其の参
「待たせたわね」
西棟二階の渡り廊下前にある小さめの広場のような場所で、各自の弁当を抱えて待っていた玄と茜の二人に小走りで駆け寄る。
二人の傍で立ち止まった紫乃に、茜は黒縁眼鏡の向こう側で目を細めた。
「ううん、大丈夫。あたしたちもロングホームルーム長引いたから、来たのは今だし」
「そう。それならいいのだけど」
とりあえず、定位置に腰掛ける。壁際に用意されている長椅子に、玄、紫乃、茜の順で。
各自の弁当を開き、箸を持つ。
束の間、降りた沈黙を破ったのは、茜の言葉だ。
「一組は、お化け屋敷やるんでしょ?」
先程までのロングホームルーム、いわゆる学活の内容がそれだったのだ、この話題は順当とも言える。
だから紫乃も、さらりと答えた。
「ええ。明治時代の設定らしいわよ。魔術使用申請もしていたから、仕掛けだけは凝ったものになるでしょうね」
「あ、そっか。安全管理のために魔術を使うところは申請が必要なんだっけ。うちは食品だから、そういうのはないみたいだけど」
そこで、紫乃は弁当をつつく手を止めた。ずっと気になっている事を、解消するチャンスだと感じて。
「そういえば、九組は何をするのかしら?」
紫乃が放った問いに、茜は怪訝そうに首を傾げる。
「神木君から聞いてないの?」
「ええ。聞いても教えてくれないのよ」
茜から一度目を離し、反対側、素知らぬ顔で微笑みながら今日も変わらず購買のパンを咀嚼しているガーディアンに目を移す。じろりと睨みつければ、微笑みが微弱に強張った。
「いじわるだね」
「ええ。主人に逆らうなんて従者としてあるまじき行為よ」
反論がない事を良い事に、二人で好き放題に罵倒する。
一拍置き、それが一度落ち着いてから、茜が口を開く。
「使用人喫茶だよ」
その響きに、思わず鸚鵡返しにする。
「しようにん?」
「うん。接客担当の女子はメイド服、男子は執事服を着るの。だから一纏めにして使用人」
「なるほどね。それは他と被らなかったの?」
八高では、クラス間であまりにも内容が似通ったものは、後からどちらかのクラスに修正が求められる。それがなかったという事は、他クラスに似たものがなかったという事。だが、メイド喫茶、正確には使用人喫茶というものは、人気なのではないだろうか。
「山代先生によれば、いつの時代のどこのクラスも、案は出るけど実行はされないみたい。学校の許可が下りなかったり、メイドに立候補しなかったりとかで。山代先生も高校時代提案したけど、十塚黄衣様を筆頭に却下されたって言ってたよ。『黄衣のメイド服が見たい!』って言ったら斬られかけたんだってさ」
まあ、そうだろう。紫乃とて、メイドの格好をしてウェイトレスをやれと言われたら一度は断る。やっている間もずっと仏頂面だろう。面と向かって頼まれたからといって剣を抜くかどうかはわからないが。
「だから、すんなり通ったよ」
締め括った茜には悪いが、更に疑問を重ねる。
「けれど、どうしてそれを神木が教えてくれないのよ。別に構わないでしょう。仮にウェイターをやるとしても、普段同じような事をしているのだもの」
そこで、ようやく右側の気配が揺らいだ。茜もまた、笑いを必死で堪えるような顔を作る。いや、本当に堪えているのか。
「……まあ、そりゃあ言えないよね」
もったいぶったような、意味深な台詞。それがますます紫乃の興味を誘う。
「どういう事よ」
「どうもこうも、神木君は執事じゃなくてメイドなんだよ」
執事じゃなくてメイド。茜がこともなげに言い放った言葉の意味を正確に理解するために、数十秒の時間が必要だった。
隣では、玄が購買のクリームパンを握り潰してクリームを噴出させている。哀れ袋の中が卵色だ。
紫乃もまた、危うく箸を取り落とすところだった。震える指で、一度握り直す。
「……どうしてなの?」
「厨房に女子が偏っちゃって、メイドが執事に比べて少なくなっちゃったから。実行委員が苦心して調整したけど、どうしても一人足りなくて。最終案が執事の中から一人メイドに移そうって事だったから、神木君に白羽の矢が立ったんだよ」
現在の紫乃の心境は、半分納得、半分疑問、と言ったところか。厨房に女子が偏るのは不思議ではない。それによってメイドが足りなくなるのも必然。だが、だからと言ってそこまでして数を合わせるというのは理解できない。
だが、それ以上に玄がメイドというのは納得できた。そして同時に、昨日不思議な髪型にされていた理由も悟る。
「男子にメイド服を着せてまで数を合わせるのはあまり納得がいかないけれど、それに玄を選んだのは正解ね」
「だよね。下手な女子より女子っぽいって言われてたし」
にやにやと笑う茜の先では、自棄を起こしたようにクリームの残っていないクリームパンを頬張っている玄。その顔は、一瞥しただけでは男女どちらか迷ってしまう。もっとも、髪が長いせいもあるだろうが。
「説明ありがとう。当日はしっかり寄らせてもらうわ」
「うん。残念ながら、あたしは客引き係って事で看板持ってうろうろしてるだけだけど」
「あら、メイド服は着ないの?」
「こんな隈ができた色気ない眼鏡のメイドなんて、需要ないって」
照れくさそうに笑う茜に、玄がぼそりと反論する。それがおかしくて、紫乃は笑った。
「それを言ったら、女装メイドも需要ないでしょ」
今更それを言ったところで何にもならないだろうに、あくまで受け入れるつもりはないらしい。その頑なな態度は、紫乃にもあまり見せないようなもので。
その変化は良いものだとわかっていながら、少し悔しくなった。




