最終話 戦場は見積書の上
第10話
「戦場は見積書の上」
その入札公告が出た日の朝。
ヤタガラス本社は、妙に静かだった。
誰も喋らない。
コーヒーメーカーだけが、ぶおおおお、と呑気な音を立てている。
会議室の大型モニターには、政府の電子調達システムからダウンロードされた文書が映っていた。
正式名称。
《国内重要インフラ及び海外関連事業者を対象とする包括的危機管理・警備・緊急対応業務》
契約期間、五年間。
対象地域、日本全国。
必要に応じて海外連携。
警備。
危機管理。
災害対応。
医療支援。
緊急輸送。
情報分析。
サイバー連携。
要人警護。
施設防護。
特殊案件対応。
地域事業者との連携。
航空輸送。
海上輸送。
国外退避支援。
項目は延々と続く。
契約上限額。
その数字を見たホオズキが、しばらく黙った。
「……ゼロ、多くない?」
経理担当が答えた。
「合っています」
「一個くらい間違ってない?」
「間違っていません」
「役所の人、テンキー押しっぱなしにしてない?」
「していません」
黒崎が腕を組んだ。
「国内最大級だな」
久世が仕様書をスクロールする。
「最大級というか、これ一社で全部取ったら危機管理のデパートみたいになるね」
「デパート」
「一階が警備、二階が医療、三階が航空輸送、屋上が特殊部隊」
「屋上でヒーローショーやるの?」
「そこは知らない」
ホオズキは椅子に深く座った。
そして言った。
「取ろう」
全員が彼女を見る。
ホオズキはもう一度言った。
「全部」
経理担当が眼鏡を押し上げた。
「駄目です」
「まだ三秒しか経ってないよ?」
「三秒で分かります」
「計算してないじゃん」
「社長が『全部』と言った時点で駄目です」
「偏見だ」
「実績に基づく判断です」
黒崎が頷いた。
「説得力あるな」
「味方しろ」
「会社の味方をしてる」
そこへ久世が別の画面を開いた。
「もっと嫌なニュースあるよ」
「もう嫌な予感しかしない」
参加予定企業一覧。
そこに、見慣れた名前があった。
《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》
ホオズキの目が細くなった。
「……来たな」
「来るでしょ」
「五年間の超大型契約だぞ」
黒崎が言う。
「来ない理由がない」
さらに久世が調べる。
グリムニル側の担当予定者。
CEO。
エリアス・ヴァルベルグ。
COO。
イングリッド・ファルク。
統合作戦部長。
マティアス・クローネ。
特殊作戦群長。
ヨナス・ベルク。
情報分析部長。
ソフィア・リンデン。
医療・救難部長。
エヴァ・ストランド。
外交・契約部長。
ナディア・ハダッド。
サイバー・電子戦主任。
ルーカス・エンゲル。
訓練・査察部長。
アレクサンドル・ヴォルコフ。
グリムニルの主要部門が、ほぼ全部、日本案件へ投入される。
ホオズキが一覧を見た。
「オールスターじゃん」
「向こうも本気だね」
「CEOまで出てくる?」
黒崎が淡々と言う。
「五年契約なら出てくるだろ」
「大企業ってCEOが入札に来るの?」
「会社による」
「じゃあ私も出る」
「お前は元から出る予定だ」
「対抗して社長出す」
「だからお前だ」
ホオズキは数秒考えた。
「もっと偉い人いない?」
「お前が一番上だ」
「不安だな、この会社」
「今さら気付いたのか」
◇
その日から、ヤタガラス本社は完全に入札モードへ入った。
会議室。
営業。
現場。
人事。
経理。
法務。
調達。
情報担当。
参加できる人間は、ほぼ全員参加した。
以前なら、こういう大型案件で最初に話題になるのは、
「何人出せる?」
「装備は?」
「車両は?」
「現場はどうする?」
だった。
今回は違った。
最初に経理担当が言った。
「まず、キャッシュフローを見ます」
ホオズキが露骨に嫌そうな顔をした。
「最終話なのに?」
「最終話だからです」
「もっと派手なのやろうよ」
「会社が五年間生き残る話なので十分派手です」
