を反省しながら、急激に光が戻っているその瞳へ、振り下ろした。
鎌の切っ先が眉間を貫く寸前、鎌を半回転させる。柄との連結部分で殴打。嫌な音を立てて今度こそ動かなくなった女性の、血に濡れた顔を見下ろす。
「……すぐに救急車を」
背後に駆け寄ってきた足音へ向けて、振り返りもせず呟く。
「救護班! 応急処置を開始しろ!」
即座に走り寄ってきた男女数名に後を任せ、指揮官、黄衣の元へ歩み寄る。
だが、黄衣は玄の向こう側、別の何かに焦点を合わせていた。
「何者だ!」




