↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/155

其の漆

 数メートル吹き飛ばされ、さらに数メートル地面を滑る。体中が痛い。『焔弾呪』をまともに食らい、起き上がるための動作すら体中が軋んだ。

 それでも。

「おいおい、そろそろ疲れてきたんだけど」

やめるわけにはいかない。

「神木! もういいわよ! 逃げましょう!」

「……ダメだよ」

紫乃の優しさは、今は大きなお世話だ。

「僕は、逃げるわけにはいかないんだ」

地を蹴る。もう、まともな思考などない。ただ、ただ目の前の男を殺す。そのためだけに脳が働く。五感も、筋肉も、そのためだけに動く。

 影の刃がうねる。舞うように髪を翻す。琥珀の攻撃など、眼中にない。戦闘を続けられるなら、掠った程度なんでもない。鎌を振るえるなら、小さな傷は気にも留めない。致命傷だけを避ければいい。

「ああああああああ!!」

己を鼓舞する絶叫。鎌を握り直せ。地面を踏み直せ。敵を捉え直せ。何が必要か考えろ。

 息が切れる。右目に血が入り、閉じてしまいたくなる。体中が悲鳴を上げる。

 ――――だから、どうした。

「『雷槍呪』」

「『黄泉送り』!」

雷の槍を魔力の靄に戻す。その一動作が、重い。

 鎌を振り下ろす。頬を斬られる。振り上げる。二の腕に切り傷が生まれる。薙ぎ払う。脇腹を裂かれる。生身を魔術で抉られる感覚。だが、どれも浅い。

 浅いのなら、気にする事は何もない。

 ただ、本能と直感、体に染み付いた反応だけで鎌を振るう。影の刃を伸ばす。魔力の靄へ戻す。雷の弾を放つ。

 琥珀の反撃を最小限だけ避け、距離を詰めた。


 玄が一歩距離を詰める。いつの間にか満身創痍になっている玄の、血が滲む全身を見下ろしながら、紫乃は必死で身をよじった。

 鎌の柄が、ようやく琥珀の腹を捉える。やっとの痛撃で生まれた隙を見逃さず、玄は琥珀を左拳で殴りつけた。

 琥珀の体が吹き飛ぶ。だが、玄もまた膝を突いた。苦しそうな荒い息が紫乃の耳にも届く。

「神木!」

「そろそろ限界か? 魔力も減ってきただろ」

瓦礫の向こう側から、琥珀の呆れたような声が耳朶を打つ。まるで 堪(こた)えた様子がない、平常通りの声音。

 手首の痛みも気にならないほどに必死でもがく。この拘束を解いて、玄の下へ。力になれなくてもいい。届かなくてもいい。けれど、せめて近くに。

 好都合な事に、琥珀は紫乃が大事らしい。なら、体を張れば少しくらい時間を稼げるかもしれない。

 彼我の力量差なんて百も承知。紫乃の中で絶対的な強さの象徴だった玄があれだけ手も足も出ないのだ。紫乃が相手になるはずもない。

 それでも。玄の言葉を借りれば、逃げるわけにはいかないのだ。

 紫乃は、玄の女主人なのだから。主人が従者を置いて逃げては、示しがつかない。そしてそれだけでなく、紫乃は玄を見捨てる事がどうしようもなく嫌だった。


 膝を突いて荒い息を繰り返す。琥珀の態度にダメージを受けた様子はない。まるで効いていない。足りないどころの話ではない。何一つ、必要なものは得られていなかった。

 「あんたじゃおれには勝てない。わかってるだろ」

「……だったら、どうした……!」

強引に体を動かす。震える足で地を蹴り、琥珀へ迫る。赤くぼやけた視界に映るその姿が、急速に大きくなる。

 その右手に握られていた刀が、霞んだ。

 右斜め下からの切り上げを掻い潜り、背後へ回り込む。遠心力を乗せた右薙ぎ。普段の刀とほぼ変わらない重さのはずの鎌が、とてつもなく重い。

 動きの鈍さを意地で埋め、薙ぎ払った。だが空を切る。跳躍してそれを避けた琥珀の左薙ぎ。しゃがみ込むが浅く、髪が少量舞い散る。

 次いで襲った拳をぎりぎりで避け、バックステップ。追る琥珀を『魂狩』で牽制し、勢いが鈍った刃を受け止める。ぎりぎりで弾き返し、再び影の刃で狙う。

「『雷龍呪』」

「『黄泉送り』ッ!」

雷の龍を魔力に還す。お返しとばかりに琥珀を『魂狩』で狙うが、どれも弾かれる。

 届かない。玄の持つ全てを出し切っても、勝つどころか互角にも届かない。蒼次どころか、宏緑にも匹敵するだろう。その強さに、その高みに、玄では届かない。

 ぎり、と奥歯が嫌な音を立てる。これでは、意味がない。

 琥珀に、六年追い続けた仇に届かなくては、この力は意味がない。

