其の捌
轟音に顔をしかめながら、音のした方向を見やる。そこで起きていた現象に、玄はしばし唖然とした。
廊下が、なかった。
八組の前に、地面がない。床が崩落し、瓦礫が二階の床に積もっていた。そこにいたはずのテロリストたちの姿もない。避難の途中だった人々の姿もない。四階には、玄だけだった。
硬直から立ち直り、崩れた床の跡から二階を覗き込む。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。平気だ! けど、テロリストが逃げやがった!」
叫び返してきたのは、蒼次。その他にも、付近にいた数名の姿が見える。どうやら、死者はいないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「そちらに行きます! 真下に誰かいませんか?」
「いない! けど、これ以上の衝撃は危険だ! 今跳ぶのはやめろ!」
そう言われ、足に込めた力を抜く。確かに、もう一階崩落したら、今度こそ死人が出る。
「避難は完了してるけど、多分またテロリストが来る! お前は自分の使命を全うしろ!」
「わかりました!」
蒼次の指示に叫び返し、顔を上げる。蒼次の言う通り、南階段からテロリストと思しき数名が上ってきていた。
タイミングの悪さに歯噛みしながら、右手のソードブレイカーを握り直す。廊下の広さでは、刀を振り回すよりこちらの方が有利だ。エプロンドレスも、こう見えてあまり動きを阻害しない。障害になりうるようなものはない。
先頭の男と視線が交錯する。次の瞬間、玄の姿は男の目の前にあった。
廊下に、魔力の闇が広がる。それを目くらましに使いながら、男の腹を刺す。ソードブレイカーを抜きざま、蹴り飛ばして背後の男たちの動きを阻害。この狭さなら、人数の多い男たちの方が不利だ。
それは男たちも承知の上なのだろう。倒れた男を押しのけて肉薄してきた二人目は、横薙ぎに振るった刀で、玄を教室に押し込もうとした。素直にその誘いに乗り、バックステップで一年六組の教室に飛び込む。
一年六組の企画は、お化け屋敷。暗幕と黒いビニールで覆われた真っ暗な空間。窓という窓に暗幕が張られ、差し込む日差しはゼロに近い。
だからこそ、玄の独壇場だ。
「『魂狩』」
玄を追って教室内に踏み込んできた男を、影の刃で刺し貫く。そのまま戸口に陣取り、攻めあぐねる男たちを次々に切り裂く。脇腹を、肩を、膝を。生命に支障のない範囲で切り裂き続け、すぐに、動くものはなくなった。
玄の真意に気づけず、教室内が自分たちに有利だと信じきっていた男たちの姿を見下ろす。血が流れ出しているが、致命傷ではあるまい。だが、玄は『天陽』が使えない。失血死の可能性を考慮するべきだろうか。
薄暗いが、影のない廊下では玄の『魂狩』は本来の威力が発揮できない。だからこそ、玄はお化け屋敷という真っ暗な空間に誘ったのだ。
二つに結わえた髪を解き、慣れ親しんだ髪の感触にほっとしながら、眼下の男たちに『ご愁傷様』と胸中で呟いて、踵を返す。
瞬間、再びの轟音が響いた。だが、今度は音源が遠いのか、くぐもったような音だ。振動にたたらを踏んだ玄は首をめぐらせて破壊現象を探すが、玄の見える範囲内にそれはない。
窓の外へ目を移す。音の原因はすぐに見つかった。
東棟二階で、何かが爆発していた。
「紫乃ちゃん、平気!?」
粉塵の舞う中、茜のくぐもった声が聞こえてくる。
「え、ええ。大丈夫よ。茜は、無事かしら?」
軽く咳き込みつつ、声を張り上げる。呼びかけてきたのは茜なのだから心配は無いと思うが、不安は拭えなかった。
「うん、大丈夫だよ」
そんな心配とは裏腹に、茜が手を差し伸べてくる。素直にそれを掴んだ紫乃は、勢いに乗って立ち上がった。
