其の弐拾
「『殺すための剣』……ですか」
感慨深げに呟いた玄に、宏緑は首肯する。
その様子を見ながら、紫乃は口を挟むべきかどうか決めかねていた。宏緑の口から飛び出したのは、物騒な言葉だ。けれど受け取った玄に、それによって衝撃を受けた様子はない。それどころか、どこか感心した雰囲気すらあったから。
「ああ。お前さんの振るう剣は、人を傷つけ、殺す事に特化した剣だ。剣筋も身のこなしも、全て人を斬る事だけを考えた動きだろう?」
その問いは、玄が隠したどす黒いもの奥深くに切り込むものだったのかもしれない。少なくとも、紫乃の知る限り、玄がこんなにも笑みを固くしたのは初めてだった。
「……ええ。そうです」
搾り出すような肯定を聞いて、紫乃はある一瞬を思い出していた。
それは、二週間ほど前の事。赤人との模擬戦を行う前の会話。あの時、『勝てるのか』と尋ねた紫乃に、玄は『紫乃を守るために力を磨いてきた』と言った。
別に、玄が嘘をついた事に憤っているわけではない。あの瞬間、微笑みという仮面がずれた玄が見せた瞳の揺らぎの理由が、嘘だった事に納得しているだけだ。玄が見せた、ほとんど唯一の人間らしさの理由を知ることができた喜びを感じながら。
そんな紫乃を余所に、玄は聞かれてもいない言葉を継いだ。
「僕には、殺さなければならない人がいますから。そいつを殺すために、生きているんですよ。そのための力を磨くのは当然でしょう?」
全身の鳥肌が立つのを感じる。それほどまでに、冷たく、とげとげしい声だった。
遠い昔のように感じられる、ほんの数時間前の出来事。校門前でテロリストの殲滅を終えた後、垣間見た玄の闇。それが、今体中から滲み出ているようだった。
硬質な微笑みの裏側から、どす黒い何かが腕を伸ばす。
「……その辺りの事情は、話したくなったら話せばいい。けどな、お前さんは今紫乃のガーディアンだ」
「承知しています」
相手を遠ざけるような、これみよがしな敬語。紫乃であれば怯んでいるかもしれない。
けれど、宏緑は一歩も引かなかった。むしろ、詰め寄っていきそうだ。
「いや、わかってないな。お前さんは守護者なんだ。お前さんの仕事はなんだ?」
「ミストレスが傷つき、死亡する事が無いよう護衛する事ですが」
淀みのない、まるで教科書の丸暗記のような答え。その答えに、今度こそ宏緑は顔をしかめた。
「……だったら、誰かを殺すために戦うな」
眉根を寄せ、臨戦態勢を取った玄に、宏緑は大きく手を振る。
「いや、別に私怨はいい。復讐だって、本当に手を下してしまわないなら問題ない。けどな、建前でも、お前さんは守護者だ。守る側の人間だ。なら、『守るために』戦え」
国語が得意ではない紫乃にも、何となく理解できてきた。つまり、玄は復讐の相手を殺すために力を蓄えてきて、それが技にも表れている。そして、玄自身も、紫乃を筆頭として誰かを守るよりも、相手を殺す事に重きを置いているのだろう。それを見抜いた宏緑が、諭しているのだ。『殺すための戦いではなく守るために戦え』と。
言われてみれば、確かにおかしな点はあった。もしも、本当に紫乃を守る事が最優先ならば、突破された五人は軽くかわして真っ先に紫乃の元に駆けつけるべきであるし、紫乃の準備が整わぬままに駆け出すなどするべきではない。そもそも、危険な作戦に同行する必要もない。黙っていれば、軍が処理していてくれたのだから。今回は怪しかったが。
玄自身の自意識どころか、三枝家すらも、玄をどこか兵士のように扱っていたのだ。もっとも、玄の能力を目の当たりにした今になっては、ガーディアンなどよりもそっちの方が向いている気がしないでもないが。
物思いから顔を上げ、俯いた玄の表情を探る。
春風が吹き抜け、玄の長い髪を巻き上げる。その向こうにあった表情を見て、紫乃は息を呑んだ。
玄は、笑っていなかった。ただ頬を引き攣らせて、洞穴のような目で宏緑を見ていた。
「……っ」
玄が何かを言おうとして、思い直したように口を閉ざす。
それは諦めだ。何を言おうが、届く事はないという、自分と相手への諦め。
「送迎はここまでで結構です。それではまた明日。学校でお会いしましょう」
代わりにそう言うが早いか、紫乃の手を引いて早足で歩き出す。それに逆らわない程度の判断ができるほどには、紫乃とて天邪鬼を押さえ込む事ができた。
仕方なく、呆気にとられたまま小さくなっていく宏緑に肩越しで会釈しておく。思い出したように大きく手を振る宏緑から目を離して、突き進んでいく黒髪に固定した。
人の少ないホームに滑り込んできた電車に乗り込み、並んで座った。その間紫乃たちの間に会話はなく、ただ互いの行動を確認する視線だけがあった。
今までにも、二人きりのときに会話がない事はよくあった。けれど、現在二人の間に横たわる沈黙は、そのときには感じた事のない居心地の悪さがあった。
何とかそれを解消するべく、言葉を探す。
見つかったのは、一歩間違えば最悪の地雷になるであろう言葉だけだった。
「……あなた、復讐のためにここにいるのよね」
「うん」
「その相手は、わたしの周囲の人間って事かしら?」
それが、紫乃の中で渦巻いていた居心地の悪さ。玄の復讐対象に、紫乃を含む三枝家が関係している可能性。そんな事を告げられれば、紫乃は平静でなどいられない。
けれど、そんな紫乃の心配は、いい意味で裏切られた。
玄が、ゆるゆると首を振ったのだ。
「違うよ。三枝家には返しきれないほどの恩がある。それは本当だ。それに、復讐の相手はわからないんだよ。性別、年齢、人種、国籍、住所、武器、職業……全部わからない。わかってるのは顔立ちくらいかな。それも、六年前だから変わってるかもしれない」
そう言った玄の顔には、確固たる意思が見て取れた。そして同じように、後悔と、罪悪感と、懐古が。その顔は、過去に囚われた復讐者の顔そのものだった。
だからこそ、紫乃は気に入らない。
玄が過去しか見ていなかった事が。現在も未来も見ようとしていなかった事が。復讐者の末路など決まっているにもかかわらず、それをしようとしている事が。
これだけ近くにいたのに、紫乃を見ていなかった事が。
「……過去には何もないわよ。あるのは今と未来だけ」
搾り出すようにそれだけをぶつける。
何か言いたげにこちらを見る玄の視線は黙殺して、その口が言葉を発する前に畳み掛ける。
「そうだ、あなたのその、縮地だったかしら? と前に見せた手を叩くだけで気絶させる技、教えてちょうだい」
唐突な、依頼の形をとった命令に、玄が目を白黒させる。口元の笑みはいつの間にか普段通りで、少しだけ苛立った。
「……それは構わないけど、一朝一夕でなんとかなるものじゃないよ?」
「だったら、わたしが習得するまで付き合って」
傍若無人な紫乃の態度にも、玄は笑みを崩さない。
「わかった。先に言っておくけど、どっちも最終的には感覚だから。できるとは限らないよ?」
「わたしを誰だと思ってるのよ。そんなもの、いくらでも何とかしてみせるわ」
不敵な笑みを見せ付ければ、玄の微笑に少しだけ苦味が浮かぶ。
それを見ながら、紫乃は思う。
この復讐者は、自分の遠まわしな拘束に気づいているのか、と。




