其の肆
「嫌です。僕は、ミストレスを守らなければならないんだ」
「おい、ダメだ! 待て!」
黄衣と宏緑の焦る声が、電話口から響き出す。それから目を背け、一言を残して通話を終了した。
「これより、戦闘行為を開始します」
携帯の電源を切る。一歩敷地内に踏み込めば、電話の余韻も、雨の匂いがする空気も、全て意識の外へと追いやられていった。
あるのはただ、冷たく澄んだ敵意だけ。意識が戦闘モードへシフトしていくのがわかる。世界が鮮明に、そして克明に脳へと届き、音が、動きが、一つ一つ高速で処理されていく。
門から続く道をゆっくりと踏破し、扉の前にたどり着く。そこで一度足を止め、目を閉じた。
(出し惜しみはしない。藍紫さんにも許可をもらった)
〈ほう、ならば、最初から全力でいくのかの〉
(うん。だから力を貸して)
〈この力は六年前から主のものであろう。何を今更〉
そんな伊邪那美に苦笑しながら、刀を抜き放つ。右手をまっすぐ横に向け、ただ一言、呟く。
「『具現武装呪』」
闇が渦巻く。全身から噴出していくそれが刀に絡みつき、巨大な鎌へと変貌したのを感じてから、扉へ蹴りを叩き込んだ。
にわかに騒がしくなった階下の怒声を聞きながら、紫乃はひそかに笑みを浮かべた。聞こえてくる喧騒には、怒声や悲鳴だけでなく金属音や爆発音も混じっている。明らかに、戦闘の音だ。
「おいおい、何の音だ?」
前方で何らかの準備をしていた琥珀が、呆れたように声を上げる。それに答えたのは、正面扉を破らんばかりに飛び込んできた、薄汚れた男だった。正面扉と部屋の大半は紫乃の位置から一段下がっているため、全身見る事ができる。
「し、侵入者です!」
「警察か? さすがに早くないか?」
「い、いえ。第八高校の制服を着た、髪の長い子供です!」
「ふーん……子供、ね……。あ、下がっていい。何があってもここには越させるなよ」
「りょ、了解しました!」
駆け去っていく男の足音をバックに、琥珀の足が近づいてくる。それは先程のように紫乃の前にしゃがみこむと、面白がるような口調で話し出した。
「八校の制服ですって。もしや、あんたの友達ですか?」
なんと答えればいいか少し頭を捻ってから、努めて獰猛に見えるよう口元を吊り上げる。
「……あなたの命を刈り取る、死神よ」
そんな、いたずら心が詰まった紫乃の返答を聞いた琥珀はといえば、堪えきれなくなったのか高らかに笑い出した。
「ははははは! 死神、ですか。それはそれは、会えないのが残念だ」
「すぐに会えるわ。もっとも、その記憶も無意味になるけど」
「そうならないよう、せいぜい足掻くとしましょうか」
短い会話を切り上げて、琥珀の足が遠ざかる。紫乃もまた、階下の物音に玄の存在を探して、耳を澄ました。
迫る白刃を掻い潜り、大鎌を薙ぎ払う。余勢で回転しつつ壁を蹴り、加速する。
研究所特有なのか、入り組んだ構造のせいであまり派手に動けない。だが、廊下が広い事は大鎌を振るう上で役に立っていた。
「こっちだ! いたぞ!」
曲がり角を曲がった先から現れた増援数人が、掌を突き出す。魔術攻撃の前動作を見て取り、玄も呟いた。
「『黄泉送り』」
鎌の刃が、鈍色から黒へと変わる。その光沢のある黒は、魔術を黄泉へと送る刃の証。
「『焔槍呪』!」
「『雷龍呪』」
「『光弾呪』っ!」
三者三様なその叫び声を聞き流し、魔術の軌道を読み取る事だけに集中する。放たれた焔の槍を、雷の龍を、光の玉を、鎌で切り払う。
鎌の刃が魔術に触れた瞬間、それらは意味を持たない靄となって霧消した。
これが、玄が六年前に手に入れた、二つ目の専用魔法。刃に触れた魔法を無効化する、攻撃的な防御魔法。
「なんだあいつはッ!?」
そんな驚愕の叫びが、男の最期の言葉だった。
一瞬の隙を突いて間合いへ飛び込み、鎌を振り下ろす。返す刀で跳ね上げ、長大な刀身を利用して二人まとめて斬り飛ばした。
内心で斬った人数をカウントしてみる。確か、これで八人目だ。
思っていたより、反応が早い。そして、一人一人の技量もまた、いつかのテロリストより上だった。
必要のない思考を振り払うように、薄汚れてはいるものの、かつての姿を保ったままの廊下を駆け抜ける。
不意に、扉が視界の端を飛び去っていく。その扉の向こうに多人数の気配を感じて、思わず足を止めた。自身の心の天秤にかけた挙句、数十メートル駆け戻り、扉に手を掛ける。
強く開け放ち、一度退避。内部から攻撃が来ない事を確認して、踏み込んだ。
「……なんだ……これ……」
室内に鎮座していたのは、巨大な金属の檻だった。魔術を防ぐ結界が張られたもの特有の、薄い膜のようなものが見られる。
「き、君は何だ!? あ、新しい監視人か!? いやいい、今何が起こっているんだ! ば、爆発音や金属音がしているぞ!?」
檻の中に押し込められているのは、人だ。数人ずつ、いくつかの檻に入れられている。全員共通で、薄汚れた白の入院着のようなものを着せられていた。清潔さの欠片もない格好が、彼らの扱いを物語っている。
気だるげに視線だけを寄越す者、鉄格子にしがみ付いてこちらへ手を伸ばす者。金属の床に寝転がる者。どれも、幸せそうな顔などしていない。ただ、自分の境遇や世界を呪い、憎むような顔をしていた。
まるで、昔の玄のような。
「僕はここに誘拐された女の子を助けに来ただけです。爆発音なんかは戦闘の音でしょう。あなた方は、なぜそんな扱いをされているんです?」
好奇心というよりも、ただその顔の理由が知りたくて、思わず尋ねる。
返答は、最悪だった。
「ここの奴らは、どっからか人を誘拐してきては実験材料にしてるんだ。俺らはここに来て間もないからまだどんな事をされるのかは知らないけどな」
奥歯が嫌な音を立てる。自分の言葉どころか、そんな事すら意識しないまま、玄は搾り出していた。
「……皆さん、壁際まで下がってください」
「おい、何を……」
「いいから、早く!」
足音も気配も、少しずつ近づいている。玄の出方を窺う気なのか、駆け寄ってくるつもりはないらしいが。それでも、時間の問題だ。
人々が、玄の剣幕に押されて壁際へ下がる。それを確認してから、玄は呟く。
「『魂狩』」
玄の影から生まれていくのは、不気味に蠢く影の刃。それが十分量に達したと判断してから、命令を思い浮かべる。
瞬間、刃たちが動いた。玄の影から急速に伸張し、檻の前面を切り裂いていく。
全てを切り裂き終わった後で、魔術を解いた。
「……き、君、その魔術……」
「あなた方は何も見なかった。さあ、自由です。ここから外に逃げられるかはあなた方次第。危険を冒してでも逃げたい方はどうぞ、外へ」
そっけなくそれだけを言い残し、踵を返す。
案の定廊下の向こう側で魔術を待機させていた数人を斬り捨て、その奥の階段を駆け上った。




