其の捌
その言葉を突きつけた紫乃に対し、玄は目を見開いた。まるで、まったく考えていなかったとでも言いたげに。
「……すごいね、君は」
質問の答えになっていない返答に、片眉を上げる。慌てて頭を振った玄は、ぽつりと零した。
「……本当に、考えてなかったんだ。考えた事がないと思ってた。けど、どこか違和感はあったんだ。橙也さんが、防御を教えないなんて事があるわけないから」
聞いた事のない名前。玄が全幅の信頼を置いているらしいその人が、気になった。話の腰を折るような真似は避けるべきだとわかっていながら、つい好奇心に負けて尋ねてしまう。
「その、トウヤさんは、誰なの?」
「三枝孤児院で、僕がお世話になった職員だよ。鎌を使った戦闘術とか、君に教えた『奥の手』なんかも、橙也さんに教わったものなんだ。大きな盾を使ってて、僕は結局、彼が孤児院を辞めるまでそれを一度も破れなかった」
そう言う玄の声には懐かしさと親愛が浮かんでいて、少し胸が苦しくなる。それを振り払うように、一つ咳払いをした。
「それで、その人は防御重視だったのね」
その言葉で本筋を思い出したのか、玄は気まずそうに苦笑いを浮かべる。
「うん。そもそも盾以外持ってなかった。専守防衛じゃないけど、それに近い感じかな」
「その人のスタイルは今問題じゃないわ。あなたが学んだかどうかよ」
それには、即答だった。
「学んだよ。……けど、僕はたぶんそれを不要なものとして切り捨てたんだと思う」
即答なのに、自信のない答え。その裏側、玄にすらわかっていないその理由を、紫乃はなんとなく理解した気がした。今までの玄が、何を思って生きてきたのか、何となく知っているから。
「……あなたは、自分の命を軽く考えすぎよ」
きょとんと、玄の視線が突き刺さる。
「防御を考えず、最低限の回避だけで突っ込んでいくのは、特攻みたいなものよ。確かに相手は早く倒せるかもしれないけれど、自分も少なからず怪我をする。もしかしたら致命傷になるかもしれないわ。一花琥珀のときみたいに、倒せず自分が死ぬかもしれない」
最後に付け足した言葉が、玄の上に重く圧し掛かるのはわかっている。だが、言葉を止めるつもりは毛頭なかった。
「あなたは、自分が生き残った事を後悔していたのでしょう? だったら、自分の命を軽く見積もってもおかしくないと思うのだけど」
「そうかも……しれないね」
玄の返答は、曖昧だ。だが、普段とは違いそこに苛立ちは感じなかった。
「でも、大丈夫。君は命に代えても護るから。それは変わらないよ」
ただの推論、想像だったはずなのに、裏づけが取れてしまった。
ため息一つ。口にしないつもりだったが、そう言われてしまえば我慢できない。
「ふざけないで。夢見がちな思春期なんて柄じゃないでしょう」
「別にふざけてなんかないよ」
強くなった語気に呼応するように、玄の口調も強まる。一世一代の決意を馬鹿にされたと感じたのだろう。事実、紫乃は少し嘲りも含めた。
「いいえ、ふざけているわよ。自分の命一つまともに護れない人間に、他人の命なんて護れるはずがないもの。命に代えてもなんて、自分の命が相手の命と平等でなければ成り立たないわ。それが欠けているあなたに、わたしの命を満足に護る事なんてできないわよ」
「三枝の言う通りだな」
背後から突如割り込んできた声に、思わず飛び上がりそうになる。なんとか自制し、精一杯の文句を込めて振り向いた。
「脅かさないでください、十塚様」
振り向いた先にいた、黒髪をハーフアップにした女性は、その怜悧な印象の顔を苦々しく歪め、口を開いた。
「悪かった。気づいていると思ったのだが」
「数分前から後ろにいましたよね」
口を挟んだ玄へと向き直り、打って変わってしてやったりと笑う。
「正確には駅を出て曲がった辺りからだな。少なくとも、話し声が聞こえる距離にはいたが」
前方には既に三枝家の門が見えてきている。つまり、駅からここまでの約十分間、紫乃たちはまったく気づかなかった事になる。自分の事ながら、無防備すぎだ。
憮然とした表情で黄衣を見つめる玄に、黄衣は厳しい顔を向ける。
「神木。貴様は三枝のガーディアンだろう。護る事が仕事だ。ならば、三枝の安全は元より、自分の命も、できるならば周囲の命にも気を配れ。例えどれだけ重要な仕事のためであろうが、どれだけ崇高な目的のためであろうが、自らの命を捨てるのは愚か者だ。私は、そんな行為は殺人と同じだと思っている」
手厳しい言葉に、玄は微笑んでいた。痛みから自分を守るための、自衛行為。だが、玄が表情とは裏腹に至極真面目にそれを受け止めているという事は、なんとなくわかった。
「……肝に銘じておきます」
「どれだけ醜悪でもいい。生きていれさえすればな」
宏緑を真似ようとして失敗したのか、玄の頭をぽんぽんと叩いてから、紫乃の方へ視線を寄越す。二人の会話に入る事が躊躇われ、視線を周囲に流していた紫乃に、優しげな目で語りかけてくる。
「三枝。ガーディアンの教育はいいが、そういう真面目な話は家の中でした方がいい。今回は私だったからいいものの、犯罪者だったならば目も当てられないぞ」
「……肝に銘じておきます」
奇しくも、口から出て行ったのは玄と同じ言葉。それをどう受け取ったのか、黄衣は小さく笑った。
「さて、私も目的地は同じだ。後数十メートル、一緒に行かせてもらう」
さっさと歩き出した黄衣に小走りで追いついて、横に並ぶ。ふと思いつき、口を開いた。
「十塚様、今日は何故こちらへ?」
黄衣は紫乃たちの方をちらりと見やり、口元に笑みを浮かべる。
「貴様たちの婚約問題に関して、少し当主殿に話があってな」
「仲裁役を十塚家が行うということでしょうか?」
その問いには首を横に振った黄衣が、面白がるような顔をする。その顔は、驚くほど宏緑にそっくりだった。
「いや、私が貴様たちと関係が深いため却下だ」
「それは五条赤人様も同じでは?」
これは玄だ。それを、黄衣は澄ました顔で嘯いた。いや、本心か。
「あいつよりは、貴様たちの方が親しいだろう。少なくとも私はそう思っているが」
「……それでは、断りに?」
今度は紫乃。立て続けの質問にも嫌な顔一つせず答えるあたりは、流石宏緑の友人というべきか。
「それは違う。そもそも、十塚には依頼自体が来ていないからな。今日は、貴様たちの話を聞きつけたある方からの言付けを頼まれている。丁度今日こちらに来る用事があった私に、ついでにという事だ」
丁度三枝家の門に到着し、中へ。
さっさと自分の用事を済ませに立ち去った黄衣とは別方向へと歩を進めたところで、玄が声を上げた。
「ミストレス、僕はそろそろお役御免かな」
「馬鹿言わないで。付き合いなさい」
鞄から、借りてきた訓練用の短剣を取り出し、わざとらしく掲げて見せる。ぽかんとそれを見つめた玄だったが、一瞬後に苦笑した。
「……わかった」
「今日は、夕飯を食べていくつもりでいる事ね」
現在時刻は、午後三時。それがわかっているからか、苦笑を更に深めた玄は、わざとらしく敬礼した。
「仰せのままに、ミストレス」




