其の玖
雨を『攻撃』として認識させた防護結界の中に入り、ほっと一息つく。黄衣たちの姿を見とめ、駆け寄ってきた救急隊員に、黄衣は無造作に玄を差し出した。
「すまない、こいつも頼む」
「え、あ、は、はい!」
突然現れた、鎖でぐるぐる巻きにされたぼろぼろの少年を見て、救急隊員は戸惑ったような声で返事をした。当たり前だ。紫乃だって、今の玄の姿には戸惑わざるを得ない。制服は修復不可能なほどぼろぼろになり、体中に血がこびりついている。そして、虚ろに中空を見つめているのだ。不気味でないはずがない。
「先程喀血が見られた。一応の止血はしたが、内臓も危ないかもしれない」
そんな事はお構いなしに、黄衣はさっさと連絡事項を告げていく。最初は面食らっていた救急隊員も、職業柄かすぐに順応したらしい。
「あ、はい。とりあえず、全身治癒かけておきますね。一応病院に搬送しますが、現在追加の救急車両を呼んでいる最中ですので少し待っていただく事になります」
リーダー格らしき救急隊員が、背後の数人に指示を出しつつ早口で説明する。その最中にいて気づくが、遠くから見ている以上に救急隊員たちはてんやわんやだ。
「生命に問題がなければ構わない。何かあれば言ってくれ」
「はい、では失礼します」
それまでの隊員一礼し去っていき、後を引き継いだ女性隊員が玄を抱えあげる。臨時で置かれた椅子に座らされ、早口で詠唱する女性隊員に成すがままにされながら、玄は底なし沼のような瞳で正面に立つ紫乃を見上げた。
「……この鎖、解いてくれないかな」
「嫌よ」
憔悴した声で紡がれた願いを、ぴしゃりと跳ね返す。唇を引き結んだ玄に、紫乃は厳しく告げる。
「解いたら、あなたは一花琥珀の下へ行くでしょう? あなたの力量では、あの男には勝てないのよ。そんな事を認めるわけにはいかないわ」
玄の唇が開く前に、畳み掛ける。
「それに、あなたはわたしのガーディアンよ。わたしの傍から離れる事は容認できない。これ以上の戦闘は約定違反でもあるわ」
精一杯、毅然とした口調で告げる。早口にならないように、上擦らないように。見えないように後ろ側で組んだ掌に、爪を食い込ませた。
それが玄にとって、何かとてつもなく残酷な宣告だと察してしまっているにも関わらず。
だが、玄の表情に変化は無かった。ただ、紫乃の顔を見上げている。その顔は、『三枝の娘』として、そして一人の人間として、今まで見てきた顔の中の一つに合致した。
この顔は、紫乃の言葉に耳を貸す気がない人間の顔だ。どれだけ理に適った説得も、合理的な提案も、この顔をした人間には届かない。
だから、戦法を変える。玄がほんの少しでも紫乃を親しい人間として見ていてくれたなら、きっと扉が開くはず。そう、信じて。
「……それ以上に、あんな男にあなたを取られるのは嫌よ」
違う。
「そ、そうじゃなくて。わたしは、あなたに死なれるのは嫌なのよ」
そうだ。これを言うはずだったのだ。先程口走った言葉は慣れない状況に混乱しただけだ。
決して、紫乃の本音などではない。
そんな言葉を受けた玄はと言えば、相も変わらず、真っ暗な瞳で紫乃を見据えている。その反応に柄にも無くムキになって、紫乃は言葉を続けた。
「それに。その鎖を自力で解けないような力しか出ない状態で、あの男に勝つなんて夢のまた夢よ」
瞬間、玄の目が燃え上がる。今までの底なし沼が嘘のようなその瞳に、思わずたじろぐ。
その目には、先程まで琥珀と相対していた時のような、焦燥と、怒りと、そして憎悪が渦巻いていた。
「わかってるよッ! けど、僕はあいつを殺さなきゃならないんだ! この命に代えても……!」
「ふざけないで!」
思わず声を荒げてから、はっとして口を閉じた。歯を食いしばって何かに耐えてい玄が、紫乃を睨みつけてくる。それに対抗するように睨みつけ、口を開いた。
「あなたに死なれるのは嫌だって、言ったばかりでしょう。その命はわたしを護るために使うものよ。勝手に他の人間に差し出さないで」
「紫乃の言う通りだ、言っただろ? 『守るために戦え』ってな」
不意に後方から響いてきた援護を聞くや否や、会話も忘れて振り返る。その先にいた人物を見て、思わず目を剥いた。少し離れたところにいた黄衣もまた、呆然と口を半開きにしている。
「先生……」
「貴様、その腕……!」
びっしょりと濡れたぼさぼさの髪を掻くその人物は、玄ほどではないにしろ満身創痍な上、右腕がなかった。止血も済んでいないのか、傷口に不恰好に巻きつけられた布は真っ赤だ。その痛々しさと不釣合いないつも通りなその表情に、違和感が募る。
「ん? ……ああ、あいつ腕を上げててな、切り落とされた。だがまあ俺も手加減できなくて、腹を貫いちまったんだ。悪いけど、誰か中に行って琥珀の治療を頼む」
青ざめる救急隊員へ向けて呑気に投げかける宏緑へ、黄衣が必死の形相で詰め寄っていく。
「呑気な事を言っている場合か! ほら、ここへ来い! せめて止血位しないか馬鹿者が! 貴様なら大丈夫だと思って任せたのだぞ! 右腕を切り落とされるなど……『天陽』でも切り落とされたら戻らない事くらい知っているだろう!」
「そんなに慌てるなって。お前さんも軍人だろ? これくらいの怪我は見慣れてるんじゃないのか」
「そんな怪我を負わせないのが私の役目なんだ! 退役ものの怪我なんて見慣れるわけもないだろう!」
涙目で宏緑に食ってかかる黄衣を、宏緑は苦笑でいなす。
玄と同じように椅子に座らされ、それ以上に青ざめる救急隊員に止血されながら、宏緑は隣の玄へ厳しい表情を向けた。目いっぱいに涙をためた黄衣は、紫乃のように宏緑の正面だ。
「お前さんのやろうとしてる事は、復讐だろ?」
「……だったら何ですか」
「前に言ったよな。『復讐は、本当に手を下してしまわないなら問題ない』ってな。復讐心を抱えて生きているうちはいい。けどな、それが生きる理由になったり、本当に誰かを殺したりしたらダメだ。その復讐は身を滅ぼす。復讐が終わってしまえば、そいつには何も残らない。そこに残るのは虚像の人間だけだ」
「……なら、諦めろって言うんですか」
「ああ。あいつは刑務所で罪を償う。それでいいだろ? お前さんが手を汚す必要なんてないんだ。そんな事をすれば、お前さんはあいつと同じとこまで堕ちるぞ」
玄の顔が、いつに無く歪んだ。まなじりが吊りあがり、奥歯が軋む。
「……あなたに……何がわかる!」
その悲痛な叫びと共に、鎖が飛び散った。




