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亡国太子と近衛兵  作者: 佐藤周
6章 貴人の責務
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7

革袋の中身が、空になった。


アシムは半ば気を失い、うわごとをつぶやく。その傷のことごとくに、少女の唾液にまみれた薬草がすり込まれていて、洞窟内はアシムの血と、ミアーネのにおいの混じった、奇妙な空気がこもっている。


その空気の中で、少女は口が疲れたのか、下あごのあたりをくるくると揉んだ。それから、少し小さくした声で、アシムに話しかけてくる。


「あたし、テダ、おぼえてる?」


途切れそうな意識を何とか引き留め、アシムは少女の言葉に集中する。

はじめ、聞き覚えのない名前だな、と思った。しかし、その声は、どこかで聞いたことがあった。たしか、ここと同じように、洞窟の中で。


「ユミンを、宝物庫に隠してたやつか。」


アシムは思い出した。シルシの宝物庫にユミンを保護して、アシムに鍵を託した少女だ。たしかあのとき、テダの野郎だ、と、パイが言っていたような気がする。

そうそう、と、テダはうなずいた。それから、宣言するようにこう言った。


「あたしが、あんたのいのちを、助けた。」


テダは、シルシの砦を出たあと、様々な場所を転々とした。

アシムに言われて、街にも出てみた。しかし、こじきのかっこう、目つきから明らかに山野の育ちとわかる子供に、施しをするものはいても、保護してくれる人はいなかった。


唯一、手を差し伸べてきたのは、いやらしい目つきをした老人。


テダは街に見切りをつけて、再び山野に戻った。そこで、マリィに拾われ、彼女のもと、オジンの砦で、小間使いとして働いていた。その生活も、シルシのもとでの生活と変わらず過酷なものだった。

 

そして昨日の夜、見覚えのある人の好さそうな少年が、オジンに囚われてきた。

 とはいえ、テダにできることは何もない。する義理もなかった。少年は厳戒態勢の下に置かれていた。彼女はあの少年は、殺されるんだろうな、と思っていた。


しかし、アシムたちがあらわれ、砦は大混乱となった。マリィも飛び出していき、そのマリィに命令されて、彼女の乗る馬のあとを追って、テダは自分の足で走った。追いつくはずがないと思ったが、遅れれば、さんざんにマリィは鞭でテダを叩く。

 

そして、息も絶え絶えにテダが丘の中腹まで来たとき、彼女はアシムが十人以上を相手取って戦い、ついにオジンたちが殺せず、かれががけ下へと落ちていくのを見た。

テダはとっさに、マリィの馬についていた薬草袋と、水筒をスリ盗ると、丘を滑り降りて、アシムの後を追った。

 

テダは普段、丘で野草を摘むことが多く、この丘の中身は空洞が多く、あらゆるところに裂け目があることを知っていた。

苦労して、アシムをその裂け目の一つに引っ張り込むと、テダは水筒の水で引きずり込んだ跡を消して、そしてかれへの、治療に当たった。


「――だから、あたしは、あんたのいのちを助けたの。あんたの恩人なの。」


少女はそう繰り返す。

確かに、それは間違いないだろう。テダがいなければ、いまごろアシムはオジンの手に落ちているか、失血死している。彼女の治療は荒療治ではあったが、少なくとも流血は止まりつつあった。

ただ、わからないのは、


「なんで、助けたんだ。」


アシムがそう言うと、テダはちょっと顎を引いて、にんまりしていった。その表情を見て、かれは少し、嫌な予感がした。その顔には、多分に打算的な雰囲気が入り混じっていた。


「もちろん、タダじゃないよ。あたしは、あんたを助けた、命の恩人。」


その声は、取引をする商人のよう。

アシムは苦笑して答える。


「わかっている。で、望みは何だ。」

「あんたは前に言ったでしょう。野にいるよりも街の方が快適だって。わたしもそう思うのよ。だけどそのためには身分が必要。」


一つ息をすいこんで、テダはこう締めくくった。


「だからね――街に戻ったら、あたしを養子にして。そうして、あたしを、養ってほしいのよ。」


 アシムは吹き出しそうになった。傷が痛まなければ、大笑いしていたところだ。

 しかし、テダは必死だった。続けて言いつのる。


「あんた、どっかの山賊出身でしょ。雰囲気でわかるわ。あんたの家なら、窮屈じゃなさそうだし、変態にも見えない。だけど、あんたは慈愛に満ちた精神で、見も知らない子供を養うっていうタイプじゃない。」

「まあな。」

「だから、取引よ。あたしはあんたの命の恩人、だから、街に戻ったら、養子にして、家において。ずっととは言わない。あたしが大きくなって、街で、自分に向いた、何かの仕事にありついたら、できるだけ早く、出ていくわ。それまでは……」

 

そう言ってから、テダは少し、口ごもる。

 

「……それまでは、捨てないで。」

 

その言葉が、妙に言いにくそうだった。アシムはふと、そういえばこいつは、おれに同類だったな、と思い出した。

アシムにとって、少女の必死さはこっけいに見えたが、同時に十分に理解できた。彼女は捨て子で、山野に棲み、その生活に嫌気がさしているが、街に入り込むことができない。


アシムはショウの街の近衛試験という幸運をつかみ、その願いを果たした。目の前の少女にとっての幸運が、アシム自身というわけだ。

しかし、彼女の幸運は、実にはかなく、もろい。


「まぁ、そうできるのなら、お前が望むとおりにしてもいい。」


アシムがそう言うと、ぱっと顔を輝かせてテダは、伏せていた目を上げた。その目を見て、アシムは少し胸を痛めながら、続けた。


「ただその前に、おれは街に戻れない。今のおれには、立ち上がる体力も残っていない。お前がおれを街まで引きずっていくのは、無理だろ。」


テダはその答えが、完全に予想外だったようで、しばらく茫然として、固まった。


「誰か、助けに来るんじゃないの? あんた、太子さまとやらを助けてたじゃない。」

「助けるのが、おれの仕事だからな。助けられるのは、違う。」

「じゃあ……だれも、来ない? 本当に?」


テダの顔色が変わった。少し泣き出しそう。


「ああ。運が良ければいまごろ、空っぽの棺桶におれの名前が彫られて、葬式が行われているんじゃないか。運が普通なら、名簿からおれの名前が消されて、」


終わり――アシムは、ゲルツやカネンよりもさらに厳しく、自分に関する現実をとらえていた。メイが彼を救うために猪突し、それにカネンやパイ・ソン兄弟が引き回されているとは、夢にも思わない。


「だから、骨折りで悪いが、おれはお前の要求にこたえられそうにない。砦に戻るか、また旅でもしろ。できれば、小刀か何か残しておいてくれると、おれも手早く自分の片を――」

「できない。」


テダは蒼白な顔で、首を横にして振った。


「できないよ。」

「できないも何も、仕方がないだろう。」

「違うの、聞いて。オジンはあんたにとっても怒っていて、たくさんあたりに兵を放って、あんたの死体を探させている。それで、さっき、水を汲むために外に出ようとしたら――」


そう言ってテダは、入り口を指さす。


「すぐそこに、見張り場ができてた。あんた助けが来ないと、あたしもここから出られないの。水も、食べ物もないのに――」


なんてこった、とアシムは思い、その眼前で少女はべそをかきはじめていた。

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