第9話 行き止まりの先客
帰る向きで見ると、曲がり角は違う顔をしていた。
入るときには目立った白い標識が、振り返ると配管の裏へ隠れている。俺は立つ位置を一歩ずらし、写真を二枚撮った。
「そこも、記録に?」
会社の調査員が尋ねた。
「荷を持つと、顔をこの高さにできないので」
腕に空の搬送枠を当てる真似をすると、彼はうなずいて測定器を下ろした。
第二層の認可調査路。俺たちは入口から決められた経路を歩いていた。先頭に護衛が一人、測量を担当する調査員が一人、その後ろに俺。公開の配信はしていない。
記録用のカメラを止めると、急に水滴の音が大きく聞こえた。
床には何人分もの足跡がある。
新しい泥の上に、古い靴跡の縁が固く残っていた。採集者が普段から使う道だが、それだけで今日も安全とは限らない。
俺は歩行時間を記録し、次の角へ進んだ。
「声がしませんか」
調査員が顔を上げた。
護衛の手が上がり、三人とも足を止める。水滴のあいだに、人の声が混じった。
「こっちじゃ、なかったんじゃないか」
「でも、矢印は……」
枝道の奥だ。
護衛と目を合わせ、俺は管理との通信を開いた。予定路の脇で人の声、状況を確認する。受付から了解が返る。
護衛が入口を確かめてから、俺たちは声をかけた。
「調査班です。そこに何人いますか」
「二人! 戻り口って、こっちですか」
灯りが揺れた。
成人の男女が、籠を足元へ置いて立っていた。奥は積もった岩で狭くなり、先へ進めそうにない。どちらも怪我はないという。
「入口の矢印を見て、近道かと思って。前に使った道と、違っていて」
男性が言い、女性がその横で小さく首を振った。
「私も、合ってると思ったんです。二人とも」
俺は来た側の灯りを示した。
「一緒に戻りましょう。いま歩いてきた道なら、管理口まで通れています」
女性の肩が落ちた。緊張が抜けたように見えた。
調査員が二人の位置を管理へ伝え、俺は退路の途中に張り出した石を避ける場所を指した。先に調査員が戻り、護衛が奥を見ている。
そのとき、籠の底が石に擦れた。
音に重なるように、暗がりから低い爪音がした。
護衛が身体を半分、横へずらす。
「止まって。籠を置いて」
岩の隙間に、光をはじく目が二つあった。
低い姿勢の魔物が出てくる。犬より少し大きく、背には硬い鱗のような突起が並んでいた。俺たちの灯りを嫌がるように頭を振り、枝道の壁へ爪をかける。
男性が後ずさりし、踵が籠の縁に当たった。
「後ろ、石があります。右へ一歩」
俺の声で足が止まる。
護衛の刃が、魔物と二人のあいだへ入った。魔物は正面を避け、横へ張り出した岩の陰を回ろうとする。
籠を拾おうとした女性の手を、俺は声で止めた。
「あとで。今は、通路へ」
調査員の灯りが出口側で振られる。そこまでたどり着けば、二人は護衛の背後へ入れる。
俺が先に立った石の脇は空いている。高さのある岩が、枝道と主路のあいだを遮っていた。
「俺はそこの裏へ退きます。二人を通してください」
護衛が短くうなずいた。
張り出した岩に肩をつけ、灯りを低く動かした。魔物の頭がこちらへ向く。その横を、二人が小さく走った。
爪が岩を擦る。
近い。俺の肩が勝手に縮まった。
脚を踏み出す前に、さっき自分で立った石の脇を選ぶ。
『帰還』。
目の前に岩の裏側が戻った。
数歩ぶんの距離しか消えていない。それでも、さっきまでいた場所を魔物の爪が叩く音は、壁越しになった。
護衛が前へ出る。鋭い踏み込みの音と、金属が硬いものを打つ音がした。
「そのまま後退!」
護衛の声に従い、俺は二人の背を追った。
振り返ると、魔物は通路から押し返されていた。護衛は奥へ追わず、出てくる角を押さえている。調査員が管理へ状況を送り、俺は二人を広い合流点まで連れていった。
女性が壁へ手をつき、何度か息を吸った。
「すみません。籠、置いてきちゃって」
「置けてよかったです。怪我はありませんか」
首が横に振られる。男性も同じだった。
俺はそれを確かめてから、自分の指を見た。通信機を握りすぎて、爪の下が白い。
二人に背を向け、一度だけゆっくり息を吐いた。
護衛が合流したとき、俺はようやく肩を下ろした。
「枝の奥へ退きました。立ち入りは止めます」
刃を下げる動作にも、無駄がない。
俺が礼を言うと、彼は俺の手元を見た。
「次は、灯りを動かす前に言ってください。戻る位置はわかりましたが、視線を切るところまでは読めなかった」
俺はうなずいた。
「すみません。次は、先に」
「はい。怪我がなければ、それで。追わずに済みました」
二人の採集籠は、管理側の判断で後から確認することになった。今ここで取りに戻る理由はない。
男性が許可証を出し、入った時刻と普段の経路を説明した。女性は携帯電話で撮った入口の標識を見せる。
その写真には、確かに矢印があった。
「これを見て、こっちだと思って」
俺たちが歩いた向きとは逆から撮られている。葉の写真で教わった、遠くと近くの意味を思い出した。
近くで読める文字は、帰路を示している。だが、遠くから見た矢印の向きは、いま通れる主路から外れていた。
「確認します。写真、管理の記録に渡してもいいですか」
「はい。私たちが、読み違えたんですか」
「まだ、決められません」
そう答えると、女性は唇を結び、それから小さくうなずいた。
調査員が記録の紙を押さえているあいだ、男性はベルトから空になった籠の留め具を外した。何度かつけ直しかけ、結局ポケットへ入れる。彼の手首には、細い茎をまとめるための紐が残っていた。
「籠の場所は、伝えてあります。回収できるかどうか、地上で確認してください」
俺が言うと、女性も顔を上げた。
「中のもの、書いておいたほうがいいですか」
「はい。二人分、分けておくとわかりやすいと思います」
彼女は画面に短い一覧を打ち始めた。俺は入力が終わるのを待った。
管理側から、合流点より先の安定した道で別の職員が待つと連絡が入る。俺たちはそこまで付き添い、二人を引き継いだ。
女性が、持ち帰るものがなくなってしまった、と空いた手を見た。
「手は空いていたほうが、帰りやすいですね」
男性がそう言い、彼女は小さく笑った。
空いた手で肩紐を直し、二人は入口のほうへ歩いていった。
調査班で分岐まで戻ると、古い表示の取り付け部が傾いているのが見えた。周辺には、旧図面と合わない低い枝もある。どの変化がいつ起きたかは、この場ではわからない。
俺は標識だけでなく、道と一緒に写る位置からも記録した。
調査員が管理の指示を受け、該当する枝へ一時的な進入禁止の札を下げる。護衛がそのあいだ、暗い奥を見ていた。
予定の調査は、先へ進めなかった。
用紙には数字のない欄が残る。代わりに、通れない理由と、実際に戻った経路を書き込んだ。
無線から、さっきの二人が管理口へ出たという連絡が届いた。
俺は返事をして、その時刻を記す。
運んだ人数はゼロだった。
自分の靴で帰った二人の足音は、まだ耳に残っていた。




