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亡国太子と近衛兵  作者: 佐藤周
6章 貴人の責務
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5

早朝、日が昇る前。聖堂の扉が叩かれ、対応したのは、下男としての働きが身についてきたソンだった。


ソンはその来訪者を見て驚き、すぐに兄に伝えた。来訪者の顔を見ると、パイは迷わず、ユミンを呼んだ。


「まぁ、カネンさん。」


そう言って治癒師のユミンは、メイを背負ったカネンを出迎えた。


「話は聞きました。メイさまがかどわされたと……」


そう言いながらユミンは、メイの方を見る。


「しかし、ご様子を見ると、無事だったようですね。ただ、ああ、すごく疲れているわ。これでは……」

「太子のお疲れをとっていただきたい。できますか?」

「ええ、処置台の上へ。」


カネンはメイを、白いシーツの引かれたベッドの上に乗せた。するとユミンは、ベッドにしつらえられた紋章に触れ、何やら言霊をつぶやく。

すると一瞬、カネンは、緑の柔らかな光が、メイを包むのを見た。その光が収まると、さきほどまで少年の顔に深く刻まれていた疲労の色が少し、和らいだように見えた。


「太子様ご自身の、恢復の紋を開きました。しかし、元が限界以上までお疲れになっていたので、しばらくお眠りになっていただかないと……いったい、何があったのですか? それに――」


それからユミンは、不安そうに言う。


「アシムさまは?」


カネンは、事情を話した。

三人は、驚いた顔で聞いていた。特にアシムが置き去りになった話になると、ユミンははっと、口を押えた。


「そりゃ、まぁ……」


はじめに口を開いたのはソンだった。


「お気の毒で……?」

「オジンの砦に一人で突っ込んでいくなんざ、正気じゃねえな。」


パイが顔を引きつらせて言った。その言葉には呆れたような感情が半分。しかしもう半分には、羨望のようなものが混じっていた。


「あいつはまぁたしかに、おれたち兄弟を相手取れる腕を持った奴だったが……一人でオジンの砦にか……自殺行為でしかないが……一人であのオジンになぁ……」

 

パイがぶつぶつとつぶやく横で、ユミンが言った。


「それで、これからどうするのですか。これからアシムさんを――?」

「あ、姉さんそりゃ無理だ。いまごろアシムのやつは捕まってズタボロ……あー、なんだ、あんまり姉さんに聞かせるようなことじゃねえが、とにかく死んじまってるよ。」

「シルシの兄ぃもたいがいだったけどよ、オジンはもっと血を見るのが好きだっておれ、聞いたことがあるぜ。そいつの怒りを買ったんだ。アシムは絶対、生きちゃいないよう。」


そう話し合う三人に対して、カネンは言った。


「ですが、わたしの主はそのアシムを助けに行こうとしています。」


カネンがそう言うと、三人は一斉にそちらを向いた。パイ・ソンは「正気か?」という顔で、ユミンは何か考え込むように。

正念場だ。そう思いながらカネンは続ける。


「つきましては、お二人の力をお借りしたい。一時その僧衣を脱いで、我々に出会った頃のように、ひと暴れしていただきたいのです。」


カネンは計画を話した。するとみる間にパイ・ソンの表情は青ざめ、カネンが話し終わると、まずパイが言った。


「無理だし、無益だろ。正気の沙汰じゃねえぞ。それにおれらを巻き込むなんざ――」

「アシムはともかくだ。おまえたちは、わたしとメイさまに恩があるはずだ。あのままシルシの砦に朽ち果てるまで置いておいてもよかったんだ。それを助命したのはメイさまで、そのために法を捻じ曲げて居場所を与えたのはわたしだ。一度くらい命を懸けてもらってもいいんじゃないか?」


カネンがそう言うと、ぐっとパイは言葉に詰まる。するとソンが言った。


「おれは別に、かまわねえけどよぅ。」

「おい、ソン。」

「だってよお。兄貴、ここでおれたちが断って、メイさまとカネンさんが死んじまったら、確かにおれたち、義がないと責められても仕方ないぜ。」

「たしかにそうだが――」

「それに、おれ、オジンに一発くれてやりてぇんだよ。」


ソンがそう言うと、パイは少し黙ってから、ため息をついた。


「それは……たしかになぁ。」

「それでは、」


と、カネンが勢い込むと、ソンが言った。


「ただよお、カネンさん。おれたちはユミンさんに諭されて聖堂に入ったんだ。それで、おれも兄貴もこの場所が気に入っている。聖堂じゃ、暴力はご法度なんだよう。ヒトをぶん殴りに行くんなら、ユミンさんの許可がないと……」