〈もう、よさぬか! 今は引くべきであろう!〉

伊邪那美の声に返す言葉はない。そんな事、玄自身が一番わかっている。自分の傷の痛みも、体の疲労も、力量の差も。玄が、この体の本来の持ち主が一番わかっているのだ。

 けれど、本能よりも奥に染み付いた感情が、撤退を許さない。

「ダメなんだよ……ここで逃げたら、全部ダメになる……!」

もはや何度目かわからない突進。獣のように、ただ本能に任せて鎌を振るう。

 ため息を吐いた琥珀が、気負いのない動作で刀を振った。単純な速さなら玄の方が何倍も速いはずなのに、玄の鎌に琥珀の刀は追いついてくる。全力の横薙ぎをいなされ、体勢が崩れたところへの蹴り。

「古来より永きに渡りて世を治めたる八百万の神々が一柱、『火之迦具土神』よ。我が魂を贄とし、その力の一片を我が力として貸し与へ給へ――――」

地面を転がる勢いを利用して立ち上がった玄を出迎えたのは、無数に浮かぶ火球だった。バスケットボール大のそれが、幾重にも琥珀を取り巻く。

「――――『不知火』」

その一言は、玄への、勝利宣告だった。

「くッ!『黄泉送り』!!」

とっさに唯一使用可能な防御魔術を発動。琥珀を中心に円を描くような疾駆。避けきれない火球の軌道に目を凝らす。

 絶え間ない移動に加え、鎌で火球を薙ぐ。その数が二桁を越えたところで、琥珀が現れた。反射的に振り下ろした鎌を避けるわけでもなく、琥珀が大きく横に跳ぶ。その後ろから現れたのは、一際大きな火球だった。

 ――――鎌での迎撃――――間に合わない――――跳躍――――体勢が危うい――――

 いくつもの思考が急速に渦を巻く。そのどれもが有効な答えを出さぬまま、火球は玄の体を捉えた。

 今までとは比べ物にならない衝撃。走る激痛。体を包む加速感。急速に移ろう視界。

 数十メートル吹き飛ばされ、地面をバウンド。枯れ葉のように転がる。その過程で鎌は右手を離れ、広間の隅へがらがらと滑っていった。

 「……さて、しつこい邪魔者もいなくなったところで実験を始めようか。まったく、とんだ時間を食ってしまった」

 うつぶせになっているせいで見る事はできないが、琥珀の声が離れていくのがわかる。

 完膚無きまでに、敗北だ。鎌は飛んでいった。もう突進一回分の体力も気力もない。指先一つ動かすのにも激痛が走るこの状態で、平常ですら勝てない琥珀を相手に立ち回れるはずがない。

 もう、手詰まりだ。仇は討てなかった。

 ――――仇を、討てない。

 その一言が、全身を駆け抜けた。

 六年憎み続けて、やっと見つけた仇を討てない。その恐怖が、自分の存在意義を失うような焦燥が、玄を駆り立てる。体の奥底で、燃えるように叫ぶ。

「……待……て……」

その炎に突き動かされるまま、右手を支えに四つん這いまで体を起こす。

「……お前の……相手……はっ」

咳き込む。喉の奥から込み上げた何かを吐き出したら、灰色の床が紅く染まった。

「……僕だ……!」

それでも言葉を継ぐ。琥珀の姿を睨みつける。この程度でやめるわけにはいかない。六年来の仇を、ここで諦めるわけにはいかない。

「おいおい、いい加減にしないと死ぬぞ? 大事な実験材料なんだ、今度はしっかり実験したいんだから。死んでもらっちゃ困るんだけどな」

「……『魂……狩』……」

 返答の変わりに、『魂狩』を発動する。けれど琥珀の影から生まれた刃は弱々しく、刀の一振りで消滅した。

「いい加減、大人しく気絶しててくれ。『水弾呪(すいだんじゅ)』」

琥珀の掌から生まれるのは、水の玉。食らっても死ぬ事は無いだろうが、この状況では気絶は免れない。それは、玄にとって死も同然。

 絶対的な力量の差。それを眼前に突きつけられ、玄の心はずたずただ。再燃したはずの激情も、あの水で消されてしまった。

 目前に迫る水の玉を霞む視界で見つめ、ぼんやりと彼我の距離を測る。避ける事も、防ぐ事もできるはずがない。ただ、死を待つ。

 ――――ごめん。何もできなかった。

 胸中で、やっとそれだけ呟く。

 衝突の寸前、大きな影が玄と水の玉の間に割り込んだ。

 「……生きてるか!?」

聞こえてきた声は、数十分ほど前に電話越しで聞いた声。まるで、何年も聞いていないかのような懐かしさがあった。

「……やましろ……せんせい……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。