29.ダーリンの経緯
「マジかよー…………」
呆然とするスティーブに、元第一王子フェリクスは申し訳なさそうな笑顔のまま何も言わない。
スティーブは空を見上げて考えをまとめようとしたが、上手くいかなかった。
「とりあえず、帰るぞ」
スティーブは何とかそう言って残りの荷を積み、フェリクスと共に町を後にした。
❋❋❋
ごとごとと田舎の馬車道を進む。
スティーブ達の乗る馬車はつい先ほど町を抜けて、一気に建物は疎らになり牧草地や畑が広がっていた。
馬車を引くのは、宿屋から借りた馬とフェリクスの愛馬スラッシュだ。
スティーブは御者席より改めてスラッシュを見る。スラッシュは艷やかな明るい茶色の毛並みを持ち、額と足先には真っ白なワンポイントのある見事な馬である。
隣に並ぶ宿屋の馬と比べると一目瞭然で美しい。もちろん宿屋の馬も黒毛の武骨なよい馬だ。しかし毛艶や筋肉のつき具合が全然違うのである。
(そりゃそうだよな。王族の馬だもんなー。ははは)
スティーブは遠い目でそう思ってから、行きと同じように御者席の隣に座るフェリクスをちらりと窺う。
フェリクスはのんびりと牧歌的な景色を眺めていた。その横顔は相変わらず高貴だ。
(王子サマかよー)
高位だとは思っていたが、まさかの最高位だったとは。
中央の侯爵家だったら嫌だな、なんて思っていた頃が懐かしい。
(王子サマが床掃除なんかするなよー)
風呂小屋の床を這いつくばって拭いていたフェリクスを思い出し、ため息が出てしまう。
適応力が高いなんてものじゃない。あれはもう、やったらダメなやつじゃないか。きちんと拒んで欲しかった。
もしかしてちょっと根に持ったりしているだろうか。
「……なあ」
「なんだい、出て行けというのは無しでお願いしたい」
間髪を入れず、こちらを見ずにフェリクスは応えた。
「んなこと、畏れ多くて言えねえよ」
「私を敬うのも無しでお願いしたい」
やっぱりこちらは見ないフェリクス。
「だがなあ、第一王子殿下なんだろ?」
核心を突いてみるが、フェリクスは変わらず景色を見る振りだ。
「元、だよ。もう王子ではない」
そう言ったフェリクスの横顔は少しだけ強張っていた。
「…………」
あ、これ、あれだわ、とスティーブは思った。
(悪いことしたって分かってるけど、どうしたらいいか分からねえ時のやつだ)
小さな子どもがよくする仕草である。それにそっくりだ。
自然とスティーブの口角は上がった。
(拭き掃除を根に持ってるわけはねえよなぁ)
あれとて、フェリクスは楽しかったのだろう。
「分かったよ。王子サマ」
スティーブは手を伸ばして、フェリクスの頭をわしゃわしゃしてやった。
それでやっとフェリクスはスティーブの方を見た。ちょっとふてくされた顔。美形はふてくされた顔も様になるな、なんて思う。それと同時にフェリクスはフェリクスなのだと腑に落ちた。
「その呼び方は止めたまえ」
「はいはい。じゃあこれまで通り、ダーリンでいいか」
「うん」
ほっとしたように、どこか幼い様子でフェリクスが頷く。
「しっかしなぁ、王族かぁ…………」
「元だよ。今はただの人だ」
「さらっとでいいから経緯を聞いてもいいか?」
「陛下が崩御した際、宰相が中心となって有力貴族達に裏切られた。どうやら陛下が病に倒れた時から宰相によって水面下で事が進んでいたらしいね。たった一晩で私は王位継承権を剥奪され、王子から罪人になった」
「それで、指輪を嵌められたと」
「そうだ」
「ふーん」
本当にさらっとだった。
隣を見ると、フェリクスは浮かない様子だ。
「しゃべりたかったら、詳しく話してくれてもいいぞ」
「愉快な話じゃない」
「構わない。いつか聞くって言っただろ? ずいぶん早くなったが聞いてやるよ。なんで宰相は裏切ったんだ?」
「ハニーは優しいね」
小さくフェリクスが言う。
そこからフェリクスはぽつりぽつりと、宰相がフェリクスの東の隣国への対応を不満に思っていたことを話した。
東の隣国とは四十年前には大きな戦争をしていて、緊張関係にある。フェリクスは融和路線を推し進めていたのだが、宰相はそれが許せなかったらしい。