スクリーンに数字が並ぶ。
想定売上。
人件費。
車両費。
保険。
外注費。
設備費。
訓練費。
システム費。
保証金。
運転資金。
入金サイト。
為替リスク。
予備費。
さらに、受注量が増えた場合に必要となる新規採用人数。
管理部門の増員。
教育期間。
現場責任者数。
必要資格。
ホオズキがしばらく眺めた。
「……売上、めちゃくちゃ増えるじゃん」
「増えます」
「勝ちじゃん」
「その下を見てください」
「見たくない」
「見てください」
ホオズキが渋々見る。
必要運転資金。
「……何これ」
「必要なお金です」
「売上増えるんでしょ?」
「入金より先に支払いが来ます」
沈黙。
ホオズキの顔が引きつる。
「またお前か」
黒崎が訊いた。
「誰に言ってる?」
「キャッシュフロー」
第一話からここまでの間に、ホオズキは多くの敵と戦ってきた。
安値入札。
総合評価。
黒字倒産。
規制。
設備投資。
人材流出。
保険会社。
為替。
企業価値。
そして今。
それら全部が、一枚の見積書の中にいた。
経理担当が数字を変える。
「全カテゴリー受注を想定すると、売上は大きく増えます」
「うん」
「ただし採用が間に合いません」
「採る」
「教育が間に合いません」
「鍛える」
「管理職が足りません」
「昇進させる」
「設備が足りません」
「買う」
「現金が足りません」
「借りる」
「借入依存度が急上昇します」
「……」
「保険料も上がります」
「……」
「一部装備は外貨建てです」
「……」
「契約価格は五年間固定部分があります」
「……」
「人件費上昇を織り込む必要があります」
「……」
「災害等による同時多発案件時の予備人員も必要です」
「もうやめて」
「まだ半分です」
「殺す気?」
「会社を生かそうとしています」
久世が笑った。
「昔のホオズキなら、ここで『気合いで何とかする』って言ってたね」
「今も多少は何とかなると思ってる」
「多少なんだ」
「成長したから」
経理担当が資料を切り替えた。
「結論です」
全員が画面を見る。
《全カテゴリー受注を前提とした場合》
受注可能性。
低い。
必要投資。
非常に大きい。
資金負担。
非常に大きい。
組織負荷。
非常に大きい。
利益率。
低下。
経営リスク。
極めて高い。
最後。
《推奨:入札範囲の選択》
ホオズキが腕を組んだ。
「つまり?」
経理担当は答えた。
「全部取りに行けば、負けます」
「取れたら?」
「もっと困ります」
「取れたのに?」
「会社が壊れます」
会議室が静かになった。
数か月前だったら。
ホオズキは、たぶん言っていた。
それでもやる。
現場で何とかする。
仕事を取ってから考える。
大きな仕事なのだから、多少無理をしてでも取りに行く。
グリムニルに全部持っていかれるくらいなら、赤字でも食らいつく。
だが。
もう知っている。
売上は、現金ではない。
受注は、利益ではない。
安く取った仕事は、会社を強くするとは限らない。
大きな契約は、大きな会社を作るとは限らない。
そして。
勝てない戦場で戦うことは、勇敢なのではない。
経営では、ただの判断ミスになることがある。
ホオズキは椅子から立った。
ホワイトボードの前へ行く。
ペンを取る。
そして契約カテゴリーを書き始めた。
大型施設警備。
海外連携。
航空輸送。
全国物流。
情報分析。
医療。
緊急即応。
特殊対応。
地域連携。
災害支援。
しばらく眺める。
そのうちのいくつかに、思い切り横線を引いた。
大型施設。
消す。
海外。
消す。
航空輸送。
消す。
黒崎が眉を上げた。
「捨てるのか」
「うん」
ホオズキは答えた。
「そこ、グリムニル強すぎる」
誰も反論しなかった。
世界規模の物流網。
海外拠点。
航空機。
人員。
資本。
保険。
信用。
何より規模。
そこで真正面から競争するためには、ヤタガラスはヤタガラスではなくならなければならない。
ホオズキは別の項目へ丸をつけた。
国内緊急即応。
