5.マルガリータ②
スティーブはパン粥で使った食器を下げて洗った。
フェリクスは「やり方を教えてくれたら洗うよ」などと言ったが「今度でいい」と断った。
居間に戻ってくるとフェリクスは椅子に座ったままぼんやりと室内を眺めていた。肩が少し落ちている気がする。
(昨日はいきなりブッ倒れたよな……)
そう思い出して、問答無用でフェリクスの額に手をあてるとほのかに熱い。
「おい、熱があるんじゃないか」
「不意打ちは困るよ、ハニー」
フェリクスがこちらを見上げて弱々しく笑い、スティーブは呆れた顔になる。
「いや、言えよ。起きた時からか?」
「おそらく。弱みを見せないようにするのは癖だね。でもきっと微熱だ」
「ここで虚勢張ってどうすんだよ。とりあえず寝てろ」
高熱というほどではなさそうだが、触って熱いと感じる程度には熱いのだ。微熱ではないだろう。
「うーん……」
フェリクスの返事は煮え切らない。
「何だ。心配しなくても調子が悪い間は追い出したりしない」
もはや乗りかかった船である。祖母との因縁もあるし、しばらくはフェリクスを家に置くしかないだろう。
「ありがとう。しかしそうではなく……朝から申し訳ないのだが、頭と体を洗いたいのだ。このままでは気持ち悪くて眠れない」
金髪ダーリンは風呂をご所望のようだ。そして熱はあるが、風呂に入りたいと思えるくらいの元気はあるらしい。
「しょうがねえな。うちの風呂は風呂っていうか大きな盥だぞ、いいか?」
「ありがたいね。申し訳ないついでに肌着を借りてもいいだろうか」
「……俺のになるが」
「文句はない」
返事を聞きながら、スティーブはフェリクスのための服を早々に揃えた方がいいなと考える。
この調子だとしばらくは一緒に住むしかないだろうし、他人と肌着の共有はあまりしたくない。
スティーブは湯を沸かして盥にぬるま湯を張り、着替を貸してやった。
フェリクスはなんだかんだで、久しぶりだという風呂を満喫し、水を飲んでから寝室へと引きあげた。
フェリクスが階段を上っていくのを見届けたスティーブは小さく息を吐く。
それからキッチンの端の引き出しを開け、煙草を取り出した。久しぶりに吸いたい気分になったのだ。
村で煙草は手に入らない。町まで行かなければ買えない貴重品だ。その値段は手が出ないほどではないが、まあまあ高いのでちょっとした贅沢品でもある。
スティーブの家に煙草があるのは、父親が旅先から手紙と共に異国のものを送ってくれるからである。
贈られてくる量は少ないが、スティーブは愛煙家ではないのでこうしてたまに嗜む程度で満足している。時々、村の人達にお裾分けをして喜ばれてもいた。
台所の横の小窓を開け、煙草に火をつけてゆっくりと吸い込んで外へと吐き出す。煙草は異国産のせいか、古くなっているせいか独特の味がした。
もう一度、煙を吐く。
「……婆ちゃん、貴族だったんだなー」
窓から空を見上げて祖母に語りかけてみた。
若い頃の祖母はドレスを着て宝石を身に着けたりしていたのだろうか。スティーブにとっては祖母は、物心ついた時から既にお婆ちゃんだったのでピンとこない。
(村から出ないとか、辛かったりしたかな)
ぼんやりと記憶の中の祖母を辿る。唯一の孫として可愛がられたので、孫の自分に向ける顔はどれもわりと幸せそうだ。
祖父との仲はよかった。娘である母には文句が多かったが愛していたと思う。娘への愛故か、婿の父のことは敵視していた。
祖父が亡くなった時は「あたくしを置いていくなんて」と怒っていた。
(辛くはなかったかな……)
己の希望も入っているが、祖母は世を儚んでいたようには思えない。
今度、父と母が帰ってきたら聞いてみてもいいかもしれない。のんびり屋の両親はいつ帰ってくるのか分からないが。
(婆ちゃん、婆ちゃんといろいろあった男のひ孫が俺んとこ来たぞ)
スティーブは紫煙をくゆらせながら、空に向かって心の中で祖母に続ける。
「…………」
続けてから“いろいろあった”はマズかったかもしれないと思った。「勝手にあたくしに過去の男を作らないで」と怒られそうである。