「宰相は父親を隣国に殺されているのだよ。恨みがあるのは知っていて融和に否定的なのも分かっていた。だが、私を裏切るほどの強いものだとは思っていなかったんだ。完全に読み間違えたね。宰相は私を見限り、御しやすい弟を国王に据えたかったのだろう」
寂しげにフェリクスが笑う。
「隣国にどうしても殺したい奴がいるらしい。そういった個人的な怨嗟を国の関係に持ち込むのは感心しないが、人の心というのは簡単に割り切れないものなのだろう」
「また戦争をするつもりってことか?」
「そこまではしないはずだ。難癖をつけて、敵を引っ張り出したいのだと思うね」
「物騒だな」
その敵とやらが、隣国の重鎮なら大きな争いになりかねない。
「宰相は安易に私利私欲に走るような者ではない。中央の貴族達も馬鹿ではないからそこは何とかするだろう。弟も止めてくれると思う。東の隣国との関係は不安定になるかもしれないが、国内の政情は揺れないと信じている」
断言するフェリクスは力強かった。そしてそこには宰相や弟への信頼までもが感じられる。
(…………王子サマなんだな)
個人的な恨みや悲しみと、国を背負おうとしていた王子としての矜持は完全に別らしい。
宰相や弟は政治的に敵となってしまったが、国を治めるという点では同士なのだろう。
「それはひと安心だな」
スティーブが感心しながら相槌を打つとフェリクスはまた寂しそうに笑った。
「政争に負けた私が偉そうに言うのもなんだけどね。はあ……宰相もだが、私は弟の気持ちも計れてなかったんだ。気の弱いあれがまさか宰相と結託しているなんて考えもしなかった。地下牢に繋がれた時は冷水を浴びせられたようだったよ。己の驕りを痛感した。何と浅はかだったのかと」
フェリクスが肩を落とす。地下牢での絶望を思い出しているのだろうか。消えてしまいそうな雰囲気にスティーブは思わずその肩を抱いてやった。
「…………」
肩を抱いたものの、慰めの言葉は思いつかない。ご立派な貴族ともなれば「十分に精励され、尽力されましたよ」などと言うのだろうが、スティーブはそういうのは苦手だ。
迷った末に、簡単に告げた。
「まだ二十三歳だろ。仕方ねえよ」
「だが王族だったのだよ。歳は関係ない」
「今はもう、元なんだろ。大変だったな。陛下のこともお悔やみ申し上げる」
ぴくりとフェリクスの肩が動く。沈黙が続くのでちらりと見ると、ダーリンは綺麗な青い瞳からはらはらと涙を流していた。
大変だったらしい。
そりゃそうだろう。父親が死に、裏切られた傷も癒えぬまま、朽ちていく体を引きずって八十を越えているはずの花嫁の元へと急いでいたのだ。
たった一人で納屋で寝て、野宿をしながら。
ぱたり、ぱたりと涙が服に落ちる音がする。それは小さな音のはずなのに妙に大きく聞こえた。
ごとごとと馬車は進む。遠くで鳶が鳴く声が聞こえ、ざあっと風が吹き抜ける。
しばらくして、フェリクスの涙は落ち着いたらしい。ぐすっと鼻をすする音がして「泣いたことは、生涯秘密にしてくれ」と隣から聞こえた。
「そもそも、話すような相手がいねえよ」
ふっと笑って、肩を抱いていた手を離す。
そこからは第一王子の罪とされた、不正に私財を増やしていたことについても聞いた。
自身が父親より譲り受けた幾つかの国宝について難癖をつけられたのだとフェリクスは言った。
「過去の鑑定額を元に申告をしていたのだが、鑑定し直せば額が大幅に変わると言われたのだよ。当たり前だろう、そんなことを言い出せば弟の私物だって同じことだ」
少し元気を取り戻したフェリクスはぷりぷりと怒る。
「国宝が私物かぁ」
「大したものではない。何ならハニーのお祖母様由来のこの指輪の方が価値がある」
「えっ、これ、高いのか!?」
スティーブは嫌そうに自身の左手の指輪を見た。
「作用はどうあれ、これだけ強い魔法の品だからね。値はつかないと思うね」
「うへえー、止めてくれよー」
得意気なフェリクスにスティーブは悲鳴をあげた。