特殊案件。
医療連携。
短時間展開。
地域事業者連携。
国内地理。
現場裁量。
既存の中小事業者ネットワーク。
「ここ」
黒崎が訊く。
「勝てるか?」
「勝てる」
「理由は?」
「向こうより近い」
久世が笑った。
「雑だなあ」
「でも本当でしょ」
グリムニルの強みは巨大であることだ。
だが巨大であるということは、すべての案件において最小単位になれるという意味ではない。
地方で突発的なトラブルが発生した。
二時間後に人員が欲しい。
特殊資格を持つ数名だけ欲しい。
地域の病院と直接調整してほしい。
地元警備会社と混成チームを作ってほしい。
契約書にない状況だが、現場判断で対応してほしい。
そういう仕事なら。
ヤタガラスは強い。
しかも以前と違う。
地方事業者との連絡網がある。
航空輸送は必要な時だけ提携先を使える。
車両はリースできる。
医療搬送会社とも繋がった。
保険条件も改善した。
人事制度も変えた。
資金繰りも見るようになった。
為替も管理する。
契約条件も読む。
何より。
取ってはいけない仕事を、取らないと言えるようになった。
ホオズキはホワイトボードの中央に大きく書いた。
《全部勝たなくていい》
黒崎がそれを見る。
「随分経営者っぽくなったな」
「やめろ」
「何がだ」
「気持ち悪い」
「褒めてるんだが」
「もっと『少しは頭使えるようになったな』とかにして」
「それは褒めてないだろ」
「そっちのほうが落ち着く」
経理担当が手を挙げた。
「では、入札範囲を限定します」
「うん」
「赤字になる案件は?」
「取らない」
「必要設備を無理に買わないと成立しない案件は?」
「取らない」
「入金条件が悪すぎる案件は?」
「交渉。無理なら取らない」
「為替リスクは?」
「ヘッジする」
「採用前提でギリギリ回る案件は?」
「余裕持たせる」
「利益率が低いが売上だけ大きい案件は?」
ホオズキは少し考えた。
「……取らない」
経理担当が静かに頷いた。
「成長しましたね」
「それ言われると腹立つな」
◇
一方。
グリムニル日本法人。
こちらもまた、総力戦だった。
巨大スクリーンを前に、各部門の責任者が集まっている。
エリアス・ヴァルベルグ。
イングリッド・ファルク。
マティアス・クローネ。
ヨナス・ベルク。
ソフィア・リンデン。
エヴァ・ストランド。
ナディア・ハダッド。
ルーカス・エンゲル。
アレクサンドル・ヴォルコフ。
各部門が、自分たちの数字を持ち寄る。
必要人員。
設備。
配置。
物流。
医療。
情報。
保険。
訓練。
契約。
グリムニルは強い。
圧倒的に強い。
しかも、今回については本気だった。
海外ネットワークを使える。
航空輸送網を使える。
世界中の契約実績を提示できる。
大規模災害時には国外から人員を増派できる。
専門家もいる。
設備もある。
資本もある。
信用もある。
それを、きちんと数字で証明できる。
エリアスが資料を見ながら訊いた。
「ヤタガラスは?」
ナディアが答える。
「全体契約ではなく、一部カテゴリーへ集中する可能性が高いかと」
イングリッドが視線を上げる。
「合理的ですね」
「はい」
ヨナスが言う。
「特殊対応か」
「加えて地域連携、緊急即応」
マティアスが腕を組んだ。
「正しい選択だ」
ルーカスがノートPCを見ながら口を挟む。
「つまり全部取りに来ない?」
「恐らく」
「つまらないな」
ヴォルコフが見る。
「何がだ」
「全部で殴り合うほうが最終回っぽいじゃないですか」
「何の最終回だ」
「知りません」
エリアスは資料を閉じた。
「ならば我々も、自分たちの強みを提示しましょう」
それだけだった。
ヤタガラスを潰す。
価格で締め上げる。
市場から追い出す。
そんな話は一度も出ない。
グリムニルに必要なのは、相手を倒すことではない。
契約を取ること。
契約を履行すること。
利益を出すこと。
会社を続けること。
それだけだ。
◇
提出期限、前夜。
ヤタガラス本社。
