其の玖
左腕を突き出す。玄の刀が受け止める。引き戻して薙ぎ払う。またしても止められる。そこで、動きを止めた。
「神木、あなたも少しは攻めたらどうなのよ」
紫乃に追随して構えを解いた玄が、複雑そうな表情で頬を掻く。その目には、困惑が浮かんでいた。
「でも、僕は防御の訓練をしなきゃならないから……」
申し訳なさそうに紡がれる言葉を、遮る。
「わたしだって、この左の短剣は半ば防御用よ。なのにこのままこれを続けていたら、今度はわたしがあなたみたいになってしまうじゃない」
言ってしまってから、少し冗談が過ぎたかと思い直す。だが、取り繕おうと開いた口は、玄の表情を見て閉じた。
その顔は、苦笑していたから。それも、いつも他人に向けて浮かべるような、うわべだけを取り繕う笑いではなく、本心だと思わせる笑い。だから、紫乃は驚愕に少しの安堵と喜びを織り交ぜ、口の端を上げる。
「……わかった。交代でやっていく事にしようよ」
「それがいいわね。それじゃあ、あなたの番よ。悪いけれど、慣れるまでは少し手加減してもらえるかしら」
左手の短剣を構え直しながら、正直に告げる。その言葉に頷いた玄は、刀をぶらりと垂れ下げた。
「いくよ、ミストレス」
「ええ」
二人の間に、緊迫した雰囲気が流れる。
それを破ったのは、玄でも紫乃でもなく、使用人の声だった。
「お嬢様、失礼いたします」
張り詰めた神経が途切れ、大きな呼気が漏れる。数度の呼吸で一度心を切り替えてから、駆け寄ってきた使用人を振り返った。
「何の用かしら」
「お二人に、当主様からお話があるとの事です。お越し頂けますでしょうか」
わがままが許されるのならば、首を横に振りたいところだ。だが、そんな事が許されないのは十五年の人生で理解している。
「わかったわ。急ぐかしら」
「いえ、お時間ができましたら書斎へお越しくださいとの事でした」
玄の方をちらりと見やってから、もう一度使用人へ視線を戻す。
「それなら、三十分ほど待つよう伝えて頂戴。汗を流してから向かうわ」
「承知いたしました。それでは失礼いたします」
深々と一礼し、踵を返した使用人を見送る。その姿が道場から消えたところで、背後の玄を振り返った。
「そういうわけだから、一旦休憩よ。わたしは汗を流してくるから、あなたもそうするといいわ」
「わかった」
頷いた玄にはもう目もくれず、さっさと道場を後にする。
背後でため息が聞こえた気がした。
着替えやらなにやらを済ませて、藍紫の書斎へ足を運ぶ。既に扉の前で待っていた玄は、先程の姿そのままだった。汗は引いたようだが、額に貼り付いた前髪は変わっていない。
「あなた、また着替え忘れてきたの?」
呆れた声の紫乃に、ばつの悪い笑みで答える玄。『また』という紫乃の言葉通り、先日から毎日行っている自主練習には着替えを持ってくるよう再三言っているにも関わらず、毎日のように玄は忘れている。
「今日こそはと思ったんだけど、寝坊して……」
気まずそうに視線を逸らす玄へ向けて、これ見よがしにため息を吐く。
「まったく。そのままだと気持ちが悪いし風邪も引くでしょう。わたしの服を貸す事ができればいいのだけど」
恨めしげに、玄の顔を見上げる。紫乃と玄の身長差は十センチほどあるため、そうもいかない。
紫乃がそんな理由で止めた提案を、玄は別の理由で忌避した。
「それは……ミストレスの服を着たら、僕変態みたいだから」
「あなたなら似合うわよ」
愕然と紫乃を見やるその視線は黙殺して、玄の横にある扉を睨む。これを開けて出るのは、鬼か、蛇か。
意を決し、玄を従えてノックする。いらえは、すぐにあった。
「入りなさい」
一度深く息を吐いてから、ノブを掴む。扉を押し開ければ、その向こうで座っていた藍紫の姿が目に入った。
「まあそう身構える事はない。今日は、お前たちにとっても悪い話ではないだろう。……とりあえず、座りなさい」
入口で微動だにしない紫乃たちを見て怪訝そうに眉をひそめた藍紫が、不審そうに付け足す。その言葉に則って、いつかと同じように来客用のソファに腰掛ける。隣に座った玄との間に、隙間はほとんどなかった。
「それで、お前たちを呼んだ理由だが。予想はついていると思うが、五条赤人との縁談の話だ」
予想はしていたから、特に反応を示す事もない。ただ、少しだけ頷いて先を促す。
「会談の日時が決定した。三日後の午後二時から、三枝家で行う」
「三枝家なのね」
「ああ。五条家からそう申し出てきた。少しでも余裕を見せたいのか、あるいは多少の引け目を感じさせる気なのか、意図は定かではないが」
同じ数の血族とはいえ、五条は本家であり、三枝は分家だ。順当に判断すれば三枝側が出向くのが道理とも言える。それを覆してきたからには、何か意図があると睨むのが筋というものだ。
「別に何だって構わないわよ。わたしの主張は変わらないもの」
言い放った紫乃に、藍紫は苦笑してみせる。だが、それも一瞬の事。すぐに、真面目な顔に戻った。
「それで、仲裁をしてくれる方だが……十塚黄衣殿経由で、一ノ瀬青一様から打診があってな、双方が合意するのであれば引き受けてくれると仰った。互いに異論はなかったのでな、ありがたく申し出を受ける事にした」
「……一ノ瀬青一様……病院にいらした方ですね」
今まで黙っていた玄が、初めて声を上げる。その内容を受けて記憶を探れば、特徴的なあの姿が目に浮かんだ。
「そういえばそうね。けれど、一ノ瀬家が介入してくるのは、何故かしら」
「今回、大きな不祥事が起こったからな。今まで以上に数の血族内にも目を向けて、少しでも威厳と信用の回復を図りたいのだろう」
事も無げに言い捨てた藍紫は、話は終わりだとばかりに表情を緩め、思い出したように付け足した。
「会談には、二人も当事者として出席してもらう。心の準備をしておけよ」
「わかっているわ」
「承知いたしました」
各自の返事を残して、部屋を辞す。
不安を押し隠すような玄の表情が、印象に残った。




