其の拾捌
「……死神、ね」
紫乃たちの周囲に、動くものはない。折り重なる死体と血の水溜りの中で、ポツリと玄が呟いた。標的が沈黙した今、影の刃こそ消えたが、余剰魔力と漆黒の大鎌で十分に禍々しい。誰かの呟きが正鵠の更にど真ん中を射抜いていて、紫乃は込み上げる笑いを抑え切れなかった。
呟きながら男の死体にしゃがみこみ、その耳から紫乃たちのものよりも大型の通信機をつまみあげる。
「聞こえているか?」
通信機の向こうにいる誰かに語りかける声は、普段より低く、凄みがあった。
通信機が、誰かのくぐもった声を伝えてくる。それは紫乃が聞き取る事は叶わなかったが、今必要ではないだろう。それが、グローリアの上層部、もしくはこの作戦の総指揮者に繋がっている事は明白なのだから。
「魂に刻め。死神の名を」
その一言だけを言い放ち、再び語りかける通信機を石突で叩き潰した。
その一連の動作を、紫乃は声を上げることなく見ていた。否。正確に言えば、声を上げる事ができずに見ていた。
玄の後ろに、女性のような人影がうっすらと見えていたから。先程の警告のような一言も、玄の声に混じってアルトの女声が聞こえていた。けれど、それを問う事ができないでいた。
「おい! 無事……か……」
唐突に響いた大声に身が竦む。咄嗟に切っ先を向けた先にいた人物は、宏緑だった。
「……おいおい……」
その呟きは、呆れか、驚きか。宏緑と、一拍遅れて踏み込んだ黄衣の二人は、室内の惨状を見、その後佇む玄の姿を見、愕然と武器を下ろした。
「……お前さん……なんだその魔力……ってかそもそも、その鎌どこから出したんだ?」
宏緑たちの視線と合わせて、紫乃も玄の姿を改めて見やる。
ふと、その後ろ姿に違和感を覚え、つかつかと近寄った。見間違いのようで、確信が持てなかったから。
「神木、少し失礼するわよ」
一言断ってから、動揺する玄の襟元を引いて覗き込む。そこにあったのは、紫乃が目にしたものが見間違いではない証だった。
魔力と同じ漆黒の、幾何学模様。曲線を多用し、紫乃には全貌を把握する事すら不可能に思えるほど複雑な紋様。それが、玄の顎の辺りから服の内側へと伸びている。よくよく見れば、手の甲にもあった。
ますますもって、紫乃の理解の範疇を超えている。好奇心や疑問が膨れ上がり、今までの躊躇を押し流した。
「これはなんなのよ。一から、全部説明してもらうわよ」
詰め寄った紫乃の顔を押し戻しながら、玄が微笑みに苦々しさを加える。
「もちろんそのつもりだよ。けどまずは、魔術を解除していいかな」
鋭い目つきを保ったまま一歩下がった紫乃に笑いかけて、玄はまたしても大鎌を真横に伸ばす。そのポーズに意味があるのか問いかけたくなる気持ちを抑えて、せめてもと目を凝らす。
「……ありがとう、もういいよ」
鎌から魔力が抜けていくのと同じように、玄の魔力もまた感じられなくなっていく。それに応じるように、玄の後ろにいた女性のような幻も薄れていった。
玄の大鎌が刀の形状へと戻り終え、同時に魔力も非活性化状態になる。いつも通りの玄の姿に安堵している自分への苛立ちを抑え、再び一歩詰め寄る。
そんな紫乃を視線で収め、玄は黄衣や宏緑を見やる。
「お二人も。説明しますから、まずは撤退しましょう。ここに長居するのはあまり気分のいいものでもないですから」
少しだけ硬さのある微笑みでそう言われる。思い出したように鼻を突いた鉄臭さに顔をしかめ、紫乃は渋々同意した。一度口に出した以上、玄がうやむやにする可能性は低いとの判断の上でだったが。
ぞろぞろと、紫乃たちが今通ったばかりの道を戻り、紫乃が破砕した扉の跡をまたぐ。敷地との境目である門の付近で立ち止まった玄の前に、何となく三人並ぶ。
「十塚様、事後処理の状況は?」
「あの老害では当てにならないからな。直接第二魔術大隊に連絡した。今こちらに処理班が向かっているはずだ」
満足気に頷いた玄を、黄衣が鋭い目つきで睨む。
不穏な空気が流れる状況を危惧したのか、宏緑が茶化した。
「黄衣、あんまり睨むと玄が怖がるぞ。ただでさえ三白眼なんだから」
「なっ!? そ、それは言うな! これでも気にしているんだぞ」
からからと笑う宏緑に精一杯の抗議をあげる黄衣を見ながら、玄は小さく笑った。
「それじゃあ、説明してしまいますね」
「あ、ああ。頼む」
ガラガラと、紫乃の中で黄衣のイメージは音を立てて崩れていくのがわかる。今更威厳を保とうとするその姿は、滑稽を通り越してかわいらしさすらあった。