カネンはユミンの方を見た。いまや彼女の決定が、この兄弟を戦いに駆り出す鍵となっていた。

ユミンの答えは明快だった。


「もしもパイさん、ソンさんが、カネンさんの申し出るように僧服を脱いで、『人をぶん殴りに行く』ならば、わたしはそれを許すことはできません。一度僧服を脱いだ人間は、二度と聖堂には戻れない。これはわたしも犯すことのできない掟です。」


カネンは失望の声を上げた。


「しかし――」

「しかし、こう考えてはいかがでしょう。いま、アシムさまは勇敢に戦い、死に瀕しています。そうした勇者を助けることは善行に当たり、それは聖堂につとめるものとしては行うべきことです。そして、その善行を行う上で、障害があるのならば――」


ユミンは片目をつぶって言った。


「降りかかる火の粉は、払わねばなりませんね。」


しばらく、ユミンをのぞく三人はその言葉を理解するのに時間がかかった。それからしばらくして、ああ、とソンが手を叩く。


「確かにそれなら、問題ねえや。」

「ええ、問題ありません。パイさん、ソンさん。」


ユミンにそう言われると、二人ははいと答えて姿勢を正す。


「カネンさんに従って、アシムさんを助けに行きましょう。その前に障害があるならば、殺さず、しかし打ち倒すのです。」


ユミンがそう言うと、パイ・ソンは早速動き出した。パイは奥の倉庫から自分の獲物や、地図を準備して、ソンは馬の手配や物資を集めるため、聖堂の外に向かって駆ける。


「ユミン、感謝する。」


カネンがそう言うと、ユミンは首を振った。


「聖堂として、善行を行うのは当然のこと。わたし個人も、アシムさんには恩があります。それに……ソンさん!」


ユミンは聖堂から出て行こうとするソンに声をかけた。


「ソンさん、馬は五騎、手配してください。」

「五騎?」


ソンがけげんな表情をすると、ユミンが言った。


「ええ、五騎。わたしも明日はアシムさんを助けるため、ともにそのオジンの砦に向かいます。」

「姉さん、そりゃ駄目だ!」


パイが仰天して言った。


「そうせあいつは生きちゃいねえよ。おれたちは少数で突っ込んで、亡国太子の坊ちゃんの気が済むまでアシムの弔いのためにひと暴れするだけだ。あいつの死体を持って帰ることができれば上々で、そこに姉さんが来ても――」

「話を聞いていませんでしたか、パイさん。貴方がそういうつもりでここを出るのであれば、二度と聖堂には戻れません。わたしたちの目的はあくまでアシムさんを助けることにあります。」

「でもよ、姉さん、」


あいつは生きちゃいないぜ――そう言おうとするパイを、ユミンは押しとどめる。

彼女の目が光った。カネンはその目に見覚えがあった。パイと、ソンを、改心させたあのとき、奇跡を二人に見せたときの、あの目。


「わたしは、感じるのです。アシムさまはいましばらく、生きています。なにものかによって、非常に小さな存在によってですが、あの方は、ぎりぎりのところで生かされています。わたしが行けば、アシムさまを救える。」


カネンはありえないことだと思った。状況を考えれば、アシムの生命は絶望的。敵だらけのあの砦で、助けなどあるはずがない。

しかし一方で――神託を聞くようにユミンの言葉を聞く兄弟と同じく、カネンはどこかで聖女の言葉を信じる気持ちになっていた。


***


結局、ソンは馬を五騎用意し、聖堂の老女たちが止めるにもかかわらず、ユミンは彼らについてきた。聖女として、生命の力を解き明かす能力を持つ彼女は、馬を操る技術において、歴戦の戦士顔負けの上手を見せた。


道々、カネンは兵を募集した。職にあぶれた荒くれや、オジンに恨みを持つ小規模山賊の残党などがそれに応じた。

パイ・ソン兄弟はかれらをよく押さえつけ、またメイは新たに加わる者たちの心をつかんだ。


途中の宿で、状況をカネンから知らされ、待っていたクミルと合流。


そうやって、メイの二十名ばかりの『軍勢』が、赤髪のオジンの砦に戻ってきたのはアシムと別れてから三日経った夕刻。

カネンが放った斥候によれば、近隣の村にアシムらしき人物がかくまわれているという情報は得られなかった。一縷の望みとして、首尾よく逃げられていれば――とカネンは思っていたが、そううまくはいかなかったらしい。


しかし同時に、赤髪のオジンがいまだアシムを見つけ出すことができていないという情報も入っていた。土狗一匹逃さぬ網を張っているにもかかわらず、だ。

その知らせを聞いて、カネンはもしや、ユミンの言うことは本当かもしれないと思った。


そして事実、風前の灯火に等しい頼りなさではあるが、たしかにアシムの生命は、いまだこの世に残っていた。


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