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其の拾

 紫乃と組み手を行っていれば、三日など飛ぶように過ぎていく。前日に告げられた集合時間である午前十時よりも十五分早く三枝家に着いた玄は、その内部で行われている上を下への大騒ぎに、目を見張った。

「ああ、神木君。ご苦労」

「おはようございます、当主様」

格式張った挨拶を交わし終えてから、一拍。周囲の嵐へ苦々しい視線を向け、藍紫は視線と同じように笑った。

「騒がしくて済まないな。こちらが出迎える以上、粗相があってはならなくてね」

「理解しています。それで、僕は何をすればいいのでしょう」

「紫乃の相手をしていてくれないか。しばらくしたら、使用人を通じて指示を出そう」

「了解いたしました」

藍紫に一礼して、その場から立ち去る。目指すは、紫乃の部屋だ。


 ベッドから重い体を引き摺るように這い出て、一度大きく伸びをする。なにやら騒がしい部屋の外に顔をしかめ、ベッドへ腰を落とした。

 そのまま倒れ、二度寝に入ってしまいそうになる自分に鞭打って、よたよたと着替える。

 とりあえず部屋着を身にまとい、パジャマをベッドの上に放り投げたところで力尽き、その場に座り込んだ。何となく、ため息が漏れる。

 唐突に響いたノックに反応するのも気だるく、辛うじて扉の向こうへ届くかどうかという声音で呟いた。

「入りなさい」

「失礼します、ミストレス」

一言断ったその声が、予想していた使用人の誰のものでもない事に驚き、次いでそれが誰なのかを鈍い頭が判断する。

 室内の惨状に思い至ったときにはもう、見慣れた黒の長髪が見慣れない真顔で入ってきていた。

「あ、あなた、ちょ、ちょっと待ちなさい!」

弾かれたように立ち上がり、掌を突き出す。扉を閉めたところで指示通り動きを止めた玄は、怪訝そうに首を傾げる。そのジェスチャーの意図を正確に汲み取り、いまだ混乱したままの頭で告げた。

「ま、まだ準備途中なのよ……! こんなみっともない姿は見せられないから、あなたは居間にでもいて頂戴!」

「居間は、邪魔になるからダメだよ。少し部屋の前に出てるから、用意が整ったら声を掛けて」

そう言ったきり、さっさと部屋の外へ姿を消す。静かになった部屋で今しがたの行動を思い返し、乱雑にパジャマを掴んだ。


 何とか平常まで判断力と行動力を引き上げ、言葉通り扉の横で待機していた玄を招き入れる。手早くとはいえ幼い頃から叩き込まれた動き、室内は昨日の夜のように片付いている。

 とりあえず、手近だった勉強机から椅子を引っ張ってきて玄を座らせ、自分はベッドの縁に腰掛けた。

「それで、何が起きてるのよ」

「忘れたの? 今日は五条家との会談の日だよ」

言われて思い出す。道理で、騒がしいわけだ。

「朝食を摂らなきゃならないわね」

特に理由もなく、自らに染み付いた習慣に基づいて立ち上がる。

 ぼんやりと扉へ歩を進める紫乃に、追随して立ち上がった玄が声を掛けた。

「あ、調理人の前田さんから伝言。『朝食は声を掛けて頂いてから温めますので、起きた際は一声おかけください』だって」

「了解したわ」

実際は何を言っているのか半分も理解していないが、休日は起床が普段の四時間近く遅い紫乃の朝食はいつも起床後、一人で摂っている。別段普段と変わらないと思われた。


 朝食を一時間近く掛けて摂り終え、ようやく常態に近いほど回り始めた頭で現在の状況を再確認する。現在時刻は午前十一時を少し過ぎた辺り。五条家との会談が午後二時からで、用意を含めても十二時頃から動き出せば、紫乃は間に合うだろう。

 少しだけ気だるさが抜けた体を椅子から持ち上げる。

「神木」

「ん?」

「組み手するわよ」

苦笑した玄の顔には、『どれだけやれば気が済むのか』と大書されていた。

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