「僕の両親は神木墨貴と灰莉です」
口元だけで笑っている紫乃の耳に、耳慣れない言葉が届く。けれど、黄衣と宏緑には、どうやらそれだけで通じたらしい。仕方なく、疑問を口に出す。
「神木、あなたの両親がなんだって言うのよ」
「そうか、貴様らが生まれる五年以上前の事だな。知らなくて当然か」
納得したように呟いた黄衣の隣から動いた宏緑が、紫乃の傍に寄ってくる。
「神木夫妻ってのはな、二十年以上前に現れた理論魔術学者夫妻なんだ。百年に一度の天才って言われてな、色んな有名人やら著名人やらがこぞって『天才』ってもてはやした本物の『鬼才』だった」
何となく理解する。思えば、どこかでそんな名前を聞いた事もあったような気がする。
「だから、それがなんだって言うのよ」
説明を受け終え、玄を催促する。それを受けた玄は特に表情を変える事無く、携帯を取り出した。
「その様子じゃあ、『神降ろし』についても知らないでしょ?」
「ええ。何の事やら」
こんなところで見栄を張っても仕方がない。潔く、無知を認める。
「僕もあんまり説明できないから、ここは専門家に任せるよ」
そう言って手渡してきたのは、スマートフォン。画面には『桜井茜 呼び出し中』の文字。
慌てて耳に当て、コールが止むのを待った。
『はい、もしもし神木君?』
「いえ、神木ではないわ。こんにちは、桜井さん」
声が裏返らないように気をつけつつ、努めて冷静に返事を返した。
電話の向こうに、驚愕が走ったのがわかる。わたわたと、雑音が響いた。
『三枝さん!? ど、どうかしたのですか!?』
「敬語は要らないわよ。それより、『カミオロシ』というものについて教えて欲しいのだけど」
『『神降ろし』? ……わかり……った。とりあえず、最初から簡単に説明するね』
「お願いするわ」
茜が息を吸う音が、電話口から聞こえてきた。
『『神降ろし』って言うのは、神木夫妻が二十年前に発表した『新しい魔術の概念』の事だよ。三枝さんなら、魔術がどういう概念の上に成り立ってるか知ってるでしょ?』
その問いに、どもることなく答える。その程度、紫乃にしてみれば当たり前だった。
「基本六系統のうち、使用する系統を司る神の力を、魂の欠片、つまり魔力と引き換えに少しだけ借りる。でしょ?」
『うん。満点解答だね。……けど、夫妻は『神降ろし』として、それとは違う概念を提唱したんだ。つまり』
そこで茜は一度言葉を切り、一呼吸置いた。
『各神を受け入れる『器』を持つ人間の体内に神を憑依させて、膨大かつ強力な神の力を手に入れる』
紫乃の体に、雷が落ちたような衝撃が走った。
同時に納得する。『カミオロシ』はつまり『神降ろし』。神をこの世に降ろし、自分の力とするもの。
「なるほどね。けど、神なんて実在するの?」
詳細を求める紫乃の問いへの答えは、ため息だった。
『……そういう細かいところはね。わかってないんだ。神木夫妻は研究の概念は発表したけど、神の有無、魔術の内容、方法、代償の有無、っていう詳細な部分を発表する前に、原因不明の自殺をしちゃったから。研究内容も消失してる』
予想外の答えに、紫乃は凍りついた。研究内容の消失もそうだが、それ以上に、玄の両親でもある夫妻が原因不明の自殺を遂げたというその情報が、紫乃の驚愕を誘った。無意識に玄の様子を窺いそうになり、自制する。自殺がいつなのかはわからないが、玄にその傷痕は見えない。ならば、過剰な反応や気遣いは逆効果だろう。
「……わかったわ。ありがとう」
『いえいえー。理論魔術ならお任せあれ。それじゃあ、また何かあれば』
「ええ。また明日ね」
通話を切り、携帯を玄に差し出す。
「理解できた?」
「一応はね。けど、だから何だって言うのかまではわからないわ」
不機嫌とも取れるような声にも、玄は顔に微笑みを貼り付けたままだ。
「それは、直接見てもらったほうが早いから」
先程から遠まわしな発言が多い玄だが、今回もまた遠まわしだった。どこか直接的な文言を避けているようにも取れるその態度は、紫乃の眉根を寄せるには十分だった。
「何を見せるつもりだ?」
ここまで黙っていた黄衣が、耐えかねたように口を挟む。
「僕の力にして、呪いですよ」
吐き捨てるように告げた玄が、一歩下がる。
何かに祈るように目を閉じた玄は、胸の前で右手の人差し指と中指を立て、呟いた。
「……『顕現』」
再び、吸い込まれそうな闇が渦巻いた。




