其の伍
階段を上がりきった後から感じている、林間学校の時のような『嫌な感じ』の元を探して、気配を探る。時折遭遇するテロリストたちは一刀の元に斬り捨て、血溜まりを顧みる事もなく次へと進む。これほどまでに人を斬る事に躊躇いがないのは、いくら玄とはいえ初めてだった。
先程、人を押し込めた檻があった部屋ような扉を見つける。その奥に『嫌な感じ』を感じて、玄はノブに伸ばした手を引っ込めた。
代わりに足を振り上げる。普段通りの、気負いのない蹴り。だが、扉一つ吹き飛ばすには十分だ。ガラガラと、金属が転がる甲高い音が響き渡る。
「な、何!?」
室内から聞こえてきたのは、高い声。少女のような、いや、少女の声だ。
鎌をいつでも振れるように構えながら中へ踏み込む。そこにあるのは、先程と同じような檻。
その中にいた人影に、思わず鎌を下ろした。
「君は、何者?」
「ボクは美濃白音。あなたはー?」
「ここに誘拐された女の子を助けに来たんだ。君も、誘拐されたの?」
「うん。なんたらの実験だーって言われて、へんな魔力を注ぎ込まれたんだ。けど、『成功作』だって言われてるから、ご飯とかはちゃんと食べさせてくれるけどねー」
不思議な一人称を用いる少女は、聞いてもいない事を色々話してくれた。その目には、微塵もこちらを疑うような光などない。
けれど、『嫌な感じ』の元は間違いなくこの少女だ。だが、白い魔力が彼女の周囲に立ち込めているにも関わらず、魔術を使う様子はない。
そのあまりの無防備さに、いつの間にか玄も体の力を抜いていた。
「君は、逃げたい?」
それでもまだ焦っているのか、玄の問いは直接的だ。
「……逃げたくないわけないよっ! ボクは誘拐されたんだよー!? パパにもママにも、もうずーっと会ってない! 会いたいよ、逃げたいよー!」
「……なら、逃がしてあげる」
言うが早いか、少女の檻を鎌で薙ぎ払う。彼女の四肢に拘束具はついていないから、それだけで逃げるには十分だ。
よろり、と信じられないといった表情で檻の外に出てきた少女は、高低差によろけて倒れこんできた。
「おっと」
「あ、ありがとー」
それを抱きとめ、視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「君には、ここから自力で外まで逃げてもらわなきゃならないんだ。できる?」
「うん、大丈夫。ボク、これでも強いんだよー?」
笑うと、大きな目が細く綺麗に弧を描く。その幼い顔立ちの少女を一人で放り出すのには忌避感があったが、そっと押し込めた。
「じゃあ、この部屋を出て右に曲がれば、階段がある。それを下りて、後は道なりで正面玄関につくよ」
「うん、わかったー! じゃあね、ありがとー、ヒーローさん!」
駆け去っていく少女が右に曲がって姿を消したところで、視線を自分の進行方向に移す。予想外に時間を使ってしまった事にわずかな後悔を感じつつ、地を蹴った。
「こ、ここから先には絶対に行かせるわけにはいかない!」
階段をもう一つ上がった先は、一直線の廊下だった。まるでゲームのダンジョンのような作りには驚きを禁じえないが、今はそれを楽しんでいる場合でもない。
玄の前には今、十名前後はいるであろうテロリストたちが、それぞれの武器を構えて立っているのだから。
先頭に立つ、刀を中段で構えた男が叫ぶ。若い男だ。こういった場に慣れていないのか、腰が少し引けている。
少しだけ、脅してみたくなった。
「僕は絶対に行かなきゃならないんです。通してもらえますか」
精一杯すごんで見せる。魔力の制御を緩め、一時的に増大したように錯覚させれば、男は面白いように取り乱した。
「くっそおおああッ!」
絶叫しつつ、それでも向かってくるところは評価されるべきかもしれない。が、大上段に振りかぶったまま、不恰好に駆けてきては、
「があ……?」
鎌の餌食でしかない。
男の断末魔はスターターピストルの代わりだ。斜め前へと跳躍しつつ、余勢を利用して一回転。遠心力を乗せて三人いっぺんに薙ぎ払う。
頭一つ分縮んだ男たちを踏み越え、次の敵へ。
「『魂狩』」
スライディングで第二波を掻い潜り、背後を影の刃で貫く。前から迫る斧をいなして反撃。
鎌を振るって生まれた隙は『魂狩』で埋める。強引に、そして全力で前へ進む。バックステップもサイドステップも必要ない。ただ、前へ。
鎌を振るう数が十回に届かないうちに、玄の周りで動くものはなくなっていた。足元で、流れ出した血が水溜りを作っている。
それを一瞥してから、目の前の扉に手を掛けた。
数分前に聞こえた、くぐもった叫び。男が「行かせない」と叫んだその声に次いで聞こえた、静かな、けれど確固たる意思を持った声に、紫乃は思わず泣きそうになってしまっていた。
――――僕は絶対に行かなきゃならないんです。通してもらえますか。
それ以降続いている、絶叫の嵐。阿鼻叫喚が響くその地獄の音声を紫乃と同じように耳にしているはずなのに、琥珀は顔色一つ変えず、鼻歌でも聞こえそうなほど楽しそうに何かの器具をいじっている。まるで、自分とは何の関係もない、ホラー映画を見ているように。外から聞こえ出した、雨音と同じであるかのように。
その、本当に紫乃と同じ人なのか疑いたくなる感性を見ていられず、視線を正面扉へ逸らす。
いつの間にか絶叫がやんでいる事に気づく。それに首をかしげる間もなく、扉が開いた。
入ってきたのは、身の丈を越える大きな鎌を構えた、影の衣を纏う人影。背中の中ほどまで伸びた黒髪を揺らし、室内を見渡している。紛れもなく、玄だ。
「……神木っ!」
「ミストレス、よかった!」
紫乃を見とめ、すぐさまこちらへ駆けてこようとする玄を、ようやく琥珀が振り返る。
「おいおい、まだ準備は整ってないのに。まったく、グローリアのやつらは何をやってたんだ」
その声を耳にした玄が、動きを止めた。ロボットのような動きでそちらへ首を向け、目を見開く。おもむろに、その唇が音を紡ぐ。
「……まさか……お前……」
響いた声音に、眉根を寄せる。一瞬、誰が発したのかわからなくなるほどに掠れた、どす黒い声。紫乃の知らない、玄の感情が載った声。
そして、玄の表情もまた、紫乃の知らないものだった。
息を呑む。上手く呼吸ができない。言いたかった言葉は、胸の辺りで雲散してしまう。
琥珀を鬼のような形相で睨みつける玄には、普段の微笑の欠片も残っていなかったから。