(あー……ご縁があったらしい男のひ孫が来たぞ)
何となく言い直してから、独特な味の煙草をしばらく吸った。
そうして、煙草を吸い終わったスティーブは村長を訪ねるために家を出た。
当面はフェリクスを置くことになるので、断りは入れておかなくてはならない。昨日フェリクスは村外れにあるスティーブの家まで馬で歩いてきたので、彼がここにいることは皆が知っているに違いない。説明はしておくべきだろう。
ぐっすり眠る金髪の美形をたった一人で置いていくのは少々気が引けたが、スティーブだってここ三年はずっと一人だったし、祖母が生きていた時も、祖母が昼寝の時にスティーブが出かけることがあった。
だから、まあ危険はないだろう。
この村は日中は誰も戸に鍵なんてかけない平和な村である。
村長の家に着くと、幸い村長は在宅ですぐに居間に通された。
「スティーブ、ちょうど様子を見に行こうかと思ってたんだよ。昨日、王都から来たお役人がお前を探していてね。家を教えたものの、それきり何の連絡もないから心配してたんだ」
村長のイラヌスが、やれやれ安心したよ、と向かいに座る。お役人とはフェリクスのことだと察しがついた。
イラヌスによると、フェリクスは村に着いてすぐにイラヌスに面会を求めたらしい。
その身なりと物腰からイラヌスは王都の役人が来たとびっくりして、スティーブの家を教え、案内も申し出たが、案内はすげなく断られてしまった。
断られたのに後をつけるわけにもいかず、やきもきしていたようだ。イラヌスは少々気の小さい初老の男である。
「お役人様は? もうお帰りになられたのかな?」
「村長、彼は役人ではないですよ」
「えっ、そうなの? いやでも明らかに身分が」
「祖母の遠縁の若者のようです」
「マルガリータさんの? ……なるほど、そうかあ」
すぐに納得する村長。この村の人達でマルガリータが高貴な出自であるっぽいことを知らぬ者はいない。
イラヌスは「そうか、そうか、そういうことか」と頷き、それ以上の詮索はしてこない。貴族かもしれない若者の突っ込んだ事情は知らないのが一番なのだ。
「家を追い出されて、祖母を頼ってきたようです」
「おや、あんな若者が……それは大変だったろうね」
「祖母と縁のある者を無碍にするわけにもいきませんし、しばらくうちで面倒をみようかと思ってます」
「…………そうか、仕方ないね」
ここでイラヌスの顔が少し曇る。
大きな街道にも近いヘラー村は排他的ではないし、若者が増えるのは歓迎なのだが、曰く付きの貴族らしい若者なら話は変わってくる。
村長として厄介事は避けたいのだ。
「少ししか話してませんが、悪い奴ではなさそうです。疲れ切っているのでまずは休むのが大切でしょう。回復すれば町で働き先でも探して自立してくれるんじゃないかと思いますよ。若いですしね」
スティーブは爽やかにイラヌスに告げた。後半はスティーブの希望でもある。
「それもそうだね」
イラヌスが明るく頷き、スティーブは村長宅を辞す。帰りがけに飼葉を分けて欲しい旨を伝えると快く承諾してくれた。
スティーブはその足で薬師の元も訪れ、熱冷ましの薬を買い、村で一軒だけの雑貨屋に寄る。
雑貨屋では男物の肌着を買った。服も買いたかったが作業着くらいしか置いていなかった。厚手でごわごわした作業着は普段着には向かないのでそちらは止めておく。
フェリクスには当面は父親の服を貸すのがいいかもしれない。
雑貨屋の主人の奥方ナジャより昨日の金髪の美形は一体何者だと聞かれ、こちらにも祖母の遠縁だと答えておいた。
「はあ〜、マルガリータさんの関係者かい。なるほどねえ、すごい美形だったもんねー。しばらくいるのかい? そりゃいいね。目の保養になるよ」
ナジャがほくほくしながら言う。
これでナジャによって村中にフェリクスの情報が共有されるだろう。本人にもどう説明したのかを言っておかないとな、と思いながらスティーブは家へと戻った。
フェリクスは祖母の部屋でぐっすりと眠っていた。