午前一時十三分。
ホオズキが会議室の机へ突っ伏していた。
「もう無理」
久世がノートPCを打ちながら言う。
「まだ誤字チェック終わってない」
「誤字くらい許して」
「政府調達で?」
「人間味」
「減点」
「じゃあ味がない」
「提案書に味いらない」
黒崎が紙束をめくる。
「この配置計画、現場責任者が重複してるぞ」
「え?」
「同じ時刻に二県いる」
ホオズキが顔を上げる。
「頑張れば」
「瞬間移動は契約条件に含まれてない」
「ヘリ」
「第五話で買うなって学んだろ」
「借りる」
「時間的に間に合わん」
「……修正します」
経理担当が別の書類を差し出す。
「見積書の最終版です」
ホオズキの目つきが変わった。
「利益出る?」
「出ます」
「本当に?」
「保守的な前提でも出ます」
「現金なくならない?」
「運転資金枠を確保すれば問題ありません」
「保険は?」
「織り込み済み」
「為替は?」
「該当部分はヘッジ前提」
「人員は?」
「過度な残業を前提としていません」
「装備は?」
「購入とリースを分けています」
「契約途中で物価上がったら?」
「価格改定条項を入れています」
ホオズキはじっと経理担当を見た。
「……すごいな」
「何がです?」
「見積書って、ほぼ作戦計画なんだね」
一瞬。
会議室が静かになった。
黒崎が少し笑う。
「今さらか」
「いや、だって昔は値段書く紙だと思ってた」
久世が言う。
「恐ろしい告白だね」
「でもさ」
ホオズキは見積書を持ち上げた。
「ここに人数があって」
ページをめくる。
「装備があって」
さらにめくる。
「時間があって」
「リスクがあって」
「給料があって」
「保険があって」
「利益があって」
「会社が何年戦えるかまで入ってる」
経理担当が頷く。
「そうですね」
「作戦書じゃん」
「だから、以前からそう言っています」
「言ってた?」
「何度も」
「全然覚えてない」
「でしょうね」
◇
最終プレゼン当日。
会場は政府施設内の大ホールだった。
複数省庁。
大手企業。
インフラ事業者。
金融機関。
危機管理責任者。
評価委員。
かなりの人数が集まっている。
先に登壇したのは、グリムニルだった。
ナディアが全体構成を説明する。
巨大物流網。
国際的な契約実績。
航空機。
国外拠点。
衛星通信。
情報分析。
大規模災害時の人員展開。
医療チーム。
訓練制度。
統一された指揮系統。
ソフィアが情報面を補足する。
エヴァが医療対応を説明する。
マティアスが全国展開時の指揮構造を説明する。
イングリッドが運用体制を説明する。
数字。
データ。
実績。
すべてが強い。
ホオズキは客席から見ていた。
「強いなあ」
黒崎が横を見る。
「今さら怖くなったか?」
「いや」
ホオズキは資料を閉じた。
「全部で勝とうとしなくて良かったなって」
やがてヤタガラスの番になる。
登壇。
ホオズキ。
久世。
黒崎。
そして各担当者。
スクリーンに最初のスライド。
《ヤタガラスが提供するもの》
ホオズキが言った。
「最初に申し上げます」
少し間を置く。
「ヤタガラスは、すべてを提供できる会社ではありません」
会場の空気が少し変わった。
普通の入札プレゼンなら、言いたくない言葉だ。
ホオズキは続けた。
「世界中に拠点があるわけでもありません」
「自社航空機もありません」
「数万人の社員もいません」
「大型案件を同時に何十件も動かすこともできません」
評価委員たちが資料を見る。
「なので」
ホオズキは次のスライドを出した。
《だから、やらないことを決めました》
「我々が弱い分野を、強いと言うつもりはありません」
「その代わり」
画面が変わる。
《国内緊急即応》
《特殊対応》
《地域連携》
《短時間展開》
《現場裁量》
「この分野に関しては、負けるつもりはありません」
全国の提携企業。
医療搬送。
地域警備会社。
車両事業者。
ドローン企業。
通信。
地方拠点。
必要な能力へ、必要な時だけアクセスする仕組み。
