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其の捌

 雨で濡れたのか顔に貼りついたぼさぼさの黒髪。中肉中背だが、鍛えられた体。何よりも特徴的な、腰に提げた二振りのサーベル。

「おう、悪いな、遅くなった。……ってお前さん、重症だろ! 血吐いたのか!? 吐血、いや喀血(かっけつ)か!? 黄衣、早く治癒を!」

「喀血!? 馬鹿者が!」

宏緑に続いて飛び込んできたぐしょ濡れの黄衣が、悪態をつきながら玄の傍に膝をつく。

「古来より永きに渡りて世を治めたる八百万の神々が一柱『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』よ我が魂を贄としその力の一片を我が力として貸し与え給え! 『天陽 (てんよう)』!」

舌を噛みそうな速さの詠唱。肩口にかざされた掌から流れ込んでくる魔力が、玄の傷を塞いでいく。四つん這いすら苦痛だった体が、少し軽くなっていくのがわかる。

 光系統固有魔術、『天陽』。日光のごとく暖かな魔力で対象の傷を癒す、唯一の治癒魔術。その効果は医学知識に長けていればいるほど大きく、逆では薄い。要は、魔術の根幹であるイメージの問題なのだ。自分の魔術で、何をなすのかというイメージ。

 「一応血は止めたが、私ではこれが限界だ。すぐに逃げるぞ。外に救急車を呼んである」

「……いえ、動ければ問題ないです」

 体を起こし、黄衣に礼を言う。前を向けば、硬直する琥珀と宏緑。その二組の目は、大きく見開かれていた。

 「問題ないわけがないだろう。とりあえずここでじっとしていろ。いいな、動けば傷が開くぞ」

そう言い残し、慌しく黄衣が駆けていく。大方、紫乃を解放しにいったのだろう。その証拠に、琥珀が面白いようにうろたえた。足が前に出て、体が傾く。今にも走り出しそうだ。

「おいおい、十塚黄衣! やめてくれないか、大事な実験材料なんだぞ!」

それを、片腕を上げただけで制した宏緑が、嫌悪を滲ませた声で低く問う。

「それ以上に人間だ。琥珀、お前さんいつからそんな下衆に成り下がった?」

「下衆とはまた酷いですね、山代先生。おれはただ、自分の探究心を満足させたいだけです。魔術の進歩には、いつだって犠牲がつきものでしょう?」

「今は現代だ。基本的人権だってきちんと保障されてる。お前さんのやってる事はただの犯罪だ。教師として、見過ごすわけにはいかないな。八校(うち)の生徒、返してもらうぞ。お前さんも、刑務所でしっかり反省するんだ」

宏緑の言葉に、琥珀は酷薄な笑いを浮かべる。その顔は、先程までの余裕と違い、どこか焦るような色があった。

「相変わらず、熱心な人だ。おれはもう高校生じゃない。成人もした大人ですよ? あんたの教え子だったのは七年も前の話です。あんたは教師として、今の教え子を助けた。それで十分でしょう。それとも、片方だけではご不満かな?」

 「ほら、今のうちに逃げるぞ。立てるか?」

伸ばされた手を、振り払う。黄衣と紫乃が息を呑む音がした。

「僕は、逃げるわけにはいかないんだ……死んでも、あいつを殺さなきゃ……!」

「無理だ。あれだけやられたんだ、自分でもわかっているだろう。今は逃げるぞ」

「神木、あなたはわたしのガーディアンよ。わたしの指示に従いなさい。これ以上の戦闘行為は約定違反でもあるわ」

 奥歯を噛み締める。込み上げる激情に任せて喚きたい衝動を必死で押さえ込む。

 「言われる方にとっては嫌だとは思うけどな。親にとって子供はいつまで経っても子供なように、教師にとって教え子は何年経っても教え子なんだよ。それで」

宏緑が、両腰のサーベルを同時に引き抜く。

「生徒を守るのがそうであるように、生徒の間違いを叱るのも、教師の役目だ」

右手の切っ先を琥珀へ突きつけた宏緑の後ろ姿を見ながら、玄は固く拳を握った。

「……それじゃ、クールに行こうか。『雷装呪』」

 これ見よがしなため息が、頭上から降ってくる。

「これ以上は待てない。三枝、こいつの刀を頼む」

「ええ」

「『閃光捕縛呪(せんこうほばくじゅ)』」

体中に、白色の鎖が巻きつく。瞬く間にがんじがらめに縛り上げられ、玄はバランスを崩して横倒しになった。

「悪いが、担がせてもらう。……宏緑、後は任せた!」

それへの返事は無い。既に、二人は切り結び始めていた。


 見慣れた姿よりくたびれている刀を拾い上げ、検分する。確かに玄のものだと判断してから、元来た方向へ駆け戻る。その途中、視界の端に宏緑と琥珀が映った。

 思わず、足を止める。その凄まじい剣戟に、呆気に取られて。

 宏緑が強い事は知っていた。いつか、玄が『敵わないだろう』と言っていたから。

 琥珀が強い事はわかっている。今、玄が手も足も出なかったから。

 だが、ここまでとは思っていなかった。

 宏緑の右手が振り下ろされる。いなした琥珀が反撃。左手の剣とぶつかり合う。再度右。左。二刀流の利点たる手数の多さを生かした、速さで翻弄する戦闘。琥珀もまた、『鎧装呪(がいそうじゅ)』を展開し、体での防御も織り交ぜてそれに対抗している。互いの刀身が幾重にも見えるほど加速し、連続して金属音を撒き散らす。

 「何をしている! 急げ!」

黄衣の叫び声で我に返る。慌てて駆け寄り、玄に刀を渡そうとして、目を白黒させた。

「ぐずるのでな、時間が無いからこうさせてもらった。いくぞ」

『捕縛呪』でがんじがらめにされた玄を横抱きに抱え、黄衣が走り出す。紫乃もまた、それに続いた。


 くすんだ白の廊下を疾駆する。今の今まで拘束されていた紫乃は急激な運動に体がついていかず、何度か足がもつれそうになる。そのたびに意地で体勢を戻し、前を走る黄衣の濡れてなお艶やかな黒髪を追う。だが、黄衣は黄衣で、抱えた玄がもがいて走りにくそうだ。苛立つように玄を叱る声が時折無人の廊下に響き、紫乃を驚かせた。

 階段を下り、廊下を駆ける。時折転がっている死体は、玄にやられたテロリストのものだろうか。

 正面玄関と思しき扉の残骸を飛び越え、雨が降りしきる建物の外へ着地。

 前方を見やれば、研究所の前庭は大騒ぎだった。

 警察車両が何台も赤いランプをくるくると回している。救急車両も何台か止まっていて、結界の中で薄汚れた入院着のようなものを着た人たちに毛布を渡している。そして、それ以上にカメラやメモを携えた報道関係者と思しき人影がせわしなく動いている。

 テレビの向こう側でしか見た事がなかったその光景に、紫乃は思わず足を止めた。

「こっちだ」

黄衣の声に導かれるまま、雨の中こそりと車の裏側を通り、救急車両の傍まで行く。途中ですれ違った入院着の一人が、何事かと振り向いていた。

 妙に静かになった玄へちらりと視線をやる。

 玄は、相変わらず微笑みの欠片もない顔で、ただぼんやりとぬかるんだ地面を見ていた。

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