其の弐
窓の外を、景色が駆け抜けていく。
紫乃の席は最後尾から二つ目の廊下側。玄はその隣の窓側だ。空席を二列挟んだ前方に、九組の生徒のうち半分ほどが座っている。更にその向こうには宏緑と副担任。
つまり、完全に隔離されているのだ。それは、万が一の際、紫乃を混乱に巻き込まないためであり、一般生徒を巻き込ませないためだ。
けれど、今紫乃が感じている居心地の悪さは、隔離が原因ではない。むしろ、不必要に気を使わない分気楽かもしれない。
だが、隣にいるともなればそうもいかない。普段の癖で外を見ようとすると、どうしても玄の顔が視界に入ってくる。だからと言って話しかけようにも、何を話せばいいかわからない。つまるところ、沈黙なのだ。顔を見ておいて話しかけないのもどうかと思い、何か話題を探すが、何もなかった。
改めて思い知る。紫乃は、玄の事を知らなさ過ぎる。何が好きで何が嫌いか、どんな話をすれば会話ができるのか、何一つ知らない。
「……神木」
「ん? どうしたの」
話題を考える。いくつか思い浮かべたうち、紫乃が選んだのは当たり障りのないものだった。
「あなた、家はどこなのよ」
「……ミストレスの家から歩いて十分くらいかな。吉岡屋の隣のアパート」
自分の記憶を探る。そういえば、中学へ向かう道にそんな名前の牛丼屋があった。その隣は、建築中の何かだったはずだが。
「あそこにアパートなんてできたのね」
「二階建ての小さい奴だけどね。ペットがいる人用だから、グリムの出入り自由だし、便利で助かってる」
そういえば、猫を飼っているんだったか。入学式以来、時折紫乃のところにも遊びに来る黒猫。人懐っこく可愛い猫だ。
「あなた、グリムどうしたの? 二日留守にするでしょう」
「そのままだよ。餌と水は補充してきたし、出入りは自由。何かあれば、隣の人とか奥様に頼んできたから、餓死とかの可能性は無いと思う」
「相変わらず賢い猫ね」
「うん。自慢の猫だから」
そう言って笑う玄の顔は、普段よりも柔らかかった。
「あなた、グリムの他に好きなものはないの?」
「うーん、特にないかな。ミストレスは?」
「別にないわ」
好きなものと言われても、とっさには何も出て来ない。本を読むのも好きだしある程度ならゲームもするが、別に趣味ではないのだ。
話題が繋がらない事を悟り、針路を正反対に変える。
「なら、苦手なものはなによ」
その問いを受け、微笑みを気まずそうに固めた玄は、心底恥じているように答えた。
「……ホラー系」
「お化けとかダメなの?」
「うん。突発的に飛び出されても平気だけど、ゾクゾクする奴は無理なんだ」
今度機会があればホラー映画を見せようと決める。玄には悪いが、怖がる姿が見てみたかった。
「……それじゃあ……」
いつの間にか、気まずさから始めた会話を無理やりにでもつなげようとしている自分に気づく。
途端に訪れる混乱から目を背けるように、玄から顔を逸らす。言いかけた紫乃の言葉を促すように首を傾げた玄に知らないふりをして、言い訳を必死に考える。
「……それじゃあ、わたしは少し寝るわ」
言うが早いか、目を閉じて力を抜く。隣で何か言いたげな気配がしたが、無視する。
規則正しい揺れのせいか、瞬く間に眠っていた。
「ミストレス、着いたよ」
玄の声で目を覚ます。いつの間にか寄りかかっていた事に気づいて赤くなる顔を逸らし、もごもごと礼を言った。
「降りたら、荷物を受け取ってバスの前に集合だ。そこから一度宿舎に向かうからな。忘れ物はするなよ」
前から順番に、生徒がぞろぞろと降りていく。その列の最後尾に並んで、荷物を受け取る。既に出発している七組の後ろ姿を見ながら、茜の傍まで歩み寄る。
「……そういえば、二人は部屋も違うんだっけ」
「僕はミストレスの隣室。ミストレスは先生たちと同じ並びの部屋だよ」
「一人部屋なんだ。気楽だけど、なんか寂しそう」
「普通は三人一部屋だっけ」
「うん。三人か四人だよ。あたしは三人部屋」
ずきりと痛む胸にふたをする。この扱いはまだいい方だ。中学のときは、護衛と相部屋だったのだから。それに比べれば、一人部屋のなんと気安い事か。そう言い聞かせる。
「全員いるな? じゃあ移動するぞ」
宏緑のその声は、救いだった。微妙な表情をごまかす言葉を考えずに済んだのだから。
三々五々、仲のいい人間固まって歩く九組の生徒たちに合わせて、最後尾を三人で歩く。紫乃と玄は言わずもがなだが、茜が一緒にいるのは想定外だった。
「茜、クラスの人たちのところにいかなくていいのかしら?」
その問いを、茜は苦笑して受け流す。
「あたしは二人といる方が気楽だから。……あ、それともあたしお邪魔?」
「それはないから安心して」
ばっさり切り捨てられたのが面白くなかったのか、茜が口を尖らせる。
その横で、玄はしきりに周囲を見回していた。物珍しさから周囲を見ているように見せてはいるが、紫乃にはわかる。玄は、何かを探している。
「……どうかしたのよ」
茜もまた、その行為が気になっていたのか紫乃の向こうから顔を出す。
「……いや、大したことじゃないんだけど……」
珍しく言いよどむ玄に、紫乃の悪い癖が顔を出す。
「早く言いなさいよ」
「……なんか、嫌な感じがするんだ。ミストレスは感じない?」
歯切れの悪い問いに、苛立ちながら神経を集中する。周囲の気配を探っていく。
うなじの辺りに、ぴりっとした感覚があった。これが、玄の言う『嫌な感じ』だろうか。
確証はないが、紫乃には確信があった。
「するわね」
「あたしは感じないよ? 二人はすごいね」
不安げに茶化す茜を宥める紫乃の隣で、玄はずっと周囲を見回していた。