そしてヤタガラス自身が持つ、少人数での迅速な判断。
ホオズキが言う。
「大規模災害で数千人を動かすなら、我々より適した会社があります」
客席のグリムニル側を見る。
エリアスは穏やかに聞いている。
「ですが」
「夜中の二時に地方都市で問題が起きて、三時間以内に特殊資格を持った四人と医療連携が必要になった」
「現場を見たら、仕様書に書いていない問題が起きている」
「地元事業者と、その場で役割分担しなければならない」
「そういう仕事なら」
ホオズキは笑った。
「うちに電話してください」
◇
質疑応答。
評価委員の一人が訊く。
「御社は大規模化について、どのように考えていますか」
以前なら。
ホオズキは即答していたかもしれない。
人を増やします。
設備を買います。
拠点を増やします。
何でもできます。
今は違った。
「必要なら大きくなります」
ホオズキは答えた。
「でも、大きくなること自体を目的にはしません」
「理由は?」
「会社が大きくなっても、儲からなかったら意味ないので」
後方で経理担当が小さく頷いた。
「それに」
ホオズキは続ける。
「五年間の契約を取って、三年でうちが潰れたら、一番困るのは発注者ですよね」
評価委員が頷く。
「だから、無理な範囲は最初から無理だと言います」
「できる範囲は、利益を出して、五年間ちゃんと続けます」
別の委員。
「競合他社との差別化は?」
「近い。速い。融通が利く」
久世が横から小声で言う。
「もう少し格好よく言えない?」
「分かりやすいでしょ」
「まあそうだけど」
会場の何人かが笑った。
最後にホオズキは言った。
「危機管理って、何かあった時だけ強ければいい仕事じゃないと思っています」
「何も起きていない時も」
「給料を払い」
「訓練を続け」
「設備を整備し」
「保険に入り」
「協力会社と関係を作り」
「会社を潰さず」
「次の日も電話に出られる」
「そこまで含めて、うちの商品です」
プレゼンは終わった。
◇
結果発表の日。
全員が会議室に集まった。
誰も喋らない。
ホオズキがパソコンの前に座る。
「更新するよ」
「どうぞ」
「押すよ?」
「押してください」
「本当に?」
「早くしてください」
「怖い」
「押してください」
「じゃあ久世」
「嫌だよ」
「黒崎」
「自分でやれ」
「経理」
「社長の仕事です」
「こういう時だけ社長扱いするな」
クリック。
画面が更新される。
結果。
大型施設警備部門。
《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》
「……うん」
海外対応部門。
《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》
「まあ、そうだよね」
航空輸送部門。
《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》
ホオズキが椅子にもたれた。
「強いなあ、飛行機」
黒崎が言う。
「持ってるからな」
「うちも一機くらい」
経理担当。
「買いません」
「最後まで言わせて」
次。
国内緊急即応部門。
画面に会社名が出る。
《YATAGARASU》
沈黙。
ホオズキが画面へ顔を近づける。
「……うち?」
久世も見る。
「うち」
「同名会社じゃない?」
「そんなわけないでしょ」
特殊対応部門。
《YATAGARASU》
「おお」
誰かが立ち上がる。
地域連携部門。
《YATAGARASU CONSORTIUM》
一瞬遅れて。
会議室が爆発した。
「取った!」
「取った!」
「三つ!」
「地域連携も!」
「マジで!?」
椅子が鳴る。
誰かが机を叩く。
拍手。
歓声。
ホオズキも立ち上がった。
「勝った!」
経理担当が即座に言う。
「全部ではありません」
「今だけ言わせて!」
「大型部門はグリムニルです」
「分かってる!」
「海外も」
「分かってるって!」
「航空も」
