其の参
「さて、手順は事前説明の通りだ。プリントも持ってるだろうから、わからなくなったらそれを見れば大体の事は書いてある」
宏緑の説明はそれで終了。後は、各班に割り当てられた野外炊飯用のかまどまで移動し、そこから調理開始だ。
例によって例のごとく、紫乃は玄と二人で少し離れたかまどだった。
「いや、悪いな。ここしか残ってなかったんだ」
宏緑の謝罪に、苦笑いで首を振る。
「いえ、特に気にしていませんから」
「ミストレス、材料の調達終わったよ」
丁度、両手に材料を抱えて玄が戻ってきたため、会話を切り上げる。宏緑も長居をするつもりはなかったのか、ふらりとどこかへ立ち去っていった。
「じゃあ、切っていくわよ」
プリントの手順通り、包丁を持ち上げる。
ふと思いつき、待機していた玄を見やった。
「あなた、料理は? 一人暮らしよね?」
答えは、苦味を含んだ微笑だった。
「……あんまり得意じゃないかな……」
予想とは真逆の返答に、思わず絶句する。一人暮らしならば炊事も自己責任だろう。もちろん、だからと言って下手だと決め付けるわけではないが、逸らされた視線からして謙遜である可能性は限りなく低いだろう。
「普段の食事はどうしてるのよ」
「大体、スーパーとかのお惣菜とか、後は外食かな。時々作るけど、おいしくないし」
ため息をつく。ダメなタイプの典型的な例だった。
じっとりと玄を見つつ、手際よく野菜を切っていく。その様子に、玄は意外そうに眉を上げた。
「上手だね」
「『女性たるもの、料理くらいは常識』って、お母様の意向よ。『いつか嫁ぐときに恥をかかないために』らしいわ」
女性の社会進出が男性と並ぶほどになった二〇七〇年現在も、そういった考え方は好意的に残っているのだ。
そんな紫乃の言葉に、玄は頷いた。
「奥様らしいね」
「突っ立ってないで何かしなさいよ。お米を研ぐ事くらいならできるでしょう?」
「あ、うん」
慌てて水を取りにいく後ろ姿から目を離し、目の前のジャガイモに集中した。
「それじゃあ、クラスレクを始めるぞ。レク担当、任せていいか?」
腹ごしらえが終わり、好き勝手に話しながら片づけを終え、着替えを終えてからクラスごとに集まる。例によって紫乃は九組に組み込まれており、周囲から刺さる好奇心が痛い。だが、ポーカーフェイスなら慣れたものだ。
宏緑の指示によって前に出てきた二人の男女は、手元の紙に目を落としつつ、話し出した。
「九組のレクは、事前に説明した通り、『鬼ごっこ』になります。ただし! 魔力活性化をしてのものになります! また、エリアは、後ろのある山、全てです! 最初の鬼はこの間決めた三人。それ以降、タッチされた時点で交代となり、十秒後から行動を開始してください。なお、それと見分けるために鬼の人にはたすきを掛けてもらいます」
前に出た、鬼の三人がたすきを渡される姿から、後ろの山に目をやる。山と言うよりは小高い丘とでも言うべきだが、それでも急勾配な上に大きい。これは、骨が折れそうだ。
「ミストレス、どうする?」
「別にどうもしないわ。あなたはわたしから離れない。それだけよ」
即答。苦笑いの玄は流して、担当者の指示通り立ち上がった。
「カウントは三十秒です! それでは、スタートっ!」
言うが早いか、担当がさっさと駆け出していく。一拍遅れて、魔力を活性化させたクラスメイトたちが蜘蛛の子を散らすように去っていく。その集団から離れるように、紫乃も駆け出した。
急勾配の坂を駆け上がる。魔力の活性化に伴って数倍に強化された身体能力を存分に振るい、木々の間を縫っていく。霞むように後方へ飛び去っていく景色を気にも留めないまま、開けた場所で一度足を止めた。
影のようについて来ていた玄もまた足を止め、周囲を見回している。ここに着いたときから言っていた『嫌な感じ』は消えていないらしい。
「それで、どうするの?」
「別に、どうもしないわ。気配が察知できたら逃げる。それまでは体力温存よ」
肩を竦め、傍の木にもたれかかる。その言葉にくすりと笑った玄は、その横に腰を下ろした。さっさとイヤホンをしているその姿はまるで不真面目な生徒だが、その実間断なく周囲に気を配っている事を、紫乃は知っている。三ヶ月ほど一緒にいれば、それも当たり前だった。
黒いイヤホンが、玄にとってどんなものなのかは未だにわかっていないが。
それから、十分あまり。
不意に玄が立ち上がった。邪魔になるであろうイヤホンを手際よく纏めてポケットにしまう。
「ミストレス、逃げるよ」
「来たのかしら?」
「うん。逃げている人がこっちに来てる。鬼は二人かな」
「わかったわ」
木の幹から背を離し、一度伸びをする。魔力に気を配れば、確かに三人。こちらに向かってきている。
枝を踏み折り、下草を蹴り飛ばす音が聞こえてくる。それが最高潮に達したとき、紫乃は地を蹴った。
「おい! もう二人いたぞ! どうする!?」
「追うぞ! あいつはもういい!」
追ってきていた二人が、不運にも紫乃たちに狙いを変えた。すぐに背後から足音が迫りだす。だが紫乃はそれを一瞥もする事なく、前だけを見据えて足を動かし続ける。
「ミストレス!」
どれだけ走っただろうか。不意に、玄が緊迫した声を上げた。背後に迫る足音は既に息づかいすら聞こえそうなほどに近い。当たり前だ。魔力を活性化しているのは向こうも同じ。同条件なら、男子である鬼の方が速いのは道理だ。今の差は、走り続けていた鬼と休んでいた紫乃の差でしかない。
けれど、玄が声を上げたのは、鬼が迫ってきているからではなかった。
前方から、もっと大きな脅威が迫ってきていたから。
「おい、そっち崖だぞ!」




