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其の参

 シャッター音が響いた。

 慌てて顔を上げれば、居間の戸口から顔とデジカメを覗かせた紫苑。その後ろで同じように覗き込んでいるのは雇っている中でも比較的年の近い使用人たち。全員の顔が、下世話な笑みに彩られている。そこで、紫乃は現状、自分たちがどんな状態なのかを思い出した。

 慌てて、玄の後頭部を抱えていた両腕を離す。だが、玄は先程のシャッター音すら聞こえていないのか、紫乃の態度の変化など気にする事なくしがみついたままだ。

「か、神木、いい加減に離しなさい」

「……わかった」

紫乃の態度の変化に何かを感じ取ったのだろう、先程までの勢いはどこへやら、縛り上げていた両腕が離れる。軽くなった体で玄をどかし、居住まいを正す。

 せめて威勢だけはよくしようと、母親、及びその後ろでにやにやと笑う使用人たちを睨みつけた。

「……趣味の悪い事ね」

「あらあら、居間でそんな事をしていたあなたの方にも非があると思うわよ?」

それを言われれば返す言葉などあるわけもない。言葉に詰まり、思わず強く睨みつけた。

 そんな紫乃の態度とて、使用人も紫苑も慣れたもの。相も変わらず苛立たしい笑みを浮かべ、紫乃と、ようやく事態を理解したらしい玄を見ている。

 その玄はと言えば、青ざめた顔で紫苑たちを見ていた。おそらく、立場を弁えない行動を咎められると思っているのだろう。

 だが紫乃は、紫苑の表情から、その意図がそうではない事を悟っていた。それだけでは済まないような、嫌な予感がする。

「……お母様、これには訳があるのよ」

慌てて口を開いた紫乃だが、紫苑はそれすらも愉しむようににんまりと笑った。

「ええ。そうね。深い深い訳があるわよね」

全くわかっていない言い草だ。

 紫乃は決して、そういった行為を行っていたわけではないのだ。それを理解してもらおうと、更に言い募るため言葉を選ぶ。使用人の手前、あまり露骨な事は言えない。

「……わたしは、別にそういう感情の元にこのような行為を行っていたわけではないのよ」

「本当に?」

実年齢よりも若く見える紫苑が、その外見に似合う所作で首を傾げる。実母のそんな行動は見慣れたものだが、紫乃は硬直した。

 同時に放たれた問いに、即答できない自分に気がついて。

「……わたしは……」

「神木君の事が自分の矜持よりも大事だと言っておいて? 神木君がいなければダメだとまで言っておいて? プロポーズ紛いの事を言っておいて? あなたは、そういう感情で動いていないと本当に言っているのかしら?」

矢継ぎ早の質問で凍りついた紫乃から、玄へと標的が移る。その鋭い視線に、紫乃は玄を庇う事すら忘れた。

「あなたもよ、神木君。喪う事が怖くて、守る理由は仕事ではなくて、離れる事が嫌で、傍にいなければ不安になる。けれど恋愛感情ではないと、そういうのね?」

玄は、何も言わない。ただ、微笑みながら紫苑を、その向こう側を見ていた。

 だから、紫乃は自分の内側へと沈んでいく。渦巻く感情につける名前を探して。それが何なのか、薄々わかってはいたものの。口にしていいのか、そんなことも考えながら。

 「……言えないわね」「……言う事はできません」

紫乃の答えと、玄の答えは、ほとんど同時だった。

 互いの出した答えの馬鹿らしさに込み上げる笑みを飲み下す。紫乃よりも感情の制御に長けていない使用人たちは、堪えきれなくなったように顔を背けた。

「……若いっていいわね」

老けた台詞を口にしつつ、紫苑は使用人の一人に何事か言いつけた。得心したように頷いた使用人の行き先を推測する間もなく、紫苑の視線に射抜かれる。

「あなたたちの結論に反対するつもりはないけれど、紫乃、あなたは三枝の娘よ」

言われずともわかっている。口に出したこの感情が、認められるものではない事くらい。

 だからこそ、口にしていいのか判断できずにいたのだから。

「……ええ。わかってるわ」

その返答に、紫苑は満足したような笑みを浮かべた。それが、紫乃の憂鬱を誘う。

 次にぶつけられるであろう否定を予想し、どうしたって揺れるであろう瞳を隠すように、目を閉じた。

「……生半可な気持ちでくっついたり別れたり、は許されないの。するとしたら婚約レベルよ。わかっていると思うけれど、破棄はほとんどできないと考えてもらって構わないわ」

 けれど、紡がれた言葉は紫乃の予想を大きく裏切り、手厳しくはあっても辛いものではなかった。その動揺で、思考が停止する。

 「奥様」

その言葉にどう返すべきか悩み、口を開けない紫乃を余所に、先程何処へか去っていった使用人が戻ってくる。その後ろには、藍紫の姿があった。

 どんどんと大きくなっていく話に、少々尻込みしてしまう。玄にいたっては状況に頭が追いついていないのか、呆然と微笑んだままだ。

 そんな紫乃たちの様子をちらりと見やった藍紫は、苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。

「……その話は確かか」

「ええ。今本人たちから言質をいただいたわ」

その不穏な単語に眉を顰めた紫乃を余所に、少しだけ緩んだ表情で藍紫は玄を見据える。

「『心変わりしたら言ってくれ』とは言ったが、本当にそうなるとはな」

その言葉で微笑みに苦々しさを加えた玄は、藍紫に向かって口を開く。

「僕も、驚いています」

それがどういう意味なのかは、紫乃には推し量る事しかできないが。

 一言とはいえ、会話に満足したのだろう。元の苦々しい表情に戻った藍紫は、紫乃と玄、紫苑に向けて、ため息をついた。

「……たった今、五条家から書状が届いた」

その言葉の意味を受け取りかね、首を傾げる。玄もまたしかり。だが、紫苑だけは全てを悟ったように同じくため息をついた。

「五条といえば、五条赤人君が同じクラスにいるけれど、三枝と直接の関わりは少ないはずよね。どうして書状が?」

何らかの提案及び嘆願、もしくは警告や忠告。『神憑き』の隠蔽に関する非難の可能性もなくはない。いずれにせよ、両親たちの顔を見るに、いい話であるはずがなかった。

「……内容は」

藍紫が、重々しく言葉を紡ぐ。

「その五条赤人から紫乃へ、婚約の申し入れだ」

空気が、凍った。

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