「空気読んで!」
黒崎が結果一覧を見る。
「完全勝利じゃない」
「うん」
「負けでもない」
「うん」
久世が笑う。
「市場が二社を選んだんだね」
ホオズキは画面を見る。
グリムニル。
ヤタガラス。
それ以外の企業。
複数の社名が並んでいる。
誰か一社が、全部を取ったわけではない。
市場は、一つの会社だけを必要としていたわけではない。
大きい会社には、大きい会社の役割がある。
小回りの利く会社には、小回りの利く会社の役割がある。
競争した。
負けたところもある。
勝ったところもある。
それだけだった。
◇
同じ頃。
発表会場の廊下。
グリムニルのエリアスは記者に囲まれていた。
「大型部門の受注、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「一方、国内緊急即応、特殊対応、地域連携ではヤタガラス側が受注しました」
「はい」
「日本市場を制覇できなかったことについて、どのようにお考えですか?」
エリアスは、一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「制覇?」
記者が少したじろぐ。
「ええ。グリムニルは日本市場への本格参入を掲げていましたので」
エリアスは静かに答えた。
「我々は市場へ参加したのです」
そして。
「市場を破壊しに来たのではありません」
記者たちがメモを取る。
「優れた競合企業が存在することは、顧客にとって利益になります」
「我々が優位な分野もある」
「彼らが優位な分野もある」
「次の入札では、また結果が変わるかもしれません」
「それが市場でしょう」
◇
その日の夕方。
ヤタガラス本社。
祝勝会――になる予定だったのだが。
経理担当が会議室のモニターに数字を映していた。
「では今回の受注を踏まえ、中期見通しを共有します」
ホオズキが紙コップを持ったまま固まる。
「今?」
「今です」
「乾杯してないけど」
「その前に」
「人の心ないの?」
「資金繰りにはあります」
「意味分かんない」
画面。
売上。
増加。
利益率。
改善。
現金残高。
改善。
借入依存度。
低下。
保険料率。
改善。
離職率。
低下。
教育費。
増加。
資格保有者。
増加。
地方協力企業数。
増加。
ホオズキの表情が変わっていく。
「……あれ?」
久世が数字を見る。
「どうしたの」
「うち」
「うん」
「強くなってない?」
黒崎が言った。
「今さらか」
「だって」
ホオズキは一つずつ指さす。
「グリムニル来る前より売上増えてる」
「増えてるね」
「利益率も上がってる」
「上がってる」
「現金もある」
「以前よりは」
「借金への依存も下がってる」
「下がった」
「辞める人も減った」
「制度変えたからね」
「保険も安くなった」
「安全管理やったからな」
「提携先も増えた」
「ヘリ買わなかったからね」
ホオズキが少しずつ険しい顔になる。
「……待って」
全員を見る。
「もしかして」
嫌そうに言った。
「グリムニルが来たせいで、うち経営改善してない?」
経理担当。
「はい」
即答だった。
「腹立つな」
黒崎が笑った。
「何でだ」
「だってあいつら来なかったら、こんなに勉強してないでしょ」
「してないだろうな」
「保険も見直してない」
「たぶん」
「人事制度も」
「たぶん」
「為替予約も」
「知らなかったな」
「キャッシュフローも」
全員が黙った。
ホオズキが睨む。
「そこは否定して」
久世が笑いを堪える。
「第一話のホオズキ、売上と現金ほぼ同じものだと思ってたから」
「そこまでじゃない」
経理担当が言う。
「ほぼそうでした」
「味方がいない」
黒崎が紙コップを上げた。
「じゃあ、グリムニルに感謝するか」
「絶対嫌」
「会社強くしてくれたぞ」
「向こうは何もしてない!」
「競争相手として存在してただけだな」
「それが一番腹立つ」
◇
夜。
ようやく祝勝会が始まった。
ピザ。
寿司。
唐揚げ。