「ごめん、流石に『神雷』はやりすぎだったね」
「構わないわ。もう少し、威力は抑えてよかったかもしれないけれど」
ばつの悪そうな笑顔を浮かべる茜の向こう、渡り廊下前広場を見やる。つい先程まで華やかに飾りつけられていたそこは今、粉塵と焦げ跡が彩る荒廃した風景に変わっている。『神雷』による被害は、甚大だとも言えるだろう。
だが、背に腹は変えられまい。無傷で生きているだけマシと考えるべきだ。
「ありがとう、茜。助かったわ」
いつになく素直に礼を言っているというのに、茜は紫乃を見てすらいない。肩越しに、紫乃の後背、テロリストたちがいる方向を凝視している。
その表情には、紛れもない恐怖が浮かんでいた。
「茜……?」
茜の焦点が、紫乃に戻る。怯えを湛えた瞳で、茜は努めて震えまいとしているかのように強張った声を発する。
「……紫乃ちゃん、お礼はもう少し後にした方がいいかな」
はっとして振り返った先に見たのは、一人の女性だった。
一番印象強いのは、その身長だ。百七十センチ近いだろうか。おそらく、紫乃よりも十センチは高いだろう。栗色のショートヘアから覗く双眸は鋭い。相対しているだけで、すさまじいプレッシャーを感じる。
この人は、危ない。
本能がそう直感する。それは、右手の剣から滴る血のせいか、瞳に浮かぶの光のせいか。
逃げなければ死ぬ。だが、逃亡のために背を向ければ即座に殺される。そう思わせる何かがあった。嫌な感じが、全身を粟立たせる。
女性が下げているのは直剣。反りのない、諸刃の剣だ。その残忍な煌きに、背筋が冷える。
「三枝紫乃……ですね?」
静かな口調。いや、何の感情もない声。それ故の無機質なプレッシャーに、歯を食いしばって耐える。レイピアを構え直し、女性の出方を窺う。
「だったらどうするというのかしら」
「……共に来てもらいましょう。我が君がお待ちです」
その双眸が湛える、氷のように凍てついた光に必死で耐える。少しでも気が緩めば、その視線で射殺されてしまいそうだ。
「……茜、ナイフの類を持っているかしら」
ボソリと、振り返らず尋ねる。正確には、女性から目を離せないのだが。
答えは、無言で左手に押し付けられた柄だ。それを、感触を確かめるようにゆっくりと握りこむ。
一瞥して確認すれば、それは刃渡り二十センチ弱のダガー。おあつらえ向きに十字鍔。
女性を真正面から睨みつけ、構えを変える。右前の半身から、左前へ。右手を大きく引き、床と垂直に。切っ先を女性へ突きつける。左手のダガーを中段で構え、大きく息を吐いた。
「答えはノーよ」
「ならば仕方ありません」
女性が、右手に握った直剣を横に伸ばす。丁度、真横の何かに突きつけるような体勢。
それに、見覚えがあった。
「……『具現武装呪』」
衝撃が、紫乃の全身を貫く。呼吸が止まり、腕が震えた。
女性の周囲を真紅の靄が渦巻き、右手の剣へ収束していく。同時に、女性の頬の辺りまで、幾何学模様が現れる。
その光景を、紫乃は見た事がある。いや、既に見慣れていると言っても過言ではない。もっとも、普段は斜め後ろから見ているだけだが。
「……神……憑き……」
呆然と零れ落ちた紫乃の呟きを、茜が拾う。
「神憑き!?」
「流石、見慣れているだけありますね。自分は焔の神を宿す者。『焔の神憑き』です」
親切に答えたのは、冥土の土産というやつか。
だが、そんなつもりはさらさらない。
「茜、援護は任せたわ」
「うん。出来る限りやるから」
レイピアを握り直す。女性もまた、形状を変えた直剣を中段で構える。
先手必勝。後手に回れば死。
女性を見据え、鼓舞するように大声で叫ぶ。
「『風装呪』!」
緑に輝くレイピアを構え、地を蹴った。