炭酸飲料。
酒を飲む者。
飲まない者。
社員たちが騒いでいる。
五年契約。
会社にとっては大きい。
かなり大きい。
だが。
会社を別物にしてしまうほどではない。
無理をしなくていい。
人数を倍にしなくていい。
借金を限界まで増やさなくていい。
現場を疲弊させなくていい。
利益も残る。
これなら続けられる。
ホオズキは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
黒崎が隣へ来る。
「何だ」
「別に」
「社長っぽい顔するな」
「してない」
「社員見ながら満足そうにしてたぞ」
「違う」
「じゃあ何だ」
ホオズキは紙コップを揺らす。
「五年後も、こんな感じならいいなって」
黒崎が少しだけ笑った。
「十分社長っぽいぞ」
「気持ち悪い」
「まだ言うか」
◇
翌朝。
ホオズキが出社すると。
机の上に、新しい書類が置かれていた。
「何これ」
久世が振り返る。
「新しい入札」
「もう?」
「もう」
「休ませろ」
「締切、三週間後」
「役所って鬼なの?」
「役所じゃなくて民間」
「企業も鬼なの?」
ホオズキは書類を手に取る。
施設警備。
危機対応。
一部特殊要件。
複数年契約。
参加予定企業。
その中に。
《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》
ホオズキの口元が少し上がった。
「いる」
黒崎が資料を覗く。
「いるな」
「懲りないねえ」
「向こうも同じこと思ってるかもな」
「よし」
ホオズキは資料を机へ置いた。
「今度はどこ取る?」
◇
ヤタガラス本社、会議室。
以前。
この部屋の壁に貼られていたものは、ほとんどが作戦地図だった。
道路。
建物。
突入経路。
退路。
監視位置。
敵配置。
射線。
今。
そこには、別のものが並んでいる。
売上。
粗利率。
営業利益。
キャッシュフロー。
運転資金。
市場シェア。
顧客構成。
人員配置。
離職率。
保険料。
競合分析。
そして。
中央には大きく、
《GRIMNIR》
と書かれた企業ロゴ。
その横。
ホオズキの字で書かれている。
《倒すな。儲けろ。》
黒崎が赤ペンを持つ。
その下へ書き加えた。
《赤字受注禁止》
「ちょっと待って」
ホオズキが言う。
「雰囲気壊れる」
久世もペンを取った。
《請求書は即日発行》
「おい」
経理担当も立ち上がる。
《経費精算期限厳守》
ホオズキが振り返った。
「最後だけ消そう」
「駄目です」
「そこだけ物語性ないじゃん」
「経費精算に物語性は不要です」
「エンディングだよ?」
「期限は守ってください」
「今日くらい」
「今日出してください」
「明日」
「今日です」
「最終話だよ?」
「関係ありません」
黒崎が笑う。
「諦めろ」
久世も笑う。
「戦場は見積書の上なんでしょ?」
ホオズキは全員を見た。
そして。
机の上の、新しい入札資料を見る。
グリムニルの名前。
自社の数字。
利益率。
キャッシュフロー。
人員。
装備。
契約条件。
以前なら。
敵を見た。
今は。
市場を見る。
勝つことだけを考えていた。
今は。
続けることを考える。
全部取りたかった。
今は。
取るべき仕事を選ぶ。
安ければ勝ちだと思っていた。
今は。
利益を残す。
仕事が増えれば会社は強くなると思っていた。
今は知っている。
会社を強くするのは、仕事の数ではない。
何を選び。
何を捨て。
誰と組み。
何に金を使い。
どんな条件で契約し。
どれだけ現金を残し。
社員が次の日も働ける状態を作り。
そして。
また次の見積書を出せること。
ホオズキは新しい入札資料を開いた。
「じゃ」
全員が彼女を見る。
「始めようか」
会議室の壁。
《倒すな。儲けろ。》
その下。
《赤字受注禁止》
《請求書は即日発行》
《経費精算期限厳守》
ホオズキが最後の一行を指さす。
「本当にこれだけ消さない?」
「駄目です」
全員の声が揃った。
――完